第21話

 文見はコンビニでタオルを買って、ちゃんと髪を整えてから席に戻った。

 めんどくさいことを言ってきそうな久世は、ちょうど会議か何かで席を外していた。


「よし!」


 文見はまだ濡れている袖をまくる。

 自分は超ポジティブで気力でなんでも乗り切ってしまうヒーロー。どんなことだってやれる。


「やまない雨はないから」


 自分が大好きなキャラ、レインの口癖。

 不幸はいつまでも続かない。耐えた先に逆転の機会が必ずある。

 レインだったらこんな状況でも、無言で耐えているだろう。頭の中ではそれほど地獄だと思っていない。やってくる未来に期待を抱いて、淡々と目の前のことに当たるはずだ。


(雨に濡れながら言うのがかっこいいんだ!)


 水もしたたるいい女ではないけれど、自分もそうありたいと作業を開始する。

 社長の決めた設定に合わせて直していく。自然な流れになっているとは思えないが、これは仕事だからやらないわけにはいかない。

 もっといい案が他にもあるかもしれない。でも、社長の指示で、社長も自分の意見として自信を持っていたので、勝手に変えられない。

 それでもできるだけ自然な流れになるよう、何度も頭の中でシミュレーションする。

 主人公が現代とそっくりなパラレルワールドに飛ばされて、少女と出会い、遺跡の擬人化を仲間にして戦う。


「って言ってもなあ……」


 心の中に宿したレインはあっという間に解除されて、愚痴を垂れるただの女に戻ってしまった。

 やはりストーリーの流れに無理がある。

 なんでわざわざパラレルワールドに飛ぶ必要があるのか、最もらしい理由や状況を説明できない。ワープの手順を飛ばして、主人公のいる世界で擬人キャラたちが急に暴れ始める、ではいけないんだろうかと思ってしまう。

 社長としては「エンゲージケージ」の導入に合わせるという目的があって、その理由はちゃんとしていると思っているが、ユーザーはそんなこと知ったこっちゃない。不自然なものは不自然である。


「社長に相談してみるか?」


 文見が立ち上がって周囲を見ると、社長がサウンドディレクターと話しているのが見えた。

 社長はもちろん社長としても仕事もあるし、「エンゲージケージ」そして「ヒロイックリメインズ」のプロデューサーでもある。多くの業務を監督しないといけない立場なので多忙なのだ。

 文見の設定が通らなかったこともあって、各パートとのスケジュール調整が発生している。それもあって社長の仕事を増やすのは気が引けた。

 そして聞きいれてもらえる確率も低いし、そこでめんどくさがられても嫌だった。


「はあ……自分でなんとかするしかないかあ」

「なに百面相してるのよ」


 文見が独り言を言っていると、同期の木津が話しかけてきた。


「観月、どうしたの?」


 木津はグラフィッカーで、席も離れていることもあり、プランナーの文見とはあまり絡む機会がなかった。


「ストーリー通らなかったんだって?」

「あ、うん……」


 文見が提出した資料に対して非難囂々だったことは、もはや社員全員が知っている。ネガティブな話ほど伝わるのが早いのである。


「濡れてる」


 そう言って木津は文見の髪に触れる。


「あ……」


 ちゃんとタオルで拭いたつもりだったが甘かったようだ。

 アホな行為の結果なので文見は恥ずかしくなる。

 理由を聞かれるかと思ったが、木津は聞かなかった。


「私がキャラデザインすることになったから」

「え?」

「新プロジェクトのキャラデザ、私が担当」

「えっ!? 観月がデザインやってくれるの! すごい楽しみ!」


 気の知れた同期が自分の書いた設定に基づいてキャラデザインをしてくれる。なんとも嬉しいことだろう。


「それはいいけど、設定はいつもらえるの? こっちは設定画決まるまで作業に入れないんだけど」

「あ、ごめん……」


 他のパートでは、決まっている部分から先に作業を始めている。だが、キャラデザインはキャラが決まっていないと何もできない。


「じゃあ『長瀞』とか、サブキャラからやったらどうかな?」


 長瀞(ながとろ)とは埼玉県にある渓谷で、岸壁に囲まれた川を下るライン下りが有名だ。宮沢賢治の歌も残っていて、そこから連想してキャラ設定やデザインを膨らませられそうということから、サブキャラとして選出されている。


「こういうのはメインキャラからやるものなのよ」

「そうなの?」

「ゲームの全体の雰囲気が決まらないでしょ。リアルなのかデフォルメなのか、アニメっぽいとか。はじめに書いたキャラが基準となって膨らませていくことになるから、サブキャラからやっちゃダメなのよ」

「そうだったんだ……」


 あまり絡むことがないので、グラフィックのパートのことはほとんど知らなかった。どのように作業が進行しているのか、そもそもどういう行程があるのかも分からない。

 別に文見が無知というわけではない。ゲーム会社は専門性の高いパートが多いため、どれにも精通するというのは不可能なのだ。スケジュール管理ができて、シナリオが書けて、絵が描けて、映像を作れて、作曲ができて、人材のマネジメントができて、という人は存在しない。


「それでどうなの?」

「けっこうきついかな……。だいぶやり直しになりそう」

「できるところ探して作業始めるけど、早くしてくれないと作業遅れちゃうからね」

「ごめん、何とかする」

「私はいいんだけど、キャラデザ決まらないと動けないパートがけっこうあるから、かなり急いだほうがいいよ。モデル班なんて何もできないから、ぼうっとしてるだけになるし」

「だよね……」


 モデル班はキャラの3Dモデルを作るパートである。

 キャラデザインを元にモデルを作っていくので、キャラ設定が決まり、その上でキャラデザインも決まっていないと何も作業できなかった。


「『エンゲジ』の作業をして時間つぶしてるから今はいいけど、そのうちほんと取り返しつかないぐらいになるよ」

「うん……」


 言っている内容は厳しいが、それが真実であり、文見を思っての言葉なのは明らかだったので、木津の心遣いは嬉しかった。

 ただ、こうして自分のせいで他のパートが遅れている事実が判明して、ものすごい罪悪感が生まれた。


「観月が教えてくれなかったらやばかったかも、ありがと。あと、観月がキャラデザで嬉しい」

「ン……別に」


 木津は気恥ずかしそうにして、ぷいっと顔を背け、自分の席に戻っていった。


「自分だけのことじゃないんだよね……。上流やらせてもらってるんだから、責任持たなきゃ」


 どの仕事においても、上流の仕事は憧れの花形だ。自分も当初それが嬉しくて仕事をしていた。しかし、今はそれがかなりプレッシャーになっていた。

 同期の木津が同じプロジェクトなのは嬉しかったが、彼女にまで迷惑をかけられない。何がなんでもスケジュールを間に合わせて軌道に乗せなければいけない。

 これまで下流の仕事ばかりで、上流で決まったことをただやるだけのは退屈だと思っていたが、そんな日々が懐かしかった。あまりに無知で笑えてしまう。


(あたしはレイン! なんでも乗り越えられる!)


 文見は自身をそう思うことにする。それぐらいしか、自分を支えられるものはないから。

 レインは鈍感というダメなところはあるが、いざというときはしっかりしていて皆を引っ張る。


(あたしはかっこいい! 誰よりも輝いてる!)


 自分も相当ダメだが、窮地を乗り越えて大活躍する、はずだ。

 文見はレインを宿してシナリオと戦い続けた。

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