幕間 先生
幕間 先生
僕、
それは例えば、服装や髪色、ネイルやピアスに至るまで自由が許されていること。そんな放任主義すれすれの自由ながら、校内が全く荒れていないこと。その校風が生徒の羽を伸ばさせているのか、おのずから文武両道に力が入り、あらゆる部活動の大会でその名前を残していること。
そして何より個性的なのは、その中でもさらに個性的な人物にいつの間にか与えられる、異名の文化だろうと思う。
異名を持つことによって尊敬されるわけでも、異名を持つことに憧れを持たれるというわけでもないとはいえ、しかし、いつから始まったのかもわからないその文化が残り続け、根付いているのは、異名を与えられた者が、異名を与えられるに足るほど、その文化を裏切らないほどの個性を持っているからだろうと思う。
さておき、そんなゆる校。偏差値は割と高い。
一度は落ちたものの、合格辞退者が出たおかげで滑り込み合格を果たした僕には、ついていくだけで精一杯の学力を平気でみんなが叩き出している。その中でも化け物級に頭のいいやつがいたりはするのだけれど……、つまり何が言いたいのかと言えば、僕は塾に通わなければ勉強についていけないということだ。
マンツーマン。個別指導塾。
ここの先生が、もうとんでもなく曲者だ。
「えー、悪口?」
「まあ、悪口みたいなものです」
ぶー、と口を尖らせる先生。
名を、
今年いくつになるのか知らないけれど、見た目で言っても、正直よくわからない。身長は僕より低く、身体もその分小さい。女性のような顔立ちをしているし、長い髪を後ろでハーフアップに結ってはいるけれど、声はそこそこに低いし、なんとなく男っぽい話をしたりをしたりもする。どっちなのかが分からないし、なんなら日によって変わっているといわれても納得してしまいそうだし、訊いても面白がってはぐらかされる。
喋り方は乱雑で、一人称も乱雑で、年上にも年下にも見えるし、男にも女にも見えるしで、なんといえばいいか、もう本当にぐちゃぐちゃな人だ。
聞いた話だと、週一でしか塾には来ておらず、ほかは全く違う仕事をしているらしい。その仕事の内容は知らない。
「夕暮君は酷いねえ。私ってば、今夜の予定が枕を濡らすことになっちゃったぜ」
「勝手に溺れていてください」
「僕が溺れるのはね、愛にだけなんだよ」
ふふんと、語先生は笑う。
一人称はだいたい安定しない。「私」と「僕」が多いけれど、酷いときは「僕様」と言ったり「ぼかぁ」みたいに濁したり、「おいどん」みたいにわけわかんなくなったりする。
「夕暮君、最近溺れた?」
「初めてされましたよ、そんな質問。別に溺れてないですし、溺れてたら生きてないでしょう」
「いやいや、水だけに限らずさ、酒とか女に溺れてないかなって」
「いくつだと思ってるんですか。僕まだ十七ですよ?」
「そうだったっけ? そうだったかなあ。僕は違った気がするよ」
「僕がそうだって言ってるんだからそうに決まってるじゃないですか」
「自分を疑えってボナパルトも言ってたでしょうが」
「誰ですかボナパルトって」
「夕暮君は二週前の勉強も忘れてしまったんだね……私の教え方が悪いのかしらん」
「………」
ぶりっこのように両の指の先を合わせながら口を尖らせ、ぎゅっと目をつぶる語先生。
誰だろう、ボナパルト。
どうやら「自分を疑え」という言葉を残した人物らしいけれど、しかし、そんな話をした覚えはない。
「……すみません、わかりません」
「ナポレオン・ボナパルト。一八二一年没。フランス革命を起こした人物で、その後フランス皇帝になった人物だ。忘れるんじゃないよ、そんな有名な人物、偉人と言われてしかるべきナイスガイを」
指先は合わせたまま、片目だけで僕を見て、語先生は言う。
「じゃあ、自分を疑えって、ボナパルトが言っていたんですか?」
「それは知らん。適当言った」
僕が思い出せなかった理由はそこにはないのだろうけど、そんな大間違いな情報を一緒に提供しないでほしい。しかし、ナポレオンに関しての情報がすぐに出てくるあたり、伊達に塾の講師をしていないよなと思わされる。
というか語先生、多分滅茶苦茶頭のいい人なのだ。そう思わされる言動をよくする。頭のいい人はどこかおかしい、その言葉の体現者だと思えば、間違いはないだろうと思う。
「ところでボナパルトが言ってた「我がー」って言葉しってるよね?」
「区切るの早いんですよ。分かりますけど」
我が辞書に不可能という文字はない、さすがにそれは知っている。
「あの言葉をあっさり言えるってかっこいいよなあ……私だったら、「『不可能』はないですけど、『無理』はありますうー。その言葉に無理がありますうー」みたいに言い訳するもん」
「………」
一応は今、塾講師としてこの人に教えを乞うているわけで。
しかもやっているのはナポレオンどころか、歴史ですらない、数学の授業だ。
この人ほんとに雑談が好きなのである。
しかし、この人に勉強を教えてもらうようになって以来、僕の成績が向上しているのも事実。少しずつなんてものでは無く、飛躍的に。
憎めない人柄で、否定できない授業スタイルだ。
「夕暮君、その問題違うね」
さっきまでへらへらと全然違うことに一人で盛り上がっていたくせに、その調子のまま語先生は言う。
「問題文をよく読むことだよ。それはひっかけで置いてあるだけの何の関係もない数字だ。簿記試験みたいなものだよ」
簿記試験と言われても、僕はそんなもの受けたことが無いから分からない。
しかし確かに、さっきからどうにも計算が上手くいっていない気がしていた。
「数字は嫌いかい? 夕暮君や」
「なんですかその質問。数学は嫌いか、じゃないんですか?」
「数学も算数も、数字を使っていることに変わりはないんだよ。数字の嫌いな人間は、理数系が苦手なこと請け合いだね」
「……別に、考えたことないですよ」
「じゃあ問題」
にっこりと笑って、語先生は続ける。
「古代エジプトより、諸説はあるけど、人類の最初の方に産まれた三種の言語。ヒエラティック、デモティック、あと一つは?」
数学の問題ながら歴史の問題を出されたことに疑問を持ちつつも、僕は応える。
「……ヒエログリフ」
「正解。じゃあ、それは何年前くらいかな?」
「紀元前……三、くらい」
「四だけどね。まあ、それはいいや。でもね、数字はそれよりもずっと前に存在していたんだよ。イシャンゴ獣骨とか聞いたことない?」
「イシャンゴ……」
「まあ、覚えなくてもよしだ。諸説あるし、そうそう出ないだろうし」
ふふと、なんだか悪戯っぽく語先生は笑う。
「数字ってやつはね、あまりにも多くの人間を魅了してきたんだよ。没頭するあまりに不審がられ、攻め込んできた敵国に殺されてしまった人物がいるくらいにね」
「そ、そんな人がいるんですか……?」
「アルキメデス。夕暮君もさすがに知っているだろう?」
語先生の授業のこういうところが成績の向上につながっているのだろうと思う。
数学かと思えば歴史の授業が始まり、物理かと思えば英語の授業が始まる。すべてが一つ一つ独立した教科では無く、裏で密接につながっていることを教えてくれる。
つまりは、語先生は、教えるのも上手いのだけれど、勉強というものに興味を持たせるのが異様に上手いのだ。
だから僕も、勉強したいと思う。勉強の意欲が湧く。
「語先生って、何者なんですか?」
「神々語。探偵さ」
「さすがに探偵ではないでしょう。週一でしかここ入ってないんですよね? どこの大学行ってるんですか?」
「うん? 僕、別に大学生じゃないよ?」
「ち、違うんですか⁉」
露骨に驚いてしまった。
年齢不詳だとはずっと思っていたけれど、そうは言っても二十そこらの大学生だとばかり思っていた。そう思わせるだけの容姿だし、話題の若さを持っている。
「私、二十四歳。小説を書いて生計を立てられる程度の小説家さ。ここで講師やってるのは暇つぶしだね。うら若い子と交流を持ちたくて」
「ちなみに、小説家名は」
「言わないよ、恥ずかしい」
自分の身体を両手で包んで、恥ずかしそうな様子を見せる語先生。
男女どちらとも取れる人だけれど、ちょっとかわいいと思えるのがなんだか腹立たしい。
「あ、そうだ語先生。僕の高校にも小説家いるんですよ」
「ゆる校に? どちら様?」
「
僕がそう言った瞬間、語先生の眉が一瞬動いたのを、僕は見逃さなかった。
「ああ、有名人だね。小説だけじゃなく、芸術系統も凄いんだっけ?」
しかし、次の瞬間には嘘のように平静で、語先生はそう返した。
眉を動かしたのが僕の見間違いだったんじゃないかと疑わしくなるほどだった。
「芸術に関しては披露の瞬間が少ししか無いから分かりませんけど、少なくとも頭は凄くいいと思いますよ。あと、めっちゃ美少女です」
「ふふふふ」
「なんで笑ってるんですか」
「ううん。なんでもない」
別に語先生のことなんかこれっぽっちも褒めていないのだけれど。
まるで、自分に言われているかのように、照れた様子を見せている。
よく分からない人だというのは、再三言っていることだ。
「仲良いのかい? 夕暮君は」
「なんか、男が苦手、みたいなことを言っていたんですけど……僕は大丈夫なんですって。なんか、パパに似てるからとか、どうとか」
「……ふうん、そっか」
少しだけ息を洩らして、呟くようにそう言った語先生。
視線を落とし薄く笑んだその表情は、なんといえばいいか、本当に穏やかな、この人もこんな笑みを出せるのかと驚かされるような表情だった。
「どんな子なの? つづ——物部さんは」
ぱっと切り替え、なぜだか名前を訂正して、語先生は問う。
「どんな子………あ、語先生、ゆる校の異名の文化って知ってます?」
「もちろん。母校だし、私も貰ってたから」
「そ、そうなんですか⁉ な、なんて異名だったんですか?」
「『
「それは…………なんとも」
『
語先生に異名がついていたことは驚かない。それに、異名云々の前に、当て字として上手いこと言えているような気がする。しかし果たして、語先生に与えられていた異名としては上手いのだろうか。
綴が天才でありながら親しみやすいのと違って、語先生は単純な実態の不明瞭さのようなものがある。普段小説を書いている人物だと知ることが出来たものの、人間味を感じられない瞬間が多い。
そんな人が真人間とは。
僕の異名よろしく、皮肉でも言われているのだろうか。
「ま、それは置いといてさ、じゃあ物部さんにも異名があるんだ」
「……ひょっとして、知ってますか?」
指を組み、目を細めるようにして僕を見る語先生。
この人は時折、語先生自身が知っている事実を、わざとらしく知らないふりをして聞いてくる。
理由はいまいち分からない。面白がっているだけだと思っている。
「『
「……語先生って、何者なんですか?」
「神々語、探偵さ」
「さっきも聞きましたよ、それ」
「ま、なんでもいいでしょ。それで? 学校での物部さんはどんな人なの?」
にっこりと笑って、語先生は言う。
「接しやすい子ですよ。天才だと思わされる瞬間も多いですけど、でも、ただの女の子っていう瞬間もずっとおおくて。モテてますよ、おかげで。誰にでも優しい上に、美少女ですから」
「顰蹙を買ったりしてない?」
「そこは『
「面倒な一件?」
「えっと……仔細は省きますけど、虐待を受けている子がいて、その子を助けるために、綴自身が悪になったんです。それが一番の策だったって」
つい一週間くらい前の、『
根本的な解決は出来ていないのだろうけど、件の子は、今はかなり安定しているらしい。それは綴の策のおかげで、しかし、その策を実行するにあたって、綴は自分自身のことを酷く傷つけてしまっただろうと思う。
「夕暮君は、何もしなかったの?」
「綴の策への協力くらいで、それだって何もしていないようなものです。だから、僕に出来たのなんて、綴に、僕が味方だって、伝えたことくらいですよ」
綴がどんな選択をしようと、その子を助けたいという思いの元に行ったこと。
それも、自身を傷つけてまで、その子を助けようとしたのだ。方法がどれだけ危険であったとしても、少なくとも、僕だけは綴の想いを知っていて、だからこそ、味方であることを示す必要があった。
なんていえば多少は聞こえがいい。
それしか出来なかっただけだ。
「それが出来たなら上々だよ、夕暮君」
語先生は言う。
「自分が味方であることを示す。簡単そうに見えて、難しいことだ。それを選択できて、示すことが出来て、寄り添った。夕暮君は凄いよ。誇るべきことだ」
「……見ていたみたいな言い方ですね」
「見ていたわけじゃないよ。でも、きっと事実だろう。自分がいい人だと思うのは苦手かい? 夕暮君」
「そう思える人の方が、少ないんじゃないですか?」
「そうだね。だからこそ、夕暮君は僕の言葉を素直に受け取りなさい。自分がいい人だと思えないのは勝手だが、他者からの評価も受け付けられなくなるのは、苦しくなるよ」
真剣に、それでも笑みを交えて、語先生は僕の目をまっすぐに見つめていた。
濁りの無い、澄んだ瞳。
綴と、同じ目だ。
「大切にしなね。迷いなくその行動を起こせる自分を。起こしたいと思えた相手のことを」
語先生は、小首をかしげるようにして、優しく笑んだのだった。
幕間 終
次章 『
夕暮れを綴る @minakami-you
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。夕暮れを綴るの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます