第17話

「少しは落ち着いた?」

「なんとか……」


 久世は文見に冷たい缶コーヒーを渡す。

 二人は会社から少し離れた小さい公園に来ていた。

 遊具はなく、広場とベンチがあるだけなので、子供はあまりおらず、サラリーマンの休憩場所としてよく使われている公園だ。

 6月の夕方の風はまだひんやりしていて心地よく、怒りでオーバーヒートした頭を冷ましてくれる。

 この会社では、気分転換に外の空気を吸うのは珍しくない。ゲーム会社という特性上、長時間勤務になることが多いので、ときどき外に出なくてはいけないという意識があり、しばらく席をあける社員を咎めることはあまりない。裁量労働制なので、仕事さえしっかりやってくれれば文句はないのだ。


「なんか変なことなってるな。あんなコメントして小椋に何をやらせたいんだ?」

「……なんなんだろね。あたしのシナリオが気に食わないなら別にいいんだけど、あそこまでいうと企画否定じゃん。社長に対する文句? 経営陣への叛逆?」


 新プロジェクトの企画はすでに通っていて、この内容で制作することは決定事項である。だが明らかにその企画に反対するような意見があったのはおかしなことだった。


「企画書読んでないんじゃないか? プロジェクトメンバー以外には回ってないし、俺も読んでない」

「え? 回覧されてないの?」

「ああ、シナリオはみんな回ってきただろうけど、それで企画内容を初めて知った人多いと思う」

「なにそれ、ひどくない?」

「自分に関係ないゲームの企画回されても、みんな人ごとだから興味ないな。シナリオは社長がみんなの意見が欲しいって言ってたから、仕方なく読んだけど、正直めんどう。俺も意見出さなかったし」

「面倒って……。仕方なくであんなこと言われてもなあ。適当なこと言うなら黙っててよ……」


 書かれていた意見は「無責任」の一言に尽きるだろう。

 自分が当事者であるシナリオライターではないから、好き勝手言っているだけだ。会社のために真面目に考えて、批判的な意見を書いた人もいるかもしれないが、それだけでは文見は助からない。

 プロデューサーやディレクターがその意見を見て、文見の書くシナリオはダメなんだと判断したら、とばっちりもいいところである。


「答えをくれとは言わないけど、何がどうダメでどうしたらよくなるのか示して欲しかったな……」

「それはそう思う……。仕事なんだから、会社のためになることしてほしいな。あと相手が人間だって忘れてるんじゃない?」

「それ! 好き勝手に言って気分よくなってるだけじゃない。仕事のストレスをあたしにぶつけんな! ニュースのコメント欄か!」


 文見は勢いのままコーヒーの缶を握りつぶそうとするが、びくともしなかった。


「硬っ!?」


 それを見ていた久世が缶を引き取り、簡単にぐしゃっと潰してみせる。


「すごっ」

「俺もストレスたまってたんで」


 久世がははっと笑ってみせるので、文見は苦笑した。

 同期に久世がいてよかった。怒り狂ってひどい失敗をしていたと思う。久世のおかげで、どれだけ気が休まったか。


「でもなんか思ってたのとだいぶ違うなあ。みんなで議論しながら決めていけると思ってた。『エンゲジ』もそうだったし、これまでもプロデューサーとディレクターとは和気藹々とやってたんだよ? でも、今回の意見は……同じ会社の人、同じゲームを作る仲間の言葉に思えなかったなあ」

「なんだろな。文字が冷たすぎるんかな? 文章だと口頭より角が立つとかいうけど。意見書いてる人間の心を冷静にさせてくれるってメリットはあるんだろうけど、距離が離れて他人事にさせてる気がするな。面と向かってなら、絶対あんなこと言わないぜ」

「なるほどね……」


 久世の言っていることはよく分かった。

 あんなことを口頭で言われたら、ケンカになるか泣き出すかしているかもしれない。しかし、そうなるのは意見する側も分かっていて、わざわざ波風立てるようなことはしない。

 文面での意見共有ではなく、実際にみんな集まっての討論会形式なら、こんなことにならなかったかもしれない。その場の意見に対して返答しなければいけないのであれば、かなり文見としては嫌なものであったが。


「自分で言うのもアレだけど、一生懸命やってる人に真顔で『無駄だからやめたほうがいいよ』と言われた感じがしたなあ。めっちゃ傷つくし、心折れる。百歩譲ってその意見が正しいとしても、こっちは仕事はなんだよ……。遺跡の擬人化よりいいアイデアがあったとしても、それを自分の心の中に封印して、どうやったら遺跡の擬人化が受け入れてくれるか考えないといけないわけ」

「ちげえねえちげえねえ」


 久世はおおげさに何度も頷いてみせた。


「でもズルいな。あたしは直接企画に文句言えないけど、外野の人はこういう機会で言えるんでしょ。ストレスのはけ口にされている気がする」

「匿名を悪用してるな。仕事してると言いたいことあっても、仕事だからと我慢するが、こうやって意見を出せっていうのに乗じて言いたい放題だ」


 その一方で、文見はあんなファイルを送ってきたディレクターを問い詰めることができない。


「ストレスもそうだけど、みんな自分の仕事で精一杯なのかも。佐々里が言ってたけど、同じ会社でもちょっと立場が違うと興味なくなっちゃうんだろうね」

「そうだな。うちの会社でもそういうことあったか……」


 佐々里は転職したが、誰も仕事を教えてくれず、苦しい思いをした。それぞれに仕事を抱えているから、他人に気遣う余裕がないのだという。

 自分もそれと似たような状況にあるのかもしれない。

 でも、ある程度やむを得ないように思えた。周りは文見の状況を知らないのだ。意見を出せと社長に言われたからやっただけで、初心者である文見が困らないように道を示すところまでが仕事なのか分からなかった。いや、仕事だとは思わないだろう。意見をもらって苦しもうが、その上で直すのが文見の役目だろうと思っている。

 もしかすると、新プロジェクトに参加したいが参加できなかったことを恨んでいるのかもしれない。さらに、シナリオ担当に抜擢された文見をひがんでいるのかもしれない。それなら悪意あるコメントがあってもおかしくないだろう。

 解決するには文見が状況を周りに明らかにする以外ない。けれど今回はもう意見を出し終わっているので、これから何かできるわけではなかった。

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