第36話
そろそろ薄手のコートを羽織ろうかと思い始めた時節、久世から「今日、同期で飲みに行こうぜ」とメッセージが届いた。
久世は「エンゲージケージ」を担当していたが、そちらもかなり忙しいらしく、しばらく同期三人で話すことはなかった。
文見も当然多忙だったが、他チームと決めないといけないことに区切りがついて、あとはシナリオを書き進めればいいところまで来ていた。
気持ちはだいぶ楽になっていて、10時には退社し、夜はゆっくり眠ることができた。
OKと久世に返事をする。
仕事を早く終えて、よく利用する隣町の居酒屋やってきた。
個室がしっかり分かれていて、ゆったりできるので好きなお店だった。
「あれ、佐々里いないの?」
「今日は木津が仕事の愚痴言いたいんだってよ」
個室にいたのは久世と木津の二人。
すでに会社をやめている佐々里はいなかった。その後、転職どうなったのかちょっと気になっていた。
しかし、どうやら木津が発起人だったようだ。木津が進んで愚痴を言いたいというのは非常に珍しい。
「ちょっと聞いてよ」
文見が席に座るなり木津が言う。
「飲み物頼んでからいい?」
「そんなの聞きながら頼めるでしょ」
と言いつつ、木津はお店の端末でビールを頼む。
どうやら文見の分を勝手に頼んでくれたということたらしい。
木津が効率重視なのは重々承知なので、文見はそれについて何も言わない。文見もはじめの一杯はビールと決めていたし、木津もそれを知っている。
「何があったの?」
「絶対殺す! 絶対許さない!!」
木津が叫ぶ。
「いきなり物騒なんだけど……」
「あの社長なに? 頭おかしいの? 日本語分からないの? これまで何度も言う機会あったじゃん。それなのにずっと黙ってるし。いきなり決めたの? そしたら無計画過ぎない? それでも社長? 意味分かんない!」
「ええ……」
いきなり怒涛の悪口コンボである。すべて社長に向けられているらしい。
「有名イラストレーターにキャラデザ頼むんだって」
話が進まないので久世が教えてくれる。
「キャラデザってメインキャラは全部終わってるじゃん?」
木津がすべて書いて、リーダー会議で決めたのだ。文見も参加しているのでよく知っている。
序盤、自己嫌悪であまり積極的に意見できなかったのは、申し訳なく思っている。
「破棄して全部やり直してもらうんだってよ! なら私が書いたのはなんだったんだよ! あのクソが!!」
木津は一気にビールジョッキを飲み干す。
「何杯目?」
「いや、まだ一杯目だけど……」
まゆを寄せて、さすがの久世でも困っている様子。
木津はお酒に強いのでビール一杯ぐらいで酔ったりしない。
「どうやら社長が箔を付けたいって、有名な人にキャラデザ頼むことにしたんだって。一応、木津が描いたのを下敷きにしてアレンジしてもらうらしいけど」
「下敷きって……。どうせ原形なんか残るわけないでしょ!」
木津はたいそうご立腹である。
「名もなきイラストレーターと、フォロワー100万人の中村一心、どっちの絵を選ぶ? そりゃ中村一心でしょ! 私の絵なんかいらないわよ! むしろ邪魔だからゼロから描いてもらったほうがいいわ!」
木津の絵は独特だった。
人気だったり流行だったりする絵柄とは一線を画している。
精密で美麗。一瞬で見たものの心を奪うことができる。社長もそれに惚れて、木津をキャラデザイン担当にしたのだ。
けれど裏返せば癖が強い。
「もしかしてずっとこんな感じ……?」
「会社出たときからな……」
新しいビールが来るなり、木津はすぐにあおり始める。
「けど、なんで社長はそんなことしたの? いきなりやるのはひどくない?」
「そんなの私に対する嫌がらせに決まってるでしょ!! 社長は私のことが嫌いなのよ。直訴したのを根に持ってるんでしょ! それなら、さっさとクビにすりゃいいのに! そしたら私が労基に訴えてやる!」
「いやいや……」
いつも冷静な判断を下す木津がかなり壊れている。どのぐらいショックだったかが痛いほどに分かる。
「やっぱノベ単独のゲームだから、いっぱい売りたいんだろうな。失敗しないよう、やれることは全部しとくんだろう。絵って見た目も重要だけど、ネームバリューっつうかブランドも重要じゃん? 誰がキャラデザインしたかって絶対発表になるし、それで売り上げ変わってくる」
「うんこみたいな絵のせいで売り上げが下がるって!?」
木津がめんどくさい絡みをしてくる。
「誰もそんなこと言ってないって。観月、しっかりしてよ」
「これがしっかりしていられるかっての! あたしの三ヶ月はなんだったのよ! お金の無駄でしょ? それならはじめから中村一心を雇えばいいじゃない!」
「まあまあ。社長は売りたいって気持ちが強いだけで、観月の絵が嫌って言ってるわけじゃないんだから」
「そんなことどうでもいいのよ。社長の行動のせいで不愉快な気持ちになってる、ただそれだけ!」
怒り狂うその気持ちは分かるが、無茶な道理を言われると困ってしまう。
木津はビールジョッキを空にする。
「だからね。今は言わせて。明日には全部忘れて元気になってるから」
「観月……」
「世の中は不条理なものよ。受け入れたくなくても受け入れないといけない。社長に悪意がないのは分かってるわ。でも許せない。私の絵をなかったにするのは、私の人生をなかったことにすることだから」
木津は文見のビールジョッキをぶんどって飲む。
社長のきまぐれには文見も苦しめられている。かばってくれなかったり、声優を勝手に決められたり。そのたびに精神をかき乱される。
「だから今日だけは文句を言う。死ぬほど言う。殺すほど言う。誰も傷つけないで、自分の傷だけ回復させる」
無茶苦茶な論調だがその分、木津の気持ちはよく伝わってくる。
観月は強いなと、文見は思う。
自分だったらどうしていただろう。せっかく書いたシナリオを破棄して、プロの小説家に書いてもらうことになったら。
泣いていたかもしれない。おかしくなって、社長に直接文句を言ったかもしれない。
「まあ、飲もうや! お姉さん、ビール3つください!」
久世は通りがかった店員を呼び止めて注文する。
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