第3話
山脈に囲まれた村は狭く、子どもは一度山に入ると戻れなくなってしまうため、優子は村の中で遊ぶしかない。
山の中を探検したい気持ちはあるが、両親が不安の色を滲ませるので奥へは行かないようにしている。
いつものように優子は罵倒されながら村を歩き回る。白蛇様への献上物に傷をつける程愚かではない村人は、石を投げつけることや暴力を振るうことはしなかった。しかしそれは分別がつく程成長した者のみの考えであり、幼い子たちはその意に反し、優子に手を出すことが屡あった。
「生意気なんだよ!」
「お前、昨日いっちゃんを湖に突き落としただろ!」
「黒髪が調子に乗るな!」
優子が進む道を塞ぐように、同い年くらいの子たちが立ちはだかる。
拳を握って向かってきたので、優子もぽかぽかと相手の頭を殴る。
男女の差はあるが、負けず嫌いな優子は腕に噛みついたり、腹を蹴り上げたりと一歩も退かない。
頬を殴られても鋭く睨みつけ、髪を毟り取ることで抵抗する。
「私が白蛇の嫁になったら、白蛇に頼んであんたたちに仕返ししてもらうんだから!」
「ふん、白蛇様は俺たちを守るためにいるんだ!お前の言うことなんて聞くもんか!」
「じゃあ私、嫁にならない。あんたに意地悪されたから結婚しないって、白蛇に言ってやるんだから!」
「ばぁか!そんなことできるわけないだろ!」
「できるもん!」
「できない!」
「できる!」
「できない!」
歯を剥き出しにして言い合いをしていると、傍を通りかかった大人が怪訝そうな表情をして「何しているの?」と間に入った。大人が心配しているのは優子以外の子である。黒髪に怪我をさせられていないか、嫌な事を言われていないか、そんなことを気にしている。
自分たちは散々優子を罵倒しているのに矛盾している。
悪者にされるのは目に見えているので、優子は走ってその場を離れた。後ろから「待ちなさい!」と声がするが、そんなものは知ったことではない。
まるでゴミを見るかのような目つきと、理不尽な説教、嫌がらせに陰口、汚い罵倒。それらすべてが一身に降りかかる。そんな村に住みたいと思う方がどうかしている。こんな村、早く滅べばいいのに。
普通の子が友達と楽しく走り回っている姿を見て、羨ましいと思わないこともない。しかし、性根が腐っている子たちと友達になんてなりたくない。
もし自分が普通の子で、黒髪の子が他にいたとしたら。そんな想像をこれまでに何十回、何百回としてきた。結局その想像の答えはいつも同じだった。友達になるかどうかは、その子の内面次第だ。黒髪で嫌われているから友達になってあげる、ではなく、自分が友達になりたいと思えるような子ならば友達になりたい。
そして、追いかけっこやかくれんぼをしてみたい。最近では影踏みという遊びが流行っているらしい。地面に伸びる影を踏んで遊ぶのだ。普通の子たちの真似をして、花の影を踏んでみたり、家の影を踏んでみたが、動かない物を踏んでも楽しくはなかった。
友達ができるとは思っていないので、そんな遊びを一人でやるのも馬鹿らしく、すぐにやめた。友達がいなくても、一人で平気だ。普通の子は友達がいないと寂しくて泣くのかもしれないが、優子は普通ではない。普通ではないから、寂しくはないし一人でも平気だ。
「ん?ここまで来てたの」
ふと辺りを見渡すと、山の麓に来ていた。
目の前には石積みの階段がある。この階段を上ると、白水神社が待ち構えている。
普段、村人は神社へ行かない。閉じ込めたはずの黒髪が何故か姿を消すという謎に包まれている場所だからだ。不気味な場所へ好んで行く人間はいない。掃除に来ることはないし、村人を寄せ付けないと聞く。優子も神社へ行きたいとは思わなかった。自分が死ぬ場所へ行こうという気がなかった。
しかし、一度は下見をするのもいいかもしれない。
そう思い、一歩踏み出した。
大きな石を集めて作られた階段は段差が均一ではなく、平にもなっていない。凹凸のある階段から転げ落ちないよう注意していると、上るのに時間を要した。
「うわぁ」
色が剥げつつある赤い鳥居が構ており、境内も綺麗には見えない。
掃除されていないことは一目で分かり、枯葉や青葉が参道から境内までいくつも落ちている。
なんだか汚いな、と鳥居の下を通る。
普通は結婚をどんな場所で、そんな風に行うのか見当もつかないが、ここで結婚はしたくないと、幼いながらに感じた。
結婚は、とても大切なものだと聞いた。
父と母も結婚をしたから家族になった。家族になるために必要なことらしい。
今までの黒髪は神社に閉じ込められて、翌日には姿を消す。こんなところに閉じ込められるなんて、嫌だ。
白蛇を崇めているとはいえ、神社に村人が訪れないのは古くからの決まりでもある。白蛇と黒髪の婚姻が行われる時のみ、村人は鳥居より先に入ることができる。
長い間使われていない拝殿の裏に立っている本殿に、黒髪は閉じ込められるという。自分が入るであろう本殿の前でため息を吐く。
参道も鳥居も汚い。拝殿は木が傷んでいるのか、触りたいと思わない。
本殿も外観は汚らしい。中はもっと汚いだろう。開けたくはないが自分が入る場所なので、見ておく必要がある。
目を細めながら開けると、視界に入ったのは砂くらいで、他には何も見当たらない。これくらいなら、箒で掃けばなんとかなる。そう安堵したのも束の間、もわっと妙な臭いがする。
何年も洗っていない靴下の臭い。腐った絵具の臭い。村長を数年漬け込んだ臭い。
思わず鼻を摘み、開く扉をすべて開けた。
「くっさ!」
顔を背け、新鮮な空気を吸いこむ。
「こんな臭い場所で結婚なんて、嫌だ!」
白蛇様、白蛇様、と崇めるのであれば掃除くらいすればいいのに。
「白蛇ってもしかして臭いの!?」
確か父が、お爺さんになると臭くなると言っていた。だから村長も臭いのだと。そうだとしたら、白蛇が臭いのは年寄りだからだろうか。
そんな想像をし、絶望する。
村長と結婚なんて絶対に嫌なのに、村長みたいに歳を重ねている白蛇も絶対に嫌だ。
必死で空気を喚起しようと、両手で中の空気をぱたぱたと外へ出す。
ちらっと中を見ると、視界の端で何かが動いた。
何だろうと中を覗き込むと、白いものが壁に這っていた。
「…へび」
この時、優子は初めて白蛇を見た。
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