ケース005 ケイン一家の無断就労

「どうして何の相談もなく働いたんだ」


 目の前でうなだれているのは、今は亡きC級冒険者ケインの息子、グランスだ。顔は腫れ上がり、服には鼻血らしき血痕が飛び散っている。


「おがあぢゃんにらぐざぜたぐで……」


 お母さんに楽をさせたくて、だろうか。ため息を吐き出す。

 前の世界でも、生活保護世帯の子どもが、親にもケースワーカーにも内緒でバイトしてしまうことはあった。事前に相談さえあれば、進学用の学費として、また独り立ちのための資金として、収入認定から部分的に除外できる。

 が、何の手続きもなしにバイトすれば、それはもう悲惨なことになった。翌年の調査で確実にばれるからだ。そうなるとその分は分割で返還せねばならず、生活は困窮してしまう。


 生活保護は、当初借金を背負っていてもケースワーカーが強制的に自己破産の手続きをさせるので、生活保護以下の生活水準になることはないが、生活保護の扶助から返還金が出てしまった場合はそれ以降確実に生活保護水準以下の生活になる。

 子どもは家を出ればそれまでだが、同じ世帯の家族はその後も長く苦しむことになる。


 どこかで線引きは必要なので、僕はこちらの世界でもルールを人情で曲げる気はない。


「ならなぜ僕に相談しなかった?」


 グランスは、おそらく隠れて稼げる仕事を探したのだろう。結果は、顔を見れば大体わかる。


 街の外を魔物が跋扈するこの世界では、街の外での農耕は冒険者の護衛なしには行えない。薬草はもちろん、果物や野菜などの採取も同様だ。だから、街の食料は冒険者がかなりの割合を供給している。

 つまり冒険者ギルドにそっぽを向かれたら、この街では生活できないほどの権力があるのだ。


「おがね、くれなぐなるとおぼっで……」


 グランスはまだ子どもなせいか、判断が悪手すぎる。領主に次ぐ権力を持っている冒険者ギルドに把握されずに稼げる仕事など、まずまともな仕事ではない。


「そうなるかもしれないし、そうならないかもしれない。ただ、ルールを守らなければ、ルールに護られることもなくなると覚えておくといい。今日は命があっただけ、マシかもしれないな」


 グランスはうつむいて、何も答えない。グランスの脂まみれのつむじをしばらく眺め、やがてあきらめる。


「まぁいい。今までいくら稼いだ?」


「どゔがごばい」


 銅貨5枚、だろうか。街の食堂で一番安い定食なら一食分。だが、生活費換算すると一日分と少しになる。育ち盛りの子らがいる世帯で、グランスの就労収入を失い、今回の費用の補填で生活費一部を失うのは辛かろう。


「ふむ。傷は浅いか」


 考えてみればケインの遺族は、保護を受けてまだ半月経っていないので、傷が深くなりようもない。早期発見できたのは僥倖だった。


「じゃあ、何をして、どうしてそんなことになったか、洗いざらい説明してもらおうか」



◆◇◆◇



「待て待て! 何の件かちゃんと説明してくれ!」


 冒険者たちは各自得意とする武器をぶら下げて、この建物を取り囲んでいた。部屋の中にも数人、一緒に踏み込んだ冒険者がいる。


 8歳の子どもに対する虐待。こちらの世界は前世の世界よりも倫理観は緩いが、それでも許されない範囲の悪行だ。ケインの生前の人望もあってか、報酬額が異様に安い依頼だったにも関わらず、多くの冒険者が参加してくれた。


「冒険者の遺族に手を出すたぁ、舐めた真似してくれんな」


 元A級、現C級冒険者のジャックさんが真新しい金属製の義手で、机を殴りつける。魔力がこもっていたのだろう。机の端が爆散して飛び散る。 


「ヒッ。うちはここに支店を出してまだ日が浅い! 何の件かわからねぇが、シマを荒らしたなら謝る! 腹を割って話そう」


 相手は最近この街に拠点を構えた新興の商会だ。ここに至るまで、スラム街で依存性のある薬物を扱ういくつかチンピラ組織を壊滅させた。

 この国に麻薬取締という概念はなく、法律も曖昧だが、領民に害のあるものを売った場合は当然領主の衛兵隊が出てくる。今頃末端の売人と、証拠と、大量の目撃者リストと、保護した重篤な患者がセットで衛兵隊に引き渡されているだろう。


 この状況でチンピラたちが賄賂などで釈放されてしまえば、衛兵隊の権威は失墜してしまう。つまり、我々との交渉がどうあれこの商会は終わりである。


「グランスってガキがいたろ。あいつはうちのパーティの忘れ形見でな」


 肩に大剣を担いだ半裸の大男はファーレンという。ケインとはパーティメンバーだったが、ケインが亡くなった依頼で軽傷を負い、今日が復帰初日になる。包帯は取れたが、全身の爪痕がまだ痛々しい。


「知らねぇ! うちじゃガキなんか雇ってねぇよ!」


「あんたらが連れてきたチンピラに、クスリとその売り方を教えたのはあんたらだろ? 同罪だって」


「その調子じゃ、用心棒ども含めて壊滅かーーーくそッ! 何なんだこの街は! 売人の確保はやりにくいわ、冒険者ギルドが強権的に介入してくるわ! てめーら、そもそも俺を捕縛できる権限なんぞねぇだろ! いいさ、こんな街出ていってやるから、そこをど」


 ペラペラと自白をはじめたところで、ダンッと大剣でボロボロの机が両断される。


「今回の依頼主はこの街の衛兵隊長さんでね。ちゃんとお目付役も同行してますよ」


 僕がしゃべると、男と視線が合う。男の顔になぜか怯えが広がっていく。冒険者ギルドに公的な権力がないのは百も承知。だが、権力側の依頼ならそのあたりは解決される。


「衛兵隊副隊長のエバンだ。こちらは領主邸の監査官。あなたはこれから適法に捕縛されて、詮議の上、全容は最終的に王太子府に報告されることになる。あなたが断首刑となるかどうかは、詮議への協力内容によるから、心するように」


 後ろから進み出てきたのは、少し豪華な衛兵隊の装備に身を固めた男だ。お目付役なので、建物が完全に制圧されてから護衛とともに悠々とやってきた。


「ざ、斬首!? いや、しかし……」


 男は腰が抜けたのか、その場にへたり込んでしまった。

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