第13話

華の泣き声が聞こえる。華はベッドの隅で体を震わせて泣いていた。さっき健司とすれ違った。何をしたのか問いただすべきだったかもしれない。

「ゆ、うじ」

華がこちらに気づいた。駆け寄ると、華が裕司の袖を掴む。

「こ、ここは、いやだ。ここに、いたくない」

「健司に、何された?」

華は首を横に振る。何もされていないはずがない。再度問いただしても華は涙を流すだけで何も答えなかった。華のしゃくりあげる声が大きくなり、呼吸が短くなっていく。また気を失ってしまうかもしれない。裕司は華の体を抱きしめて背中を擦る。

「落ち着け華。大丈夫。大丈夫だから…」

華は深呼吸を繰り返した。妊娠がわかり、翠と医師を怒鳴りつけていた時、気づけば華は眠るように意識を失っていた。

この家には華の平穏を脅かす障害が多すぎる。

「華、病院に入院しよう」

裕司は華が気を失ってからのことを思い出す。



翠は子供を諦めることはありえないと騒ぎ立てていたが、使用人に指示して翠の部屋に連れて行かせた。裕司は医師と向かい合う。

『どうして華に抑制剤を渡さなかった』

『それは、奥様の命令で』

『華は三日間部屋に閉じ込められて苦しんだ。俺の、アルファの抑制剤が効かないほど匂いを撒き散らしてた。本人が妊娠を望んでないことも知ってたよな?』 

裕司は爆発しそうな怒りを押し殺して医師に語りかけた。医師は歯を食いしばっている。オメガの抑制剤には避妊効果もある。万が一、華が閉じ込められていたあの時に、この家に別のアルファがいたらどうなっていたのか。もしも、健司がアルファだったら。

彼は産婦人科の医師だと言っていた。望まれない子供がどうなるか、その母親がどれだけ苦しむか、知らないはずがない。オメガの抑制剤には次の発情期の症状を抑える効果もある。抑制剤を貰えていれば発情期にあそこまで苦しむこともなかったはずだ。

『…霧島さんは今は産みたくないとおっしゃっていました。咄嗟に、緊急避妊薬を…』

医師は華に対して深い後悔を抱いているようだ。握りしめた手が震えている。

『華をここに置いておけない』

『…わかりました。特別室を準備します』

医師は頭を下げて携帯を取り出しながら部屋を出ていった。裕司は改めて華に向き合った。顔色の悪い華から寝息が聞こえる。医師が失神したまま眠ってしまったのだろうと言っていた。ここ何日か、華の体調は良くなかった。風邪だろうから近づかないようにしてほしいと言われて鵜呑みにしてしまっていた。まさか妊娠による体調不良だったなんて、想像もしていなかった。



裕司は華の部屋を出て階下へ降りた。古株の使用人に、華を見守るよう声をかける。その場にエリカの姿もあったが、彼女に頼むのはやめた。彼女に悪意がなかったとしても、今は華のそばに行かせないほうがいいだろう。

『準備が整いました』

玄関ホールに医師の姿が見えた。医師をダイニングルームに迎え入れる。今ダイニングには誰もいない。

『この家の人間誰にも伝えないで連れて行く。わかってるよな?華になにかあったら』

『私が責任を持って診察させていただきます。病室にもあなた以外は通さないよう、スタッフに徹底させます…こんなことしかできませんが、せめて、償わせていただきたい』

医師は深々と頭を下げた。華の妊娠に、深い自責の念を抱いているようだ。二度目の発情期に抑制剤を処方してくれていればこんなことにはならなかったはずだ。望まれない子供の妊娠に加担したことは、この男にとって深い傷になったらしい。

裕司は医師を見下ろしながら、これなら華を任せられるだろうと思った。こちらに負い目がある方が、なにかと使いやすい。裕司は華の部屋に向かった。

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