ケース013 引きこもり魔術士 シル2
シルさんの面談には、メアリーさんがついてきた。相手が女性という点を配慮したのと、冒険者パーティ『知られざる合金』が結成した当初から受付として交流がある二点からの人選だ。
「俺っち、こんな待たされると思ってなかったっす。訪問の約束だけして、別の日に来るとかダメだったんすか?」
宿屋の前の歩道と馬車道を分ける縁石ブロックに座り、あくびを一つ。今日面談予定は三件あったが、全部人をやって延期の連絡を入れた。なので、今はとてもヒマである。
「いや、今日じゃないとダメなんだよ。もし、後日ってなったら、もし食事が取れてなかったら手遅れで餓死するし、取り繕われたら日常の様子がわからないから」
シルさんに入室を許されたのは、メアリーさんだけだった。カッパーさんは食事の買い出しに行っている。安い店が少し離れた場所にあるらしい。
「そんなこと言って、部屋に入れてもらえなかったじゃないですか」
「それはそうなんだけど、それでもわかることはあるよ。例えば部屋の前で、臭いに気づかなかった?」
「そういえば、公衆トイレと生ゴミと獣の臭いが一緒にしたような?」
臭いを思い出したのか、ハルトが顔をしかめている。おそらく部屋の中はもっとひどく、しかしそれを想像できるだけの経験がハルトにはなさそうだ。それが少し羨ましい。
「あれはシルさんの部屋の臭いだよ。ハルトは、どうしてあんな臭いがしたと思う?」
少し考える。
「安宿だから?」
「どうだろう? あの人に聞いてみようか」
宿の中からこちらをうかがうおじさんが一人。服が汚れないようにエプロンをかけて、廊下を掃除するためのモップを持っている。
「お兄さん、シルさんの関係者かい?」
視線が合うと、向こうから声をかけてきた。
「冒険者ギルドのホンゴーです。シルさんがどうかしましたか?」
周囲を確認してから、モップを置いて道に出てくる。
「いや、最近ちょっと困っちまっててよ。ちょうど冒険者ギルドに相談に行こうと思ってたんだ」
「ほう」
「実はあの部屋、宿のモンも入れてもらえねぇんだ。んで、あの臭いだろ? 客からの苦情が増えちまって、客が居着かねえ。退去してもらえねぇかな」
困り果てた顔で、訴えてくる。商売ができなくなったら困るというのは、それはそうだろう。だが。
「申し訳ありません。冒険者と宿屋の契約に、ギルドが介入することはありません」
即答すると、おじさんはあからさまに不満そうな顔をした。
「おたくらは冒険者のまとめ役じゃねぇのか? 魔物から街を守ってくれた恩人にこんなこといいたかねぇけどよ。このままじゃ宿が潰れっちまうんだ」
「残念ですが、もしそれがもしそれができたとしたら、この宿に冒険者が一切泊まらないようにすることもできてしまいます。そんな力をギルドが持ってしまうのは恐ろしいことですよ?」
権力は牽制機構がないと安定しない。元の世界では立法・行政・司法の三権が牽制しあっていたが、こちらはの世界ではギルド・皇帝・神の三権がそれぞれ牽制しあっている。
「そりゃ恐ろしいけどよ。あのねーちゃんがここで恋人の後を追ったりしたら、取り返しつかねぇじゃねえか。あんた責任取ってくれるのか?」
どうやらある程度事情は把握されているらしい。
冒険者ギルドは元々冒険者の互助組織だ。なので助ける義務はあるかもしれないが、それは冒険者に対してだけで、宿屋はその範疇に含まれない。
「まぁまぁ。お気持ちはわかりますし、何も放置しようとしているわけじゃないんです。我々も今は待つしかできないんですよ」
「まぁ、あんたに言っても仕方ないんだけどよ。ホントなんとかしてくれよ」
おじさんは、ぶつくさ言いながら仕事に戻っていく。
「とまぁこのように、あの臭いは安宿だからって理由じゃない。ほかに思いつくことは?」
おじさんが見えなくなったところで、ハルトに向き直る。
「トイレを捨てに行ってない。ご飯を食べずに腐らせて捨ててない。身体を拭いてない?」
うん。僕もそれだと思う。こちらの世界で安宿に水洗トイレとかありえないので、客室ごとにおまるみたいな便器があるはずだ。この臭いはその処理ができなくなったからだろう。
「じゃあ、何でそうなったと思う?」
事前に言い含めて置かないと、また地雷源を走り抜けそうだ。
「彼氏が死んで、ショックを受けて寝込んでるから?」
だいぶ近づいてきた。
「そう。じゃあ僕らは何をすれば良いと思う?」
彼に仕事を教えるには、こうすれば良かったのか。
「ギルドの寮に移して生活の面倒を見る」
「それから?」
「立ち直れるよう応援する」
まぁ良いだろう。
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