第21話

「跪きなさい豚!」


「痛いってお言い!」


 扉の向こう、ヒステリックな金切り声とぴしゃりというムチの音が響き渡る。セリフの内容こそSMの女王じみているが、その声にはドS姉さん特有の余裕と嗜虐性が感じられない。


「すまないね、あれは娘の日課なんだよ」


 道端で話しかけたMっぽいおじさんに連れられて、俺とフック姉さんはおじさんの家にやってきていた。


「そっかー、娘さんってSMクラブのキャストさん?」


「いや、……そうじゃないんだ」


 フック姉さんの純粋な問に、おじさんは俯いてしまう。


『娘をたすけてくれないか?』


 ――そう言われて俺達はここへやってきた。ならば、娘さんは何かに困っているのだろう。


 だが不可解だ。悲痛な声でドS姉さんになる練習を部屋で一人しなければならない理由はなんだ? 本当はMなのにSMクラブで働いている? いや、それはおじさんが否定していた。考えても分からないので俺は素直におじさんに尋ねることにした。


「ならば、なんだ?」


 おじさんは頭の中で何かを組み立てるように、ゆっくりと話し始める。


「ふむ、それをわかってもらうには、まずはこのペニバンシティ特有の文化から理解して貰う必要がある……」


「文化って?」


「ここペニバンシティは君達の探している伝説のドS姉さんの一人、”詰問のジェニファー”が作り上げた村なのだ。それもあってこの村は……」


 そしてそこから10分ほどおじさんによるこの街の文化を説明される。その内容を要約すると、


・この村ではSMが盛ん(この異世界全体が多分そうだが、その中でも特にそうらしい)で、たくさんのSMクラブがある。

・町人は伝説のドS姉さんを信頼していて、この街では女性はドSであることが一番のステータスと言う風潮になっている。

・一方男性はMであることがステータスというよりは、そんなドS姉さんを求めてドMばかりが集まり、ほぼ移民しか住んでいない。


「なんだその天国はーーー!」


 話が一段落した時、俺は思わずテーブルを叩いて立ち上がっていた。


「もううるさいなー」


 そんな俺をフック姉さんは呆れたようにジト目で睨むが、それどころではない。


「そんなのもう、街全体がドS姉さんではないか! こうしちゃいられない! 街全体に跪いてやる! うぉーー!」


「ちょっとちょっとなんでいきなり服を脱ぐのさ! そして待って!」


 人としてのプライバシーを解き放つのに邪魔でしかない下賤な布を投げ捨てながら走り出そうとするところをフック姉さんにガシッと掴まれる。俺の魂の叫びをフルでシカトして物理的に拘束されるのもアリなので俺は大人しくもう一度席につく。


「すまない、取り乱した。続きを話してくれ」


「……今もまだ完全に取り乱してるけどね」


 パンツ一丁のまま席につく俺を呆れたように横目で見見てくるフック姉さんの冷めた視線に脳がボッキしそうになるのを我慢して俺はおじさんに向き直る。


「続きを話してくれ、」


「あぁ、それで私の娘、リリーというんだが、リリーはこんな街に住む者にしてはめずらしく優しい子なんだ」


 そこからはおじさんの娘との思い出話が始まった。


 迷子の男の子を助けるために隣町まで一晩かけてモンスターから守りながら連れてってあげた話、近所のいじめられてる男の子をかばって自分が代わりにいじめられたのにその男の子の前ではわらって”大丈夫だから、悲しまないで”と言って家で泣いていた話など、リリーさんにはたくさんの”優しい”エピソードがあった。


「……そっかー」


 ため息を吐くように出てきた言葉に、フック姉さんは辛さを共有するみたいに悲しげな相槌をうつ。優しさは悪いことではなくいいところだ。父親にとってそれはなおさら愛してやりたい要素となる。だが、その娘の素敵な部分を街は肯定してくれない。そんな父娘の辛さを想像してしまったんだと思う。


 だが、俺は少し違うことを考えていた。


 確かに普通に考えて、SMのSの方の人になるのに優しさは邪魔だ。Sというのは一見、相手の意志とかプライドを踏みにじる行為だ。なので人の気持に鈍感だったりする方が自分の欲望をイケイケで通して上手くやれるはずだ。しかしそれは、ある一定のレベルまでの話だ。


 ある一定を超えた真のドS姉さんを目指すには、相手の苦痛、願望、劣等感などの感情について深く理解し、それを使いこなせる必要がある。相手が踏みにじられたい部分をピンポイントで踏みにじるには、それをわかっていなければならないのだ。


 だから俺は、おじさんに対してこんなことを訊いてみる。


「なるほどな。ちょっと、そのリリーさんと話してみていいか?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る