第16話

 そのとき、ウインドウがポップアップした。

 ディレクターからのメッセージだった。


「おっ、来た? 俺にも見せてよ」

「ヤダ、恥ずかしい」

「いーじゃん、減るもんじゃないし!」

「えー、別に面白くないと思うよ」

「そんなことないって。一緒に見ようぜ!」

「いいけどさあ」


 意見を人に見られるのは恥ずかしいという思いがあったが、いざ目の前にして一人で見るのが不安になってくる。結局、久世ならフォローもしてくれるだろうと、その申し出を受け入れることにした。

 メッセージにはエクセルのファイルが添付されていて、さっそくクリックしてファイルを開く。

 無記名の意見が項目別に箇条書きになっている。

 どうやら誰の意見か明らかにしないスタイルらしい。無記名のほうが意見しやすいという配慮なのかもしれない。意見されるほうはちょっと怖いが。


「さてと、『全体』の項目からかー」


 文見は上から順に目を通していく。項目が分かれていて、上は全体に対するもの、下に行くと個別の箇所に対する意見になっていた。

 久世は椅子を近寄らせて、文見のモニターをのぞき込む。


・問題ないと思う

・このまま進行してほしい

・よくできている

・作り込まれていて、楽しくなる気がする


「ふむふむ、なるほどね」

「お、いーじゃん!」


・悪くはないが、面白くない

・いまいちぱっとしない

・あまり盛り上がらない

・資料が長すぎるのでまとめてほしい


「ン……?」

「あれ……?」


 文見と久世は同時に首をかしげる。

 書かれている内容が思っていたものとは違ったのだ。


「なんだろう? なんかアバウト過ぎない?」

「んー……」


 久世が苦笑する。

 どこが面白いのか、よくできているのか。またはどのあたりがダメで修正したほうがいいのか、もっと具体的に書いてあると文見は思っていた。だが、書かれている内容はかなりあいまいだった。


「結局、いいのか悪いのか分かんないよね……」

「それそれ。判断を避けたような感じだな」


 非常にもやもやする。

 ダメ出しもらっても、何がどう悪いのか分からないと、設定担当者として対応しようがない。いい作品を作りたくていろんな人に意見を求めているのだから、もっとちゃんと書いて欲しかった。


「なんかほら、もっと前向きな意見欲しかったなあ。後ろ向きってわけじゃないけど、これからプロジェクトは前に進んでいくんだからさ」

「全体に対するやつだから、意見もおおざっぱに書いたんじゃない? きっと個別の項目には具体的なことが書いてあるんだよ、たぶん」

「でもさ、資料が長いのはしょうがなくない? 企画書とか概要書とかじゃなくて、詳細を全部載せた資料だからね」

「まあまあ。次行こうぜ。きっといいこと書いてあるって」

「うーん……」


 自分の書いたものに対して意見をもらうのは、不思議な気持ちだった。

 期待と不安、喜びと不信感などが混じってどうも落ち着かない。ちょっとしたことでも、自分を否定されたように感じてしまうのだ。文見は自分で言ったが、ここには具体的な意見が書いてないので、文見自身を否定したものはまるでないのに。

 もやもやが不愉快な感じがして、文見はつい久世に愚痴ってしまっていた。


・もっとシンプルなほうがいい

・話が浅くて、のめり込めない


「どっちやねん!」


 矛盾する意見が書いてあって、つい関西弁が出てしまう。文見は東京生まれ、東京育ちである。


「いろんな人が意見してるんだから、両方あるっしょ! しゃあないしゃあない!」

「まあね……」


 冷静に考えればそうだが、文見の中ではすでにこのファイルの意見に対する不信感が植え付けられていて、なんでも強く反応するようになっていた。


・「スターマスターズ」のほうが面白そう

・これなら「アースドラゴンズ」をやる


「えええ……」

「まじで……」


 二人して絶句。

 そこには他の会社のゲーム名が書いてあって、ヒロイックリメインズより面白そうだというのだ。


「はあ……『個人の感想ですよね』って突っ込んでほしいかな……」

「これはさすがに……。ほんと、うちの社員が書いたのか? 厳しすぎだろ……」


 さすがに久世も負の感情を吐いてしまう。

 文見は自分がカスタマーセンター係なら「貴重なご意見ありがとうございます。参考にさせていただきます」と、まったく参考にするつもりがない、皮肉の返事を書かこうと思った。しかし匿名のため、これに返信することができない。ストレスだけが溜まる。


・作りに素人っぽさを感じる

・外注ライターに書いてもらったほうがいい

・有名な小説家やクリエイターの監修を受けてはどうか


「は?」


 思わず、シンプルにドスの利いた敵意ある声が出てしまった。いや殺意かもしれない。

 怒りがどんどんこみ上がってくる。聞かせられないような暴言が出てきそうで、口を開くことができない。

 てめえ、何言ってんの? あたしの仕事に文句あんのか? 何が気に食わねえんだよ、具体的に書けよ! そもそも誰だてめえ、名前書け!

 そんな言葉が喉まで来ていて、歯を食いしばり押さえるのに必死だった。

 がたっと椅子を後ろに飛ばして立ち上がる。

 そしてディレクターの席のほうをにらみつける。

 このファイルはディレクターの村野が作ったものだ。村野ならばこの意見を誰が書いたか知っているはず。聞き出さなくては。

 これはまずいと思って久世は文見を止めようとするが、文見は立ち上がっただけで静止していた


「ふー、ふー、ふー」


 文見は顔を真っ赤にしながらも、息を細かく吐いて、気持ちを落ち着かせようとしていた。


「ふーーー。危ない危ない。キレるところだった」


 文見は深呼吸をして椅子を戻し、ゆっくり腰を降ろす。


「だ、大丈夫か……?」

「うん、大丈夫」


 文見は強がって言ってみせるが、まだ息が荒く、毛羽立ちそうな心を強引に抑えている。

 仕事で怒るなんて最低なことだ。仕事でイライラして人に当たったところで、まったく生産的ではない。

 村野や意見を書いた人とケンカをしてやりたいが、そんなのを下っ端の文見がやったら大変なことになってしまう。問題は解決しないどころか、上司や先輩に恨まれ、自分の立場が悪くなってしまう。もしかすると、反抗的ということでシナリオ担当を外されてしまうかもしれない。


「ひどい意見だな、ちょっと文句を言うぐらいいいんじゃない?」

「いいよいいよ、どうせこっちは素人だし。お金とか人脈あるなら、有名人に書いてもらえばいいんじゃない? 宮崎駿とか村上春樹とかどうかなー? ユーザーみんな喜ぶし、社員誰も異見できないでしょ」


 ようは舐められているのだ。

 この意見を書いた先輩社員たちは文見がシナリオを書いているのを知っている。話の良し悪しは分からないが、きっとたいしたことないだろうから、箔をつけるためにも有名人の力を借りたほうが会社のためだと言っている。

 きっと彼らにとっては良心的な意見なのだと、文見は解釈した。


「読むのやめとく? 一回休憩したほうが」

「まだ全然読み終わってないじゃん。あたしはこれ全部読んで、全部吸収しなくちゃいけないんだから」

「そうだけどさ……」


 やけになってしまっている。

 久世は文見を危うく思った。これ以上、変な意見がないといいんだけどと願うが、もろくも破られる。


・遺跡の擬人化が売れると思わない

・デスゲームが流行っているので、殺し合いをしてはどうか?

・このまま進めても売れないので、企画を練り直したほうがよい


「はあああああああ!?」


 思わず大声をあげてしまう。心の奥底からの叫び声だ。

 言うまでもなく、突然叫ぶなど仕事中に絶対やってはいけないことだが、止められるはずがなかった。

 子供のころ、授業中に奇声を発したらどうなるんだろうと考えたことはあったが、こんなところで実行することになろうとは思いもしなかった。

 ゲーム会社なので、ゲームしてたりイヤホンしてたりするが、ここまで大きい声だと何事かと驚いて、多くの人が一斉に振り向いた。

 とっさに久世が文見の口をふさぐ。


「ごめんなさい! なんでもないっす!」


 そう言って久世は、憤怒の形相をした文見を強引に引きずってオフィスを出ていく。

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