閑話:するorしない(朝日光の場合)前編
「わー……! きれー……!」
バルコニーに出ると、息を呑むくらいに綺麗な星空が視界いっぱいに広がっていた。
普段住んでいる街だと見られないような小さな星もキラキラと煌めいている。
地上を照らすくらいに大きく輝いてる星も好きだけど、私はああいう小さな星々が空にいくつも点在している光景が堪らなく好きだ。
腕を広げて空を仰ぎ見ると、まるで星の海を二人で一緒に泳いでいるような気分になる。
「ほら、見て見て! 海もすっごい綺麗!」
興奮気味に彼の手を引き、手すりの方にまで行くと今日遊んだ海が見えた。
空に浮かんでいる星の光を反射して、空と同じようにキラキラと輝いている。
「すっごいきれーだねー……」
「うん、すごく綺麗。海は見慣れたつもりだったけど、これは流石に格別」
それを大好きな人と並んで見られるなんて、幸せすぎてバチが当たりそう。
昼間の海もすごく楽しかったけれど、このロマンチックさには敵わない。
きっとこれは、何年経っても思い出す一生の思い出になるんだろうなと思った。
今日、こんな機会を作ってくれた京には感謝してもしきれない。
「今日はほんとに楽しかったし、ちょっと無理してでも来た甲斐があったなぁ」
「そういえば、練習のスケジュールを空けてきたんだっけ?」
「うん、だからお母さんにはちょっと小言を言われちゃったけどね」
「明日は朝にはもう帰るんだよね」
「うん、帰って軽くラケットだけでも握っておこうかなって。丸二日も空けちゃうと流石に感覚が鈍っちゃうかもしれないから」
「ほんとに大変だなぁ……」
「大変と言えば大変だけど、好きでやってることだしね。それに今日一日でエネルギー補給は万全だから!」
「補給……普通は遊び疲れて休みたいってなるもんじゃない……?」
「そう? 私は遊んだら明日は練習頑張るぞ!ってやる気が湧いてくるけどなー」
そう言って、胸の前でグッと拳を握ると彼は苦笑する。
この絶対に頑張れとは言ってくれない関係性がすごく心地いい。
もしもこの先の未来で自分がどんな道に進んだとしても、私は彼と一緒ならずっとこのままでいることが許されるんだと思うと心が穏やかになる。
「特に、黎也くんと一緒に過ごせたら……ね?」
だから、つい口が軽くなってまた『大好き』を伝えてしまう。
彼と一緒にいるとすぐに心の中の好きが大きくなって、吐き出さずにはいられなくなる。
手にも力が入り、視線が瞳に吸い寄せられる。
このいつも少し眠そうな目も、夜風に吹かれて揺れているクセ毛も、目を合わせると未だに緊張して表情が少し強張るところも全部大好き。
「んっ……」
また好きを我慢しきれなくなって、唇同士のキスをしてしまう。
彼の唇の暖かさと柔らかさで、身体がトロっと溶けそうな心地よさに包まれる。
初めてしてからもう何百回としたけど、何回しても一回一回が特別に気持ちいい。
「えへへ、今日のファーストキスもらっちゃった」
「何その概念は……」
私がそう言うと彼は意外と冷静に返してきた。
もしかしたら、今の流れでキスされると察していたのかもしれない。
照れる顔が見たかったから少し残念だけど、気持ちが通じ合っていたみたいでそれはそれで嬉しくなる。
「よく考えたら今日はチューしてなかったなーと思って」
「そりゃ、ずっと皆の前だったし……」
「私は皆の前でも全然ウェルカムだけどね!」
「俺は流石にそれは恥ずかしいかな……。てか、ウェルカムってことは俺からしろってこと?」
「もちろん、自分からするのは流石に恥ずかしいし……」
「何それ……」
「ん~……でも、ほんとに今日は楽しかったなぁ~……」
また苦笑している彼の手を掴んだまま、大きく伸びをする。
「来年も、そのまた来年も……こうして一緒に来られるといいね」
「だね。ここに来るのは俺の懐事情的に厳しいかもしれないけど」
「そこは、ほら……また京に頼んでもらえば……!」
「流石に厳しいんじゃないかな……来年は正式オープンもして、お客さんがいっぱいだろうし……」
「えー……じゃあ、別のとこかぁ……せっかくならここがいいんだけどなぁ……」
と、口では言うけど本音は黎也くんと一緒ならどこでも――
「まあ……光と一緒なら、場所はどこでも俺は楽しいだろうし……」
…………好き!!
なんで、こんな絶妙のタイミングで私の弱点を突いてくるんだろう。
本当に心が読まれてるとしか思えない。
でも、そっちがその気ならこっちだって……と、一歩距離を詰めて肩を密着させる。
そのまま二人で夜景を眺めながらしばらく他愛のない話をした。
今度発売される新作のゲームの話とか今度は二人でどこに行こうかとか、今日は本当に楽しかったねとか……何も特別じゃないけど、二人のすごく大事な時間。
ずっとこうしていたいな……と思うけど、流石にそういうわけにはいかない。
「さて……と、じゃあそろそろ戻ろっか。あんまり長く消えてるとみんな心配するかもしれないし」
三十分ほど話したところで、彼がそう切り出してきた。
「そだね。あっ、でも……ちょっと待って」
そのまま私の手を引いて屋内に戻ろうとした彼を制止して、スマホを手に取る。
「せっかくだし、最後に夜景をバックに写真撮ろ?」
二人の時間がこれで終わりだとしても、せめて今を記録だけはしておきたいと思った。
「あ、ああ……うん、いいけど」
「じゃあ、もっとこっち寄って? ほら、顔も目一杯近づけて……」
カメラを起動して、頬がくっつくくらいに顔を寄せて――
「はい……チーズ!」
今の心にある感情を全部載せた笑顔で、最初の一枚を撮影する。
続けて、もう一枚二枚と最高の思い出を切り取っていく。
何年後、何十年後でもこの写真を見た時に今日のことを思い出せるように。
「じゃあ、次は黎也くんのスマホでも撮ってあげる!」
「別に撮らなくてもさっきのを後で送ってくれれば、それでよくない?」
「いいの! カメラが違うともっと良い写真が撮れるかもしんないじゃん」
「そう言うなら、まあいいけど……」
私の要求に、彼はスマホを取り出そうとポケットの中に手を入れる。
さて、今度はどんな写真を撮ろうかなー……。
そうだ! また隙だらけだし、今度は撮る瞬間にほっぺにチューしちゃおう!
そんなことをシメシメと目論んでいた私の足元に――
「あ゛っ……」
彼の濁った声と共に、パサっと微かな音を立てて何かが落ちた。
『0.01mm』
月明かりのおかげで、その表面に書かれた文字がはっきりと読み取れた。
数秒かけて、視界から受け取った情報が頭の中で少しずつ処理される。
その間に彼は私の目をジッと見つめながら、何事もなかったかのようにそれを拾い上げた。
「さて、じゃあ戻ろうか」
そして、やっぱり何事もなかったかのように屋内に戻ろうと促される。
微妙に気まずい空気が私と彼の間に満ちている。
でも、今ならまだ互いに何も見なかったことにすればいいだけ。
そうすれば、こんな空気は簡単に払拭できる……はずだったのに――
「今の……あれ、だよね?」
私は、何故か彼にそう言ってしまった。
「い、今のって……? あ、あれって何のこと……?」
「今、黎也くんのポケットから落ちたやつ……」
「え? あ、ああ……それね! あれだよあれ! 衛生用品っていうか……持ってて便利なウェットティッシュみたいなもんだ――」
「男の人が付けるやつ……だよね? その、する時に……」
彼の言葉に被せて、私は自身の知識から導き出した言葉を呟く。
男女で分かれて受けた保健の授業で、実物を見たこともあるからすぐに分かった。
でも、授業で見せられたのは0.05mmって書いてたからそれよりずっと薄い。
やっぱり、その方が相手のことをはっきりと感じられるのかな……。
だったら無いのが一番――って、わ~……! 何考えてるんだ私は~……!
妙に具体的な感じで頭に浮かんだイメージ映像を振り払う。
でも、待って待って……。
今、これが黎也くんのポケットから出てきたってことは……。
つまり、黎也くんはこの旅行で私と……。
この状況で、彼がそれを持っていた意味を頭で理解すると――
ボッと火がついたかと思うくらいに顔が熱くなった。
繋いだ手と手の間に、全く知らない妙な熱が生まれる。
いつも二人でいる時の緩くて心地の良い暖かさとは違う、身体の内側の方までジワジワと染みてくる熱さ。
嫌じゃないけど、どうにも変な感じがして身体がムズムズする。
一本ずつ絡めあった指が、相手の存在を確認するように落ち着き無く動いてしまう。
「あ、あー……なんか、修に無理やり渡されて……ポケットに入れっぱなしになってたの忘れてただけだから……気にしないでっていうか、ほんとになんでもないから――」
「そうなんだ……黎也くんのじゃないんだ……」
そっか……それならまだ、大丈夫……。
「お、俺のじゃない俺のじゃない! 俺らには必要ないし! 俺は要らないって断ったから!」
「うん……私、それ……要らないから……」
「そ、そうだよね! 要らないよね! こんなもの……お、俺たちにはまだ早い――」
今度は私の口から『部屋に戻ろう』って言えば、ちゃんと全部元通りになる。
いつもの私たちに戻れる……はずなのに――
「そうじゃなくて……私、ピル飲んでるから……それ無くても大丈夫ってこと……」
本当に何を言ってるんだろ……私は……。
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