第11話
「あああ、ごめん! だいぶ仕事遅れててさあ。次のイベント、ピンチなんだ」
今度はキーボードから手を離して、ようやく文見に向き合う。
井出は現在、「エンゲージケージ」の追加シナリオやイベントを一人で担当している。プロットを作り、外注のシナリオライターにライティングを依頼している。だが、すべて一人で書き上げてしまうことも珍しくない。
そのため井出が手を止めると、進行がすべて遅れてしまう。他の人が手伝うという選択肢もあったはずだが、「井出が書くことになっている」と暗黙のルールが出来上がっていて、誰も手伝わないし、井出も自分の使命だと思っている。
こうして、ノベルティアイテムのシナリオライター一人体制が確立してしまっていた。社長としてはそれを打破するために、文見に白羽の矢を立てたことになる。
「いいえ、大丈夫です。当時の資料残っていませんか? これを作っておけば便利とか、フォーマットみたいなのがあると助かるんですが」
「資料かあ。あったかなあ? 二転三転して、かなりしっちゃかめっちゃかだったんだよ。うーん、残っててもめちゃくちゃかもしれない」
「少しでもヒントになるものがあれば、ものすごく助かるんですが……」
「そうだなあ……。分かった、あとで探して送っとくよ」
「助かります!」
多忙な人に頼むのは心苦しいが、このままでは裸で山を登ったり、地図なしで旅したりするようなものだ。一人で仕事をやりきるには、先達の井出から少しでも引き出さないといけない。
「新プロジェクトかあ、いいなあ。もう同じシナリオ三年書いてるから、だいぶ飽きてきたよ。それに、ユーザーもだいぶ飽きてるんじゃないかな。最近、シナリオに対するコメント全然上がってこないし」
「そんなことないですよー! 毎回新キャラが出るたびに、話題になってるじゃないですか!」
「新キャラといっても、みんな見てるのは絵なんだよ。セリフやお話なんて誰も気にしてない」
「でも、デザイン発注してるのは井出さんなんですよね?」
「そうだけど、最近はデザイナーの趣味になっちゃってる。俺が何言っても、全然反映されず、まったく別のものが上がってくるんだよ。島本さんはいいよな、ちやほやされて。俺も褒められたい」
島本はキャラデザイン担当の社員。「エンゲージケージ」はメインキャラを有名なイラストレーターに依頼しているが、その他はほとんど島本が描いている。イラストレーターとのやりとりも島本がやっているので、島本の意向が大きく反映されがちだった。
たまにメディアのインタビューに社長と一緒に答えている。なので、ゲームのイラストレーターとしては名前がちょっと知られている。
井出は自虐的なことをさらっと言えるタイプのようだった。本気でネガティブなわけではなく、それを面白いと思っている感じがある。つまりマゾだった。自分を痛めつけたくてしょうがない。だから、仕事を一人で抱え込んだり、自分を卑下したりする。
「あはは……。絵は分かりやすいですからね。ぱっと見でいいって思えるし、萌え~って興奮できます。でも、シナリオは難しいですよね。文章読むの時間かかるし、ガチャ引いてからじゃないと、お話読めないですもんね」
井出の気持ちは分かる。文見もエゴサーチをして、「エンゲージケージ」のことが褒められているのは嬉しいが、自分の担当したバランス調整やデバッグが褒められることはまずない。
佐々里が会社をやめたのも、自分のやった仕事がみんなに褒められたいからだった。誰もが知っているゲームで、目につくパートを担当したかった。結果は誰の目もつかないことになってしまったが……。
「俺も絵描こうかなー」
「井出さん描けるんですか?」
「いや全然」
しれっと言ってのける井出。
「え?」
「ただの希望。言うだけならタダだからね。小椋もやりたいことはとりあえず言ってみるといいよ。なんかの形で叶うかもしれない」
「はあ……」
自由人らしい発言で、若手社員の文見にはいまいちピンと来ない。
「あとよく寝ること。朝まで仕事したって、別に効率よくないからね」
「はあ……」
文見は呆れることしかできない。
井出の姿や席の惨状を見れば、まともに帰っておらず、寝ていないことが分かる。やっぱりマゾのようだった。
「それじゃ資料送っとく。あんま役に立てなくてすまんね」
「いえ! 貴重なお話ありがとうございました!」
井出はそう言うとすぐモニターに向き合い、キーボードを打ち始める。資料を探すと言っていたが、かなり後回しにされそうだった。
根っからの悪い人なら文句や催促ができるが、視野が狭くなりがちなだけで優しい人だから、あまり強く言うことはできなかった。他の社員からもそう思われていて、仕事が遅れても、最後には間に合わせてくれるからと突っ込まないようにしている。
井出はいつも一人行動だが、それは実力と信頼あってのことのようだ。
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