第15話
「白威に言われたんだけど」
脈絡なく独り言のように呟く。
周囲に誰もいない。白蛇だけが優子の声を聞いている。
「善い子になれって」
どうしたらいいの、と尋ねたら善い子になれと言ってきた白威。
それが正解だと思う。
あの時は腹が立って言い返してしまったが、善良な人間になれば村人からの攻撃はなくなるだろう。白蛇様に似合う女になったな、と褒めるようになるかもしれない。
「自分を悪い子だなんて思ったことはないわ。だって悪いのはあいつ等の方よ」
いつだって自分から攻撃をしたことはない。
やられたからやり返した。ただそれだけ。何もしてこなければ、優子だって何もしない。
先に手を出す方が悪いのだ。それを、まるで優子が性悪のように村人が言う。
「残りの三年間、善い人間でいようと思うわ」
今後も干ばつや豪雨が起こる可能性がある。そうなったらまた優子のせいにされ、母のせいにされる。
大人しく、慎ましく過ごせばいい。
何を言われても、何をされても、やり返さない。そんな小娘になる。
「…何よその顔」
顔だけ出していた白蛇は、優子の方を向いて怪しむように見つめる。
善良な人間になると言いながら、今どこへ行こうとしているのか。そう訴えているような気がする。
「これは、探求心よ。犯人を知りたいだけ」
絶対に嘘だ、という表情で優子を見上げる白蛇の首を掴む。
「本当よ。何もしないわ。これは探求心、探求心よ」
何度も探求心と繰り返し、納得させる。
本当に、犯人に報復しようなんて考えていない。
「本当よ。しつこいわね、そんな目で見るなんて」
ぴんっと小さな頭を弾く。
白蛇の分際で疑わしい視線を送ってくるんじゃないわよ、と付け加える。
案内されるがまま足を動かすと、一軒の家の前で立ち止まった。
ここだ、と白蛇の頭が数回動く。
その家は近隣も近隣。優子の家の、斜め向かいである。
この家に住んでいるのは夫婦だけで、子どもはいない。夫は意地の悪い顔をして優子を何度も怒鳴りつけたことがある。鶏の頭部のみを優子の家の前に置いたりと、陰湿な男だ。女の方は会う度に「黒髪はあっちに行け!」と卵や飼い犬の糞を投げつけてきた。
「もう一人は?」
顔から表情が消えた優子にびくりと反応しながらも、白蛇はその家の隣を指した。
その家は、夫に先立たれた女が一人で暮らしている。
この女二人はよく一緒にいる。まるで絆を深めるように、一緒になって優子へ物を投げつけるのだ。
母を奈落の底へ落そうと企んでいた女二人を突き止めると、優子は踵を返した。
本殿に戻り、白蛇を降ろすまで一言も喋ることはなかった。
翌日から優子は、人が変わったかのように笑顔が絶えない少女になった。
両親は急に性格が変わった娘を大層心配し、医者に診せたがどこも悪くないという。更には、誰かに変な薬でも飲まされたのではないかと思ったが、優子は「今までの私の行いは悪いものばかりだったから、凄く反省しています」と、目元を拭いながら、しおらしく言った。
優子の様子がおかしい。遂に改心した。白蛇様が優子に説教をしたのだ。そんな噂がすぐに村中を駆け巡り、村長が家までやってきた。
「優子や、どうしたんじゃ」
幼少期からあれだけ騒ぎを起こし、性悪で意地汚い小娘であったのに、今になって人が変わったと聞き、村長は不審さを隠すことなく優子に問う。
「村長、私は愚かでした。どうか今までの無礼をお許しください」
頭を下げる優子に村長は目を見開いた。
何かがとり憑いたように、優子の中身が一変している。
もうすぐ白蛇様との結婚である。改心しない優子が目に余り、白蛇様が優子から悪を追い出したのかもしれない。
村長は丁寧に頭を下げる優子を見て、笑った。
「いいんじゃ、いいんじゃ。やっとわかってくれたんじゃな。優子、お前が改心をせぬから村人はほとほと困っておったんじゃよ。禊をしようかとも考えたんじゃが、そうかそうか、よかったわい」
両親は禊と聞いて顔を真っ青にした。
黒髪の禊とは、村の端にある池に沈めることだ。
優子の幾つか前の黒髪は村から逃げ出そうと躍起になったため村人が捕え、両手両足を縛り、池の中へ沈めたという。結婚の数日前であったため、そこから毎日のように池に沈め、取り出し、また沈める。何度も繰り返し、逃げる気力を削ぎ、白蛇に捧げた。
黒髪に人権はなかった。
歴代の黒髪に比べると、優子はそれほど酷い扱いを受けていない。
優子の気が強いからというのもあるだろう。鋭い眼光で睨み、上からものを言う優子は紛れもない白蛇の花嫁。風格が備わっているので、大怪我を負わせるのは気が引ける。
「優子、嫁ぐまであと三年じゃ。それまでに良き花嫁となれ」
「はい、村長」
「白蛇様に尽くすための花嫁修業が必要かの。村の女に頼んでみるぞ」
「ありがとうございます」
ふわりと微笑み、礼を述べる。
こうしてみると、可愛らしい。数年後はきっと村一番の美人になるだろう。
もし黒髪でなかったら孫の嫁にしたい。惜しいな、と村長は優子の頭からつま先まで観察し、肩を落とした。
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