第2話
その日の午後の授業もあまり集中出来なかった。ヒロシの発言を聞いて、いろんなことがまざまざと思い出されたからだ。
あれは中学一年の二月、俺が慕っていた父方の祖父が癌で亡くなった。
その半年前の八月、病院にお見舞いに両親と行った時、
「ユウジ、お前は人に優しく出来る心を持ってる。だから何か人の役に立つような仕事に就いてくれると嬉しいな。」
と慕っている祖父からそう頼まれたことと祖父が弱っていくのをただ見ているだけしか出来ない歯がゆさから、俺は祖父の目をじっと見つめて
「安心しておじいちゃん。俺、将来医者になるから。そのためにまず進学校の〇〇高校を目指すよ。」
と返答した。
俺の返答を聞くと祖父は微笑み
「そうか。これで安心してあの世に行けるな。」
と冗談を言った。
すぐに俺や両親が
「そんなこと言わずに長生きしてよ。」
と訴えたら、祖父は笑いながら
「分かってる。分かってる。」
とだけ返事をした。
祖父のお見舞いの帰り道、両親に
「本当に医者を目指すのか?」
と尋ねられた。
「うん。本気で目指そうと思ってる。」
と俺が答えると
「とりあえず○○高校に合格してから考えれば良いよね。」
と含みのある返答をされた。
両親としては地元の公務員になって欲しいのだろうけど、俺は祖父に宣言した時から医者を目指す気が満々だった。家計のことを考えて俺は学費の安い国公立大学の医学部を目指すことにした。そのためにはまず家から通えて県内有数の進学校である○○高校に合格することを目指そうと思った。
自分を奮い立たせるために仲の良い友人だったヒロシに
「俺、医者を目指すよ。」
と伝えていた。
それからは勉強を頑張り、通っていた市立中学の定期試験では常に上位には入るようになっていた。そして中三の進路を決める三者面談では○○高校を受験することを担任の先生に反対されることもなかった。それで大丈夫だろうと思って受験した○○高校に無事合格することが出来た。
しかし、喜んでいられたのは高一の五月くらいまでだった。初めての定期試験の結果が芳しくなかったからだ。それも仕方がなく、○○高校は県内有数の進学校なので、周辺の中学でトップの学力を持った学生が入学してくる。だから、普通の市立中学の定期試験で五位以内に入るのがやっとだった俺が、○○高校で良い成績をとれるはずがなかった。
「まあ、次の定期試験で頑張ればいいさ。」
それでもまだこの時の俺は甘い目論見を立てるくらいの余裕があったが、一学期の期末試験で、その目論見も粉々に打ち砕かれた。試験を受ける前から分かっていたが、数学の授業に付いて行けなくなっていた。
進学校の早いペースの授業では、俺の理解力だと予習・復習しても付いて行けなかった。医学部を受験するためには、数学も高得点を取らなくてはいけない。そのため俺は定期試験で良い成績が取れるようになるまでは
「医者を目指しています。」
などとは口が裂けても言わないようにしようと考えた。
けれども、いくら予習・復習しても、分からないところを先生に聞いても、次の授業でまた分からないところが出てきてしまうのを繰り返すうちに数学に苦手意識が出来てしまった。
そうなると落ちぶれるのは早かった。定期試験の目標点数が八十点、七十点と下がっていき、高一の三学期には学年平均点より高い点数を取れればいいと思うようになっていた。更にその頃には医者を目指すという目標も見失っていた。
しかも俺の試験の結果を見ていた両親からの
「別に無理して理系に進まなくてもいいんだよ。私たちは将来、ユウジが地元の公務員になってくれればいいと思っているんだから。」という甘いささやきに乗ってしまい、クラス選択で文系を選択してしまった。
今でもその選択が間違っていたとは思っていない。その当時は数学で良い点数を取れないことでかなり追い込まれていて、文系のクラスに進んだことでかなり解放された気持ちになったのも事実だからだ。
でも、今考えてみるとそれが一番良い選択だったかは自信がない。さっきヒロシが言っていた、西本という講師の数学の授業を受けてから数学の苦手意識が少なくなってきたからだ。
西本先生はいつも
「数学は論理的思考を身に付ければ簡単に解ける。」
と常に言っている人で、一つの数学の問題で何パターンも解き方を教えてくれたりした。西本先生の授業をもっと早く受けていたら、高校で理系のクラスを選んでいたかもしれないと今は思ってしまう。
それだけでなく、今からでも遅くはないのではないかと思い、また医学部を目指したい気持ちに火が付き始めていた。だが、そんな考えを振り払うように
「父さんが許す訳がないから考えるだけ無駄だよな。」
と考えをまとめたところで、午後に受講している授業が全部終わった。
普段ならこの後自習室で自習するのだが、今日は集中出来そうになかったので帰宅することを選んだ。
「ただいま。」
「お帰り。どうしたの?今日は随分早いじゃない?」
「あ、その、体調が悪くてさ。」
「あら風邪?熱はない?食欲はある?」
「食欲はあるよ。熱は今から測る。」
俺は体温計で体温を測った。
(仮病だから熱はないんだけどな。)
そう思いつつ計測結果を見ると三十六度九分だった。
(たぶん自転車をこいで来たから、ほんのちょっと普段より体温が高いのだろう)
と俺は思った。その結果を母に見せると
「熱は無さそうね。何か食べたい物はある?」と聞いてきた。
「そうだなぁ。枇杷が食べたい。」
ビワコのことを思い出してから何故か無性に食べたくなった枇杷をリクエストした。
「枇杷?枇杷ねぇ。もう旬が過ぎちゃっていると思うけど、とりあえずお店で探してみるわ。」
「うん、ありがとう。俺部屋で寝てるから。」
俺は自室へ行き、そのままベッドへ倒れ込んだ。窓が開いていたので夕暮れの涼しい風が部屋に入ってきていた。
「それにしても夢に出てきたのが何でビワコだったんだろう?おじいちゃんが出てきたら『医者を目指してほしい!』というメッセージだと思えるけど、ビワコには…伝えて…なかったよな?医者に…なるって…。」
ビワコが夢に出てきた理由を考えているうちに、俺はいつの間にか眠ってしまった。
「…ねぇ、ユウジくん。」
自分を呼ぶ声に気が付いた時には、また俺は中学校の教室にいてビワコが目の前にいた。
「ねぇ、ユウジくん聞いてる?私は主人公が好きなんだけど、ユウジくんの好きなキャラは誰?」
「(確かこれは中学の時、ビワコに実際に聞かれた質問だな。え~と、あの時は確か)俺が好きなキャラは中佐だな。度が過ぎた子煩悩なところが面白くて好きだな。あと死に際がカッコいいしね。あと好きというか印象深いキャラは賢者の石を作っていた医者が結構印象深いかな。」
「えー?あの医者って人体実験してたじゃん。いくら罪悪感から隠れていた町で医者をやっていたとしても私はあまり好きじゃないな。」
「俺も別にそんなに好きって訳じゃないけど、医者が少ない所で医者をするって結構大変だと思うんだ。そこに少し憧れるかなって…。」
「憧れるって、ユウジくんは医者を目指してるの?」
「え~と…その…目指してるよ。悪いかよ。」
「ううん。医者を目指すなんてすごいと思う。」
「誰にも言うなよ!まだ家族以外だとヒロシにしか言ってないんだからな。」
「分かった。誰にも言わない!秘密にする!」
そこでハッと目が覚めた。ゆっくりと今見ていた夢での出来事を思い出していった。そして昼間には思い出していなかったことに気が付いた。
(そっか。俺、ビワコに言ってたんだな。『医者を目指してる。』って。)
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