第2話

「うわ、黒髪だ!あっちに行け!」

「不幸が移る!」

「黒髪が来たぞー!!」


 首が見える程度に切り揃えられた黒髪を持つ少女は、嫌そうに顔を顰めて逃げていく男の子の後ろ姿を見た後、歩を進める。

 七歳になったばかりの少女は大きな瞳をぱちくりと瞬かせ、傍にあった湖に映る自分の顔を眺める。

 今日は家に村長が来ると両親が言っていた。村長が来るから、外で遊んできなさいと。言われずとも外に出ているつもりだった。

 村は小さく、家の外で遊ぶといっても何もない。

 黒髪は厄災を招くという伝承のお陰で友達はできず、一人遊びも限界がある。

 外を歩けば「黒髪だ」「不吉な」「あっちに行け」と視界に入った村人から散々な言われようだ。

 まだ七歳だというのに、大人も子どもも躊躇することなく汚い物を扱うように少女を罵倒する。両親はそんな周囲に腹を立てているが、娘が外に出たいというのでその意志を尊重し、家に閉じ込めるようなことはしなかった。

 少女は湖に浮かぶ自分の顔をじっと見つめていると、背後で土を踏む音がした。一人の足音ではない。

 その音が近くなり、少女の真後ろに立ったと分かった瞬間、一歩隣に移動した。


「うわっ!」


 少女が移動すると同時に、男の子が湖に飛び込んだ。いや、飛び込んだのではない。少女の体を突き落とそうと両手を伸ばしたら少女の体が移動したので、押す背中がなくなったことにより勢いあまって湖に落ちたのだった。


「義郎くん!」

「お前、なんてことするんだ!」


 避けた少女を非難するが、湖の中でごぼごぼと溺れている男の子を助ける方が先だと判断し、一人が飛び込んだ。溺れている男の子を助けようと近寄るが、必死に息をしようともがく体を助けることができずにいた。陸に残された最後の一人が「大人を呼んでくる!」と言って血相を変えて走って行った。

 少女は湖の中で醜くもがく二人を見つめる。

 少女の名前は優子。両親が、優しい子に育ってほしいと思いを込めて名付けた。

 優子は、生きようと必死に顔を水面から出す二人に向けて中指を立てた。以前、優子より十も上の少年たちがしていた仕草だ。「死ね!」と言いながらしていた仕草なので、そういう意味だろう。

 優子は両親の願いも虚しく、優しい子にはならなかった。それだと語弊があるので訂正すると、両親に対しては優しい子になった。

 家に帰るとまだ村長が居座っていた。毎日訪問があるわけではないが、時々やってくる村長は優子の成長の様子を伺い、両親が村を出ようとしていないか確認し、釘を刺すのだ。


「黒髪に餓死はさせんでくれ」


 帰宅した優子を一瞥すると、その言葉を最後に扉から出て行った。

 村長の訪問があると両親は良い顔をしない。そのため、優子は村長が好きではなかった。それに、伝承も幼いながらに理解している。村人の命と引き換えに死ぬのだと、外に出歩く度に耳にする。


「村長、今日も臭かった」


 優子が、おえっと舌を出すと両親は笑った。


「はは、村長はもう六十になるからな。加齢臭かもしれない」

「かれーしゅーって何?」

「お爺さんになると臭くなるってことさ」

「えぇー、じゃあお父さんも臭くなるの?」

「お、お父さんは臭くならない!」

「でもお爺ちゃんになったら臭くなるんでしょー?」

「お父さんはならない!」


 頑なに否定する父と、それを見て笑いながら夕飯の支度をする母。

 シチューの香りが鼻を掠めると優子は急いで椅子に座った。夕飯を心待ちにして瞳を輝かせる娘は、母にとって愛しい宝物だった。


「優子、今日はお外で何をしたの?」

「んーっとねー」


 湖のことを思い出すが、これは母に言わない方がいいのだと知っている。

 娘がいじめられていることを知って悲しむ母を見たくない、という気持ちが全くないわけではないが、それよりも、溺れる男の子二人を放って帰って来たことを咎められると思ったからだ。

 しかし、それは自業自得であって優子の責任ではない。勝手に湖に落ちて、勝手に溺れていたのだ。優子が助けてあげる理由は何一つない。

 と、正当化するもののそれを口に出せないのは、母に怒られたくないからだ。悪い事をした自覚はあるので、目を泳がせて別の出来事を探す。


「…蟻の行列があった」

「ふふ、潰さないよう気をつけた?」

「う、うん!」


 途中で蟻の行列ができていたのは嘘ではない。潰していないのも嘘ではない。本当のことだ。何も嘘は吐いてない。

 様子のおかしい優子に母は気づきながらも聞くことはしなかった。

 本人は知らないだろうが、優子が今までしてきた「悪い事」は両親の耳にも入っている。例えば今日の湖の件は、今日から翌日にかけて両親の知るところとなるだろう。黒髪がこんな事をしたのだと、狭い村ではすぐに伝わる。それでも両親は優子を責めることはなかった。知らない振りをし、好きにさせている。

 十八になるその日まで、優子には可能な限り自由に生きてほしい。好きな事をして、やりたいことをして生きてほしい。

 優しい子に育ってほしい。その願いは変わらないがそれより、何よりも、自分を優先してほしい。優子の名前には、二つの願いが込められていた。

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