第104話:大人の誕生日 その1

 ――海から帰ってきた翌日。


 その日、バイトも他の予定もない俺はゲーム製作の作業に没頭していた。


 今、俺が担当している作業は主に実装するイベントのレベルデザイン。


 ランダムに発生するイベントが肝のゲームデザインなので、ここの出来の良し悪しがゲーム全体の面白さに直結する。


 絶対に手は抜けないと、普段の学生生活では発揮したことのない集中力で作業を行う。


 朝起きてから食事以外にはほぼ手を止めずに、当初予定していた一日の作業量を超えても黙々と続けていく。


 そうして気がつくと、いつの間にか時刻は夕方になろうとしていた。


「もうこんな時間か……」


 モニターの右下にある時計を見て独り言つ。


 そろそろ家のこともしておこうか……と、椅子から立ち上がる。


 洗濯物を取り込み、軽く掃除をして、冷蔵庫の中身を確認する。


 夕食に出来そうなものはまだ残っていたので、買い物の必要はなさそうだ。


 それならもう少し作業できそうだとまた定位置に戻ると――


「……ん?」


 ちょうどグラフィック担当のスフィアさんから通話の着信が来ていた。


 ヘッドセットを付けて着信を取ると、いつもの謎球体アバターが画面に表示される。


『今、時間大丈夫か?』

「なんですか?」

『女パラディンの戦闘モーションが出来たから意見をくれ』


 相変わらずの合成音声の女性声で要件が簡潔に伝えられる。


「いいですけど……わざわざ俺の方にに個別に送ってもらわなくても、リポジトリの方に上げれば良くないですか?」

『いや、大樹に見せる前にお前の意見を聞いとこうかなって思って』

「ああ、なるほど……」


 少し怖ず怖ずと言われたその言葉に納得する。


 俺も前に喰らったけど、大樹さんのダメ出しは的確な鋭さで問題点と心を抉ってくる。


 特にスフィアさんは大樹さんに対して強い反骨精神を持ってるみたいだから、その前に少しでも完成度を高めておきたいんだろう。


「ちょっと待ってください。今確認するんで……」


 そのまま速度や背景を変えたり、一時停止して細かい分を確認したり、様々な条件下で送られてきたアニメーションを繰り返し見る。


「すごく良く出来てますね」


 まず、その出来の良さへの感想を端的に述べる。


 デフォルメされた2Dのキャラクターという制限の中で、よくここまで豊かな表現ができるものだと感心する。


 大樹さんも横谷さんもそうだけど、このスフィアさんも人格以外はもっと大きな開発に携わっていてもおかしくないくらいに優れている。


 改めて、本当にすごい人たちと一緒にやれてるんだなと実感した。


『そんなの当たり前だろ。褒めるのは完成した時でいいから気になった点はねーのか?』

「気になった点って言われるとちょっと難しいんですけど……」

『なんでもいいから思いついたことを全部言え』

「だったら、そうですね。まず、最初に少し気になったところなんですけど……通常攻撃のモーションで剣を振る時のスピード感が均一すぎて――」


 言われた通り、気になったところを三十分ほどかけて全部言った。


「……って感じなんですけど、どうですか?」


 ちょっと言い過ぎたかな……と思って、最後は少し下手に出ながら尋ねる。


『ちっ……大樹がもう一人増えやがった感じだな……ちょっと待ってろ……』


 スフィアさんはそう言い残すと、マイクをミュートにした。


 待ってろと言われたので、画面上で停止したアバターを見ながら待つ。


『これでどうよ……?』


 そうして数分後、俺の意見が反映された修正版が返ってきた。


 めちゃくちゃ速い……しかも、さっきのより断然良くなっている。


「さっきよりすごく良くなってると思います。これ、通常攻撃のモーションはコマ数を減らしたんですか?」

『おう。お前の言った通り、確かにそっちの方がスピード感が出ていいな。これで大樹のやつから文句も出ねーだろ』

「そうだといいですけどね」


 大樹さんは本当に細かいところまで見てくるから安心はできない。


 俺も追加イベントの案を提出した時には……思い出すだけで胃が痛くなってきた……。


『でも、やっぱり光ちゃんのことはお前に聞くのが一番だな』

「光のことって……まだそれ言ってるんですか……?」


 どうしても、この女パラディンのモチーフが光だと認めさせたいらしい。


『そりゃお前……こんだけ露骨だと誰でも分かるって』

「いやいや……よくあるキャラじゃないですか……セイバー的な……」

『にしてはキャラデを起こす時に、この子だけやたらと細かい指定をしてきたよなぁ……』


 画面上でアバターがジト目になって訝しんでくる。


「そ、そうでしたっけ……」

『髪の毛の長さはもう少し内側に跳ねる感じだとか、目はもう少し大きく丸っとした感じで……とか何回もリテイク出してきたよなぁ……?』

「り、リテイクっていうか……あくまで意見を出しただけじゃないですか……」

『正直に本当のことを言え。今、白状するならここだけの話にしといてやる……』


 画面上でアバターがジッと目を細めてこっちを睨んでくる。


 光を参考にしたかしてないかで言えば、ぶっちゃけ参考にはしている。


 でも、それはあくまで光をキャラクターに落とし込んだ際に魅力的だと思ったからで、断じて個人的な事情とか惚気けではない。


「まあ、さっきの攻撃モーションの修正案なんかは確かに光がテニスをやってる時のラケットの振り方を参考にしたりはしましたけど……」


 でも、それを真正面から伝えるとまた変な角が立ちそうなので百の事実から一だけを摘んで誤魔化した。


『本当にそれだけかぁ……?』

「それだけですよ」

『完成したら真っ先に光ちゃんにプレイさせて、「君のために作った作品だよ……」「まあ、素敵! 抱いて!」ってイチャコラチュッチュする気じゃねーだろうな!?』

「ま、まさか……流石にそこまで公私混同するわけないじゃないですか……」


 さ、察しが良すぎるだろ、この球体……。


 ほぼ100点を与えても良いくらいの邪推に内心で慄いてしまう。


『本当か……この作品に不純はないと誓って言えるか……?』

「い、言えますよ……もちろん……」


 流石に認めるわけにはいかないと、嘘を吐き通す。


 でも、改めて考えるとあの約束はかなり不純な気がしてきた。


 今日の作業が普段より捗ったのも、下心の力だったのかと言われると否定はしきれない。


『そういやお前、光ちゃんと海に行ったらしいな……?』


 さっきの話で変なスイッチが入ったのか、更に自らの火に油を注ぎ始めやがった。


「な、なんで知ってるんですか……」


 同級生と遊びに行くから数日休むとは伝えてたけど、光と海に行くとは伝えてない。


 誰から漏洩したのかは概ね予想はつくが、一応聞いておく。


『大樹から聞いた』


 やっぱり、あの野郎か……。


『水着も見たのか?』

「そりゃまあ……海水浴に行ったんで……」


 そこは誤魔化しても仕方がないと、正直に答える。


『くそっ……彼氏の分際でマウント取りやがって……』

「取ってませんって……完全に被害妄想ですよ……」

『モデルの仕事じゃ絶対に水着にならないのに! お前にはそんな簡単に水着を見せるんだな! どんな水着だった!? せめてそれくらいは教えろよ! ビキニか!? ビキニだったのか!? 写真は!? 写真を見せろ!!』

「写真なんて撮ってませんよ……」


 本当は旅行中に撮ったり撮られたりした写真がPC内に百枚以上存在している。


 でも、ここで真実を伝えるとハッキングされてもおかしくない。


 少なくともそれくらいの狂気を感じている。


『てか、今週末って光ちゃんの誕生日じゃねーか!』

「詳しいですね……」

『当たり前だろ! あたしが光ちゃんのことをどんだけ愛してると思ってんだよ!! 8月8日!! 去年の8月9日からカウントダウンしてたっての!! なのにお前が全部もっていきやがって!! あ゛ぁぁああああッッ!!! 創作意欲が湧いてきたぁあああああああ!!!!』

「あ、あたし……? スフィアさん、今あたしって――」

『うるせぇ! どうせ誕生日も二人きりで過ごしてエッチなことする気だろ!! 先に一つ歳を重ねて私の方が大人になっちゃったね……って、ちょっと大人っぽい色気を醸し出すようになった光ちゃんに誘惑されて歳だけじゃなくて身体も重ねて大人の階段を登る気かこの野郎!!』

「妄想に妄想を重ねてキレないでくださいよ……」

『するならせめて通話をこっそり繋いだままにして音だけでも聞かせろ!』

「絶対に嫌です……」


 そもそも光はそんなことを言うようなタイプじゃないし……。


 ――――――


 ――――


 ――


 ……なんて益体もない話をしてたのが数日前のこと。


 時間はあっという間に経ち、俺は光の誕生日当日を迎えていた。


「ねぇ……黎也くん……」


 膝の上に座って対面する形で、光が俺の名前を呼ぶ。


 普段はハキハキと元気に喋る彼女が、今は妙に耳を擽るような甘い声色になっている。


「な、何……?」

「私、今日誕生日なんだよ……? 分かってる……?」


 そう言う彼女の目も、半分閉じたように据わっていて普段とは全く違う印象を受ける。


「もちろん知ってるっていうか……それをさっきまで祝ってたんだけど……」


 肩越しに見えるテーブルの上には、さっきまで食べていた俺の手料理とまだ手つかずのバースデーケーキが置かれている。


 二人で過ごす初めての誕生日のために、どっちも俺が前もって準備していたものだ。


 それで盛大に、二人で楽しく祝っていたはずなのに――


「じゃあ、何をすればいいかも……もちろん分かるよね……?」


 更に目を細めて、普段とは違う蠱惑的な雰囲気を醸しながら聞かれる。


 どうやら光にはまだ満足していない何かがあるらしい。


 あるらしい……が、それが何なのかはさっぱりと分からない。


「一緒にケーキを食べながらゲームする……?」

「全然違~う……」

「なら、全然分からないんだけど……」

「じゃあ、ヒント……私は黎也くんよりも先に一つ歳を重ねて大人なりました……」


 いや、本当に言うのかよ……!


 心の中でツッコミながら、どうしてこんな状況になったのかを紐解く為に今日一日の出来事を最初から思い出すことにした。

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