閑話:するorしない(朝日光の場合)後編

「…………えっ? ぴ、ぴる……? さ、サイレント・ピル……?」

「んっと……低用量ピルってやつ……。その、女性ホルモンを調整する薬なんだけど……大会とかでパフォーマンスを安定させられるようにスポーツ選手は飲んでる人が結構多くて……私も結構前から服用してる感じ……」


 もう自分が何を言ってるのか分からなくなってきた。


 えっと、えっと……そもそも、なんでこんなことになってたんだっけ……。


 まず、黎也くんがあれを持ってて……つまり、それを今使おうとしてたわけで……。


 その相手はっていうと……当然、私だよね……だって黎也くんの彼女だし……。


「へ、へぇ~……」そ、それって……身体には影響のないもんなの……?」


 ……え!? なんでこの話に乗っかってくるの!?


「ん~……合う合わないはある薬で、人によっては頭痛がしたり、血栓が出来たりするらしいけど私は全然大丈夫な方かな。副作用もほとんどないし……」


 な、なんで私も普通に返しちゃうの……!?


 自分から切り出した話題なのに、まだ続くことに困惑する。


「へ、へぇ……そ、そうなんだ……そりゃ良かった……」

「ご、ごめん……いきなり、変な話して……ちょっとデリカシーなかったかも……。さっきまで盛り上がりすぎて、頭がぼーっとなっちゃってるから……」


 なんとか話題を軌道修正しようと今度は場当たり的な言い訳をする。


 頭がぼーっとなってるのは本当だけど、理由がそれじゃないのは分かってる。


 でも、本当のことを口にすると先に進むしかなくなってしまうのが少し怖い。


「い、いや……多分、俺も知っておいた方が良かったと思う……光の身体にも関わる大事なことだし……」

「でも、これが要らないってどういうこと……?」

「ん……主な用途はさっきも言った通りなんだけど……その……それ以外にも、すごく高い避妊効果もあるんだって……それ、よりも……」


 彼が手の中に握り込んだ物を指し示しながら言う。


 その言葉にどんな意味があるのか、今の私の頭ではもう理解できない。


 ただ、なんとなくすごいことを言ってしまってるんだろうなとは思った。


「そ、そうなんだ……」

「うん……そうなの……」

「し、知らなかったなぁ……」

「私も……一応、知ってただけだから……一応……」


 互いに手を繋いだまま黙り込んでしまう。


 気まずい。すごく気まずい。


 これじゃまるで、私がそれをつけずにあれをしたがってるみたいじゃん……。


 先に持ってきたのは黎也くんの方なのに……あっ、それなら!


 ピッコーンと頭に妙案が思い浮かぶ。


 今、私のところにあるボールを向こうに打ち返せばいいんだ!!


「それで……どうするの?」


 決定権を向こうに委ねてしまえば――


「えっち……する?」


 なんか……もっといやらしくなっちゃってない……?


 というか、より後に引けなくなっちゃったよね……これ……。


「そ、それは……俺と、光が……ってこと?」


 彼の言葉に、身体が自然と首を縦に振って答える。


 これ……もう後に引けなくなっちゃってるよね……。


 もし、今ここで黎也くんがしたいって言ったらするしかなくなっちゃうよね……。


 エッチしちゃうの……? 今から、ここで……?


 それはもちとん付き合うってなった時にそういうことを考えなかったわけじゃないし、いつかはするんだろうなーとは思ってたけど……。


 正直興味もあるかないかでいえばあるし……。


 心の準備も……まあ、出来てなくもないんだけど……。


 着々と自分の中で、もし彼が『したい』と言ってくれた時の準備を進めてしまう。


「光は……? 光はどう思ってる……?」

「わ、私……? 私に聞くのは……ずるくない?」

「いや、だって……そういうのはやっぱり、二人の意思を合わせないといけないし……」

「う~……」


 打ち返したはずのボールがまた自分に戻ってきて、頭がグチャグチャになる。


 そういうことは進んでいる誰かの話を聞くくらいで自分には関係のない、どこか遠い世界での出来事のように思っていた。


 でも、今は違う。


 生まれて初めての恋人が出来て、親密に触れ合って、キスもいっぱいした。


 これ以上はないって思うくらいの『好き』が、日に日に膨れ上がっていっている。


 そんな身体の中に溜まった大きな熱が、肺から喉へとせり上がって――


「そんなの……黎也くんとならしたいに決まってるじゃん……」


 口から心臓が飛び出しそうなくらいの恥ずかしさの中で、率直な思いを言葉にした。


 黎也くんとしたい。


 私の一番大事な初めてを、大好きな彼に捧げたい。


「……で、黎也くんはどうなの?」


 恥ずかしくて死んじゃいそうな中で、もう一度ボールを打ち返すと――


「…………もちろん、したい。俺も光としたいに決まってる」


 彼も同じ気持ちを口にしてくれた。


「ん……素直でよろしい……」


 そんな風に言ってしまうのは、照れ隠し以外の何でもない。


 私、今から本当にしちゃうんだ……。


 心臓が恥ずかしいのか嬉しいのか分からない感情でドキドキと高鳴ってる。


 ていうか、するってことは裸を見せないといけないんだよね……。


 どうしよう……私の身体、変なところあったりしないかな……。


 下着も、寝る時用のじゃなくてもっと可愛いのあったんじゃないかな……。


 そんな心配事があれやこれやと頭に浮かんでパニックになっていると――


「けど、今はまだ違うのかなとも思う……」


 黎也くんが少し神妙な口ぶりで、そう言った。


「え? ま、まあ……私もみんながいるとこでってのは流石にあれだし……今度、黎也くんの部屋での方が……」


 確かに言われてみれば、今から皆がすぐ近くにいるところでするのはダメだよね……。


 カラオケに夢中になってるって言っても、様子を見に来たりするかもしれないし。


 だったらちょっとだけ我慢して、いつも通りに黎也くんのお家で……。


 で、でも……そっちはそっちでお隣の人に声とか聞かれたりしないかな……。


 ていうか私、声とか出しちゃうのかな……。


 女の子の方は初めてだとそんなに……って聞くし、我慢すれば……。


 でも、黎也くんに触られたら絶対に出ちゃいそう……今も想像するだけで身体が変な感じになっちゃってるし……。


「そ、それもそうなんだけど……その、するってなったら色々と考えなきゃいけないこともあるわけで……」

「考えなきゃいけないこと……?」


 なんだろう……考えなきゃいけないことって……。


 も、もしかして……! ちょっと特殊な趣向があるから準備が必要ってこと……!?


 そういえば、前に部屋から回収した本は両方ともコスプレっぽいやつだったよね……。


 する時にああいう衣装を着てないとダメってことなのかな……。


「ほら、例えばその……妊娠の可能性、とか……? でも、光にはまだまだこれから先のキャリアがあって……もしもそうなったら、色々と将来設計の大幅な方向修正が必要になってくるわけで……」


 私の心配とは全く別種の心配が、彼の口から紡がれた。


 あっ、そっちかぁ……と、一人で妙な思い違いをしてた恥ずかしさで顔が熱くなる。


「ん~……それはそうだけど……そこはちゃんとすれば大丈夫じゃない? さっきも言ったけど、私の方でもしてるし……」

「でも、それも100%ってわけじゃないよね……? 正直に言えばめちゃくちゃしたい……! 今すぐにでもしたいし、何回だってしたい……! けど、それがどんなに小さいものでも……光にだけリスクを抱えさせてるような状況なら俺らにはまだ早いんじゃないかなって思う……」


 唇を真一文字に引き絞り、すごく我慢しているような口ぶりで彼が言う。


 そこまで考えなくてもいいのに……と思う反面、それだけ真剣に自分との将来を考えてくれていることがすごく嬉しかった。


 逆にエッチなことばっかり考えてた自分がまた少し恥ずかしくもなる。


「だから……もし何があっても……俺が光の人生もまとめて支えられるようになるまでは、待っててくれないかな……?」

「つまり、高校卒業して……大学にも四年通って、就職したらってこと……?」


 真剣に考えてくれるのは嬉しいけど、流石に『それは遠くない?』と顔に出てしまう。


 けど、彼はそこから続けて私が全く予想もしてなかった言葉を発した。


「いや、実は俺……今、ゲームを作ってるんだよね。大樹さんたちと一緒に……」

「えっ!? ゲーム!! ほんとに!?」

「う、うん……少し前から本格的に……タイミングがなくて光には言えてなかったんだけど……」


 ばつが悪そうに私へと謝罪の言葉が紡がれるけど、そんなのはもうどうでも良かった。


「どんなやつ!? アクション!? シューティング!? それともシミュレーション!?」


 これまでのとは全く別の興奮が、一気に心中を埋め尽くす。


「い、いや……ターンベース戦闘のローグライクかな……」

「StS系ってこと!? 無限に遊べちゃうやつだ!!」


 それだけでどんなゲームなのか概ね想像がついて、私も随分と彼に染められたなと強く感じた。


「まあ、そんな感じ……デッキ構築じゃなくて古典RPGを下地にしたパーティを編成していくゲームなんだけど……」

「え~……! すっごいおもしろそう……! それ、いつ遊べるの!?」

「まだ具体的な日付は決まってないんだけど……年内にはプレイアブルな状態にして、一旦アーリーアクセスって形で配信してプレイヤーの反応を伺おうかなって話はしてる」

「えっ!? 年内にはもうStreamとかで配信されるってこと!?」

「うん、商品として配信して……みんなからお金をもらって遊んでもらうことになる」

「え~、すご~い……楽しみだなあ~……! 生きる糧が一つ増えた感じ……!」

「で、さっきの話に戻るんだけど……」


 彼は普段通りの少し眠そうな目に、強い意志を浮かべて続けていく。


「それが発売されて、ちゃんと商品として売れて……買った人が楽しんでくれたら俺も将来の道を決めようと思ってるんだよね。大樹さんとか他の人たちも結構気が早くて、これからも一緒にやろうって言ってくれてるのもあるし……」

「うん! それ最高! 黎也くんなら絶対できると思う!」


 間髪を容れずに即答する。


 何か根拠があるわけじゃないけど、そう思った。


 だって、本当にそうなったら最高に素敵すぎて最高に嬉しすぎるもん。


「だから、その時ってのは……どうかな? するのは……」

「その時……する……? あっ……!」


 すっかり忘れかけていた話の本筋を思い出して、また顔に熱が蘇る。


「その時ならもし何があっても……俺も光のことを支えていける自信がついてると思うんだけど……こんな考え方ってやっぱ重いかな?」

「うん……すっごい重たいよ、それ……」

「う゛っ……そ、そうだよな……やっぱり重いかあ……」

「でも、だからもっと好きになっちゃった」


 心の中の好きゲージは、限界を超えて先が見えないくらいに突き抜けていた。


 私がどんな私でも、ずっと二人で楽しくいられるように。


 あの日、私にくれた言葉はあの時だけのものじゃなくて、まだ続いていた。


 これまでも、これから先もずっと、ずっと……。


 彼はあの約束を何よりも大事にしてくれている。


 本当はエッチだってしたいはずなのに、ものすごく不器用だ。


 でも、だから私はこの人じゃないとダメだったんだと改めて思い出した。


「も、もっと好きに……え? そ、その心は……?」

「だって、今のってほとんどプロポーズみたいなものだったもん」

「え゛っ!? そ、そうだった……?」


 私の冗談に、彼は変な声を出して狼狽える。


「うん。だって、黎也くんが私を養えるようになったら……ってことでしょ?」

「い、いや……そこまでの意味はまだ込めてなかったんだけど……」

「ダメで~す! 私はもうプロポーズとして受け取ったから今更取り消せませ~ん!」


 色んな意味で嬉しすぎて顔がニヤけるのを隠すために、わざと戯けてみせる。


「えぇ……まあ……光がそう受け取ってくれたのなら、それでもいいけど……」

「うん! そうする! でも、黎也くんってば惜しいことしたよね~……」

「お、惜しいことって……?」

「だって、今えっちしたいって言えばさせてあげたのに」

「うっ……そう言われると、やっぱり惜しいことをしたような気もするけど……」

「ほんとに。長編RPGで一度きりの時限イベントを逃しちゃったみたいなもんだよ」

「けど、それよりも光との将来のことの方が俺にはずっと大事だから……」

「……ほんとずるい……それ、やっぱりプロポーズじゃん……」


 もうほんとに無理……なんでこう無自覚に弱点を攻撃してくるんだろ……。


 こんなの私の方が耐えるのしんどいじゃん……。


「え……? な、何か言った……?」

「何も! ていうか、ほんとにそれまで我慢できるのかな~……?」

「そ、それはまあ……我慢するしかないし……」

「でも、あんまり待たせられるとやっぱやーめたって心変わりしちゃうかもな~……」

「え゛っ!? それはちょっと……いや、かなり困るんだけど……」

「じゃあ、頑張って早く完成させてもらわないと」


 正直に言えば、我慢できないのは私の方だと思う。


 今もすごくチューしたくなってるし、すればきっとその先も止められなくなる。


「はい……出来るだけ早く約束を果たせるように善処します……」

「黎也くんのえっち……」

「えっ!? な、なんでそうなる……!?」


 けど、大好きな人の大きな決断を尊重してグッと衝動を堪える。


 願わくば、その時がなるべく早く訪れますようにと心の中で強く祈りながら……。

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