第33話
「大丈夫か? 目が死んでるぞ」
夜の九時。
両肘をついてぼんやりモニターを眺めていると、メインプログラマーの八幡に声をかけられた。
「あ、ごめんなさい。ぼうっとして」
文見は慌てて体を起こす。
ちょっと体がだるかった。八尾とあんなことがあって気分が悪いし、夕飯を食べ損ねてお腹も空いていた。
今思えば、料金くらい払っておけばよかったと思う。これでは八尾への借りになってしまう。
「ほう、別にいいけどな」
そのまま立ち去ると思ったが、八幡はすでに帰った門真の椅子に座った。
「門真、ダメそうか?」
「いえ、そうわけじゃないです。あたしの指導が至らなくて……」
「苦労してるんだろ?」
「はい……」
確かに門真を見張りながら、自分の仕事をするのはかなりハードだった。
もしかすると、八尾にあんなことを言ってしまったのも、仕事の疲れがあるかもしれない。心が疲弊し、まともな判断ができなくなっているのだ。
仕事もプライベートもうまくいってないようで、文見はそこでもまた落ち込む。
「あんまり相性よくないのか、ちょっとしたことで対立しちゃうんですよね。それで時間とられるし、疲れるしで……」
自分が先輩としてうまくやれていないのもあるが、門真は納得いく理由がないと仕事が進まないようで、相手のやる気を削がないよう説得するのが大変だった。
でも書くもの自体は悪くないので、うまく制御できない自分の責任だと思っている。
「人間だからな。そういうこともある」
「何かいい方法ないですかね……」
「そうだな……。好きにやらせてみたらいいんじゃないか?」
「え? それじゃ余計大変なことになりません?」
前にみたいにプロットを無視して作られたら、あとで作り直しになってしまう。
「いや、きっと大丈夫だ」
「どうしてですか?」
はじめに放置して失敗している。新人にちゃんと指示しないと、無駄なことをやらせてしまう。
発言は無責任のようだが、八幡がなんの考えもなしにそんなことを言うように思えなかった。
「ああいうタイプは任されたときにパフォーマンスを発揮するんだ。始める前に注意点をしっかり確認しておけば大丈夫。そのあとはうまくやってみせるさ。不安になれば向こうから確認してくるから、放っておけばいい」
「はあ、そんなものですかね?」
「たぶんな」
半信半疑だったが、門真にあまり干渉しないのも一手に思えた。
よく話せば分かる、というけれど、あまり話しすぎもよくないときもある。やりたいようにやらせたほうがこじれないで済む。
あまり構ってあげる時間もないのも事実だ。
「今日は帰れ。気分が乗らないときに働いても意味ないぞ」
「そ、そうですね……。今日は帰ります。お疲れ様でした」
このまま会社にいても仕事は進みそうにない。心のもやもやも晴れない。お風呂入って寝て、全部リセットしないと。
文見はパソコンの電源を落として帰宅した。
「これがあたしの仕事がある! 絶対やりとげなきゃ」
つらくても八尾のように嘆くだけの人になりたくない。
人がそこまで強い生き物でないのは知っているが、自分の仕事に誇りをもてないならやめたほうがいい。そのほうが自分のためだ。
翌日から八幡の言ったことを実践してみることにした。
といっても放置するだけだが。
数日放っておいたところ、向こうから相談してきた。
「あの、すみません。ここなんですが、吉野ヶ里が山内丸山にちょっかい出さたら怒ったりしますかね? 冷静に対処しそうな気がするんですけど」
「ああ、なるほどね。想定より吉野ヶ里がだいぶ丸くなってるから、そこは怒らないほうが自然かも」
八幡の言った通りだ。
こちらの様子を見て、何やらもじもじしたのち、思い切って話しかけてきたのだ。
これまでなら門真は何も断りなく変更してきたところ。しかし今回はちゃんと確認してきた。
「ありがとうございます。それでいってみます。あとすみません、スケジュールなんですがこれだと厳しそうで……」
「どんな感じ?」
「間に合うことは間に合います。でも、品質高めるならもうちょっと期間が欲しいです」
ビジネスにおいて当たり前で、ちょっとした会話だが、大きな成功を収めたような感じがした。
発生するかもしれなかったやり直しを回避し、仕事の質を一つ高めることができた。
そして、やったことは放置しただけなのだが、門真は信頼されたように思い、門真は文見を信用するようになった。
これはこれからの業務を思えば非常に大きいことだ。
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