第4話

 壁を蛇行する白蛇は血のような色の目をしていた。

 もしかして、これが白蛇様なのだろうか。

 優子はしゅるしゅると動く白蛇の尾を掴み、壁から剥がす。


「あんたが白蛇?」


 白蛇は優子の手からぷらんと垂れさがる。

 先程まで壁を這っていた白蛇は途端に動かなくなったので、優子はぶんぶんと振り回す。


「ちょっと、聞いているの?答えなさいよ」


 腕を止めて白蛇を覗き込むと、目が合った。

 新鮮な血のような瞳はとても小さく、恐怖を与えるものではなかった。

 何も答えない白蛇を見て、にやりと不敵な笑みを浮かべた。


「ふうん、答えないんだ。私がこんなに聞いているのに、答えないんだ。未来のお嫁さんに返事をしないんだ」


 だったらこちらにも考えがある。

 優子は白蛇の頭部と尾をそれぞれの手で握りしめ、左右に引っ張る。

 白蛇の身体は硬く、握りしめただけでは潰すことができない。

 引きちぎってやる、と意気込んで精一杯引っ張るが白蛇は痛がる様子もなく大人しくしている。


「はぁはぁ、やるわね」


 優子が疲れただけで終わってしまった。

 ならば、と今度は白蛇の尾だけを掴んだまま床に叩きつける。


「この!この!!」


 ぺしぺしと床に叩きつける音が響くが、その音に反し全く痛がる様子はない。

 抵抗することなくされるままになっている白蛇は、なんてことないように優子の玩具になっている。


「なんてしぶとい奴なの…」


 すぐに死んでしまうと思っていたが、傷一つできていない身体を見て悔しがる。

 白蛇さえいなくなれば優子が嫁に献上されることはない。それに、この白蛇が原因で村からは疎まれ、両親も肩身の狭い思いをしている。優子は白蛇に対して良い感情を持っていなかった。


「ふん、丈夫なのね。じゃあもういい」


 握りしめた白蛇と床を交互に見た後、白蛇を箒代わりにして一人座れるように床の砂を払った。

 それが終わると白蛇を壁に投げつけ、その場に座り込む。

 白蛇は壁に激突すると床に落ち、漸く動き出して優子に近寄った。

 離れて行くのかと思いきや近づいてくる白蛇を怪訝な表情で眺めた。

 追い払うことはしなかった。

 あれだけやって、傷はつかないし反抗してくることもない。無害な白蛇に興が削がれていた。


「何よ」


 ちょろちょろと舌を出して優子から目を逸らさない。

 今の今まで暴力を振るっていたので、見つめられると居心地が悪くなり思わずふいっと顔を背けてしまう。


「あんたのせいで私は村から嫌われているのよ。お母さんとお父さんだって嫌な思いをしているの。村から出ようと思っても周りは山だし、逃げ場なんてない。逃げたとしても、猪や熊の餌になって終わりなのよ」


 白蛇は何も言わない。


「あんたの嫁になってどうしろっていうの。普通に考えて人間が蛇の嫁なんてなれるわけないじゃん。みんな頭おかしいんじゃないの?」


 村長も村の人々も優子が白蛇の嫁になると疑わない。

 言葉が通じない爬虫類と、一体どう生活するのか。


「まあ、嫁になるんじゃなくて、あんたをペットにしてあげることくらいはできるけど?」


 白蛇様をペットにするだなんて、なんと無礼な小娘だ。

 村長や村人が聞いたら目を吊り上げて、そう非難するだろう。

 しかし実際に結婚するのは優子である。その優子が白蛇との関係性をどうしようと、外野にとやかく言われる筋合いはない。


「どうする?ペットになる?飼ってあげないこともないけど」


 ふふん、と白蛇を見下ろす。

 白蛇は優子の言葉を理解したように足にすり寄ってきた。

 脹脛を撫でるように、甘えるように、肢体を擦りつける。


「決まりね。あんた、これから私のペットよ」


 白蛇の頭部を掴み、にひるに笑った。


「私に反抗したら駄目、傷をつけても駄目、私の言うことは絶対よ。分かった?」


 ちょろちょろと舌を何度も出している仕草を肯定と受取り、優子は満足気に笑った。

 この白蛇を連れて帰ろうと思ったが、そうなると村長や村人が毎日我が家に押し掛けて白蛇を前にし、頭を垂れる儀式を始めるかもしれない。

 村に住む人間がどれだけ白蛇を崇拝しているか知っている。

 両親にも迷惑がかかるかもしれないと思い、白蛇を指して言った。


「絶対私の家には来ちゃ駄目よ。あんたはここにいるの。私が来てあげるんだから、ここで待ってなさい。いい?」


 すると、白蛇は寂しそうに優子を見る。

 本当に寂しいのかは分からないが、優子にはそう見えた。蛇の表情なんて分かるはずがないのに、どうしてそう見えたのか自分でも不思議だった。


「ペットと思えば、可愛くないこともないわね」


 物心ついた頃から虫や鳥が嫌いではなかった。

 同年代の女の子は虫を見ると逃げ出していたけれど、優子は特段気持ち悪いと感じたことはなかった。蛇だってそうだ。逃げ出したい程気持ち悪いとは思わない。


「好きじゃないけど、可愛くないこともないわ。精々私に嫌われないようにしなさい」


 ふん、とそっぽを向いて立ち上がり、今日はもう帰ろうと神社を出た。

 白蛇は名残惜しそうに優子の後ろ姿を眺めていた。

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