第99話:桜宮京の嫉妬と劣等感と……

 幼い頃、私は自分を特別な人間だと思っていた。


 学校のテストではいつも百点で、運動会では毎回賞状を貰っていた。


 みんなが必死に努力してもできないことを、私は簡単にできた。


 何よりも私の周りはいつも、私を『かわいい』と褒めてくれる人たちが大勢いた。


 同じ学校の男子や女子、両親や親戚などの大人も数え切れないくらいに。


 その中でも叔父さんは特に会う度に誰よりも多くの『かわいい』と一緒に、流行りの服やアクセサリーなんかもプレゼントしてくれた。


 本気か冗談か、『京ちゃんは大きくなったらものすごい美人になるだろうし、是非うちの会社のCMに出てもらいたいなあ』なんてこともよく言っていた。


 当然、子供ながらに自分自身でも私は特別な人間なんだと自尊心を強めていった。


 それが高じて、ジュニアモデルやアイドルのオーディションにも何度か応募した。


 毎回いいところまでは行ったけど、後一歩のところでの落選を何度も繰り返した。


 私はいつも最終面接で審査員たちに口を揃えてこう言われた。


 顔は綺麗に整ってて、手足も長くてスタイルも良い。


 歌も十分に上手いし、ダンスもできる。


 でも、小綺麗に纏まりすぎて華がない。


 それを聞いた私は毎回釈然としない気分になった。


 華って何?


 顔でも身体でも、ましてや技能でもない。


 ただ自分の好みに適当な理由をつけただけでしょ。


 そんな不確かなものが理由で落とされる世界なんて、こっちから願い下げ。


 そもそも、気まぐれで応募しただけで別に大してなりたくもなかったし。


 内心でそんな言い訳をして、私はモデルやアイドルになるのを早々に諦めた。


 けれど、中学生になった私はその確かな答えを知ることになる。


 朝日光との出会い。


 彼女は私に無いものを持っていた。


 ただ可愛くて、スタイルが良いだけじゃない。


 私みたいに取り繕わず、自然体のままで誰からも好かれる天性の魅力を持っていた。


 つまり、華があった。


 彼女によって、私は自分が特別な人間ではないことに気づかされた。


 特別ではなくなったとしても、人生は否応なしに続いていく。


 何をやっても自分の上をいく彼女に、私は常に劣等感を覚え続けた。


 でも、その時のそれはまだ包み隠せる程度のものだった。


 表面上は仲良くできるし、周囲からの私たちの評価は『友達』だったと思う。


 互いに『光』『京』と呼びあって、よく一緒に遊びにも行った。


 彼女との出会いからしばらく経って、私に初めての彼氏ができた。


 相手は同じ学校の一つ上の先輩で、女子に人気で有名な人だった。


 皆から羨ましいと言われて、気をよくしていたのを今も覚えている。


 付き合ってから少し経って、私が中三で彼が高一の時に初体験を済ませた。


 場所は向こうの家で、それ自体はまあ理想的な済ませ方だったと思う。


 けれど、それが終わった後に先輩は私にこう言ってきた。


『お前の同級生に朝日光って子いるじゃん? 知り合いがあの子の連絡先知りたいってうるさいから教えてくんね? 友達なんだろ?』


 知り合いが、なんて言ってたけれど自分のことなのが丸わかりだった。


 スマホを弄りながらまるでゲームでもしているように、私のことを既にクリアしたステージみたいな目で見ていたから。


 それがきっかけで先輩とは別れた……というか、もしかしたら最初から付き合ってすらいなかったのかもしれない。


 とにかく当時はすごくショックで、体調も崩して寝込むくらいには長く引きずった。


 もうこんな思いは絶対にしたくない。


 そのためにはどうすればいいのか。


 光よりも魅力的な女子になるしかないと、私は様々なもので自分を飾っていった。


 服や装飾品、バッグや小物なども人気のオシャレな物で揃えた。


 彼氏だって、よりグレードの高い男へとどんどん乗り換えていった。


 学校で人気の先輩から始まり、若手舞台俳優に、現役モデルや有名医大生。


 皆が羨むような相手と何人も付き合った。


 それでも光に勝てたと思ったことは、一度もなかった。


 私がファッション誌のストリートスナップのコーナーに小さく載った話題は、朝のホームルーム前の僅かな時間であっという間に消費される。


 一方で、光が同じ雑誌で何ページにも渡って特集されれば学校中から代わる代わる新しい人がその話題を持ってきて、一週間以上も持ち切りになる。


 対抗すればするほど、自分は特別な人間じゃないと何度も何度も突きつけられた。


 光への劣等感に塗れた惨めな自負で飾った哀れな女。


 それが私だった。


 高校二年になってから二ヶ月程が経った頃、光が誰かに告白した話を聞いた。


 最初にそれを聞いた時、私は恐怖しか感じなかった。


 彼女は一体どんな男と付き合うのか。


 また私を、どうしようもなく惨めな気分にさせてくるのか。


 でも、事実を知った私は別の意味で驚かされた。


 朝日光が選んだのは、同じクラスの男子だった。


 それも別に特段顔が良かったり、何か優れているわけでもない普通の人。


 いや、それどころか居ても居なくても誰も気にしないようなパッとしない男だった。


 久しぶりに、心の底から笑った。


 どんな男だって好きに選べた朝日光が、よりによってあんな格下の男を選んだ。


 それが嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。


 皆は信じられないと絶句してるけれど、私は目一杯祝福してあげよう。


 遂に私は朝日光に勝てたんだって……そう思ったはずだったのに――


 あの日からの彼女は、これまで以上にますます輝いて見えた。


 誰からも羨ましがられない男を好きになったのに……


 どうして、あんなに楽しそうなの?


 どうして、あんなに嬉しそうなの?


 どうして、あんなに幸せそうなの?


 それは、彼女が打算のない本気の恋をしていたからだった。


 思えば、私はそんな感情を一度足りとも抱いたことがなかった。


 いつだって常に、朝日光に対してどうにか優越感を得ようとしていただけ。


 彼女が私の眼の前で『黎也くん黎也くん』とその名前を幸せそうに呼ぶ度に、これまで以上の劣等感に襲われるようになった。


 自分を包んでいたあらゆるものが、ただの虚飾にしか思えなくなった。


 惨めな自負から自負がなくなれば、残されたのはただの惨めさだけ。


 心の奥底にこれまでとは一線を画す黒い感情が初めて芽生えたのは、その時だった。


 高校二年の夏になり、叔父さんから久しぶりに連絡があった。


『今度、私の会社が出資した大型リゾート施設が開業するから友達を連れて遊びに来なさい』


 私は迷わずに、あの二人を誘った。


 けれど、その時はまだ理性が私に歯止めをかけていた。


 二人の仲が引き裂かれればいいのに……と思うだけで、とても行動には移せない。


 そんな葛藤に苛まれている内に夏休みになり、旅行の当日が訪れた。


 天気もよく、海も穏やかな絶好の海水浴日和。


 今日だけは余計なことを考えずに楽しみたい。


 喜んでいる皆の感謝を伝えるために、まずは叔父さんに会いに行くことにした。


 リゾートとは別に、叔父さんと久しぶりに顔を合わせるのも楽しみだった。


 昔から本当に自分の娘のように可愛がってくれた叔父さん。


 この季節にはここと同じような場所にもよく連れて行ってもらって、『京ちゃんは本当に夏がよく似合う』と素敵な水着もいっぱい買ってくれた。


 過去を懐かしみながらホテルへと向かっている最中に、ふと幼い頃の約束を思い出す。


『京ちゃんは大きくなったらものすごい美人になるだろうし、是非うちの会社のCMに出てもらいたいなあ』


 なんとなく思い出しただけで、別に今更あんな子供じみた約束を本気にはしていない。


 でも、もしかするとみんなと一緒に遊んでる写真の一枚や二枚をパンフレットなんかに使ってくれたりするんじゃないかな。


 そんな淡い期待を抱いていた私に、叔父さんは挨拶を済ませるや否やこう言い放った。


『ところで、京ちゃんってあの朝日光ちゃんと同級生なんだって? 実はここだけの話なんだけど……あの子にここの広告塔をやってもらいたいと思ってるんだよ。ほら、あの子なら明るくて可愛くて、ここのイメージにもピッタリだと思うだろ? あんなに夏が似合う子もいないよねぇ。でも、それでマネージメント会社に打診してみたんだけど、水着がNGだって言われてね。京ちゃん、同級生の伝手でどうにか頼んでもらえないかな……?』


 それに対して、なんて答えたのかも全く覚えていない。


 ただ気がつくと、涙が止めどなく溢れ出てきていた。


 なんて惨めなんだろう、私は。


 この世界が舞台で、光が主役だとすれば私は道化以外の何者でもない。


 それを理解した瞬間、私の中でギリギリ保たれてた何かが壊滅的な音を立てて壊れた。


 もう何がどうなってもいいから、この惨めさを少しでも彼女に味わわせるしかない。


 私がされたのと同じように、彼女にとって何よりも大事な一度きりの経験を台無しにしてやる……はずだったのに――


「いや、結構です……」


 私の渾身の誘惑は、あっさりと拒絶されてしまった。


「結構……え? あー……エッチさせてあげるって言ったんだけど伝わらなかった?」

「いや、だから……それが結構です、って言ったんだけど……」


 また、今度は具体的な単語まで出したのに拒絶された。


 ありえない。なんで。


 愛だの恋だの言っても男なんて皆、結局はヤリたいだけでしょ。


 少なくとも、これまで付き合ってきた男たちはみんなそうだった。


「だ、黙っててあげるし……心配しなくても絶対にバレないと思うんだけど……」


 まるで私が抱かれたいと懇願しているように、必死で食らいつく。


 もう光がどうこうではなく、この程度の男に拒絶されてる事実を否定したかった。


「バレるバレないとかじゃなくて……桜宮さんと、そういうことがしたいとは思わないから……」


 完全な拒絶に言葉を失い、次の句が告げられなくなる。


「あっ、別に桜宮さんだからってわけじゃなくて……他の誰ともって話だから……。そういうのは恋人同士だけですることで……俺は光の恋人で、光は絶対に裏切れな――」

「うるさい!! 何なの!? どいつもこいつも口を開けば光光光って!!」


 ここまで抑えてきた感情が、遂に爆発してしまった。


 あーあ、やっちゃった……。


 そう思いながらも、一度堰を切った心から言葉が雪崩のように溢れ出してくる。


「ああ、そうよね! かわいいもんね! 私なんかと違って愛嬌があって!」


 眼の前の男子は、そんな私を見て唖然としている。


 それでも私はもう止まれない。


 数年間溜め続けた嫉妬を、全て吐き出す勢いで続けていく。


「なんであんな適当な薄いメイクであんなに可愛いの!? おかしいでしょ!? 私なんて毎朝、少しでも目を自然に大きく見せようと思ってどれだけ時間かけてると思ってんの!?」


 もう何もかもがどうだっていい。


「それで頭も良くて勉強もできて、テニスに至っては世界から注目されてるって? 幼稚園から小学校まで、ずっとダンスをやってたのに何も芽が出なかった私とは大違い! それでさぞ忙しいでしょうに、モデルの仕事だって毎月毎月色んな雑誌で何ページも取り上げてもらってさ! 私があの一ページの五分の一にも満たない写真を撮られるまでに、大通りを何往復したか知ったら絶対に笑うでしょ!」


 全てが終わってくれた方がいっそ楽だと、自分の恥部も何もかも曝け出していく。


「そしたら次は何? 彼氏が出来て今まで以上にもっと輝きはじめたと思ったらショート動画で大バズリして、あっという間にSNSやテレビでも人気者? もうめちゃくちゃ過ぎてわけわかんないし……なんなの、ほんとに……なんで……」


 無様な発露を終え、空になった心がどんよりと更に沈んでいく。


「なんで……なんで私は朝日光じゃないの……?」


 そして最後に、ずっと心の奥底に隠していたはずの言葉を口にしてしまった。


 嫉妬も劣等感も、元を辿れば全ては憧れ。


 私はずっと、光みたいになりたかった。


 その存在を知る前から強く想い、その存在を知った後はより一層憧れた。


「桜宮さん……」

「あんたは良いよね……そんな人気者を自分のものにできて、さぞご満悦――」


 怒り、蔑み、私の汚い本性を全部白日の下に晒してくれればいい。。


 そんな想いで、全てをぶち撒けたはずが――


「分かる。ほんとにしんどいよね」

「……え?」


 予想もしていなかった同調の言葉に、思わず顔を上げる。


 彼は私を怒るわけでも憐れむわけでもなく、ただ苦々しく笑っていた。


「俺も光には……いや、光以外にもずっと劣等感を抱いてきた側の人間だから」

「そんなの……彼氏なんだから自慢すればいいだけじゃない……」

「そりゃ、もちろん自慢は自慢だよ。光が成功するのは何でも嬉しいし……。でも、それとは別に……告白されてからずっと……本当に俺が朝日光の恋人でいいのかなって、ずっと考えてたのも事実だからさ」


 そう言うと彼は、また自虐的な笑みを浮かべた。


「なんせ、光は先に進む速度が尋常じゃないっていうか……俺がどうにか皆から少しでも認められるために必死で登ってる山を、自前の翼でピューっと軽く飛んでいかれる感じって言えばいいのかな……? もちろん、本人の努力もあるんだろうけど……それでも俺みたいなのからしたら神様はステータス配分をちょっと間違えたんじゃないかって、どうしても考えちゃうんだよね……」


 まるで自分が喋っているかと思うくらいに、その言葉には共感できた。


「でも、そんな光でも意外と他人のことをよく羨ましがるんだよね」

「はっ……あの子が一体、他人の何を羨ましがるのよ……」

「そう思うのは分かるし、これは俺から言うべきかもちょっと悩むんだけど……この前、『京は手が綺麗ですごく羨ましい』って言ってたよ」

「……手?」

「うん、ネイルも全部自分で綺麗に作ってて他の人にもやってあげててすごいって。自分はテニスをやってるからネイルとかできないし、手のひらには豆も出来たりするからって……本当にすごく羨ましそうに……」

「なによ、それ……そんなの全然大したことじゃないのに……」

「桜宮さんにとってはそうなのかもしれないのけど、光は間違いなく本心でそう言ってたと思う。だから、桜宮さんがそんな風に自分を無価値だと断じて自棄になったりする必要なんてないんじゃないかな……と俺は思うんだけど……」


 眼の前の人を通して伝わってきた光の言葉に、嘘はなかった。


 きっと彼女は本当に羨ましそうに、そしてまるで自分のことのように嬉しそうにそれを言ったんだろうと。


 そう、朝日光はそういう子なのを私は知ってたはず。


 だって一緒の雑誌に載った時に、掛け値なく一番喜んでくれてたのが光だったから。


 それを思い出したのと同時に、強い後悔と自責の念が襲ってきた。


 私は一体、何をしようとしていたのか。


「ちなみに俺もそんな風に、自分の知らないところで光に自慢されるのが目標の一つなんだけど……これもなかなか難しいから桜宮さんが結構羨ましいというか……」

「難しいっていうか……それ、自分じゃ分からないでしょ……」

「確かに……言われてみればそうだ……」


 今気づいたように言う彼に、思わず苦笑してしまう。


「まあ、そういうわけで……さっきのことは俺の胸に秘めておくよ」

「お人好しすぎでしょ……私、君のことをハメようとしたのに……」

「まあ、実際に何かあったわけじゃないし……」


 そう言って、苦々しく笑った彼が更に続けていく。


「後、さっきも言ったけど……俺は本当に、桜宮さんの気持ちもよく分かるから……。だから、どうかこれからは周りと……自分を傷つけるようなことだけはやめてほしいかな……って似たもの同士としては思う」


 自分を謀ろうとした女には過ぎた優しい言葉がかけられる。


「じゃあ、俺は先に戻るから……桜宮さんは落ち着いてからでいいから……」


 そうして結局、彼は最後まで一切の怒りを表明せずに出ていった。


 本当ならどれだけ怒っても、どれだけ蔑んでも許されることをされたはずなのに。


 でも、だから光はこの人だったんだ……というのも分かってしまった。


「ごめん……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 一人になった部屋でベッドにうずくまると、嗚咽と謝罪の言葉を溢れ出る。


 自分が救いようがないくらいに愚かだったと気づかされた。


 惨めな自分が嫌だったはずなのに、最も惨めなことをしようとしていた。


 そんな強い後悔と自責の念に苛まれる傍らに、また別の感情も生まれていた。


 理解された。


 理解してくれた。


 私のどうしようもなく醜い嫉妬と劣等感を理解してくれる人がいた……。


 名前の知らない感情が胸の奥から湧き上がり、心臓が早鐘を打っている。


 きっと、慣れない大声を出したからに違いない。





◆◆◆お知らせ◆◆◆


こんな問題回の後に申し訳ありませんが、またまたまた宣伝です!

遂に本日、『光属性美少女の朝日さんがなぜか毎週末俺の部屋に入り浸るようになった件』の書籍版が発売されました! ワーパフパフ!

https://ga.sbcr.jp/product/9784815626945/


既にご購入していただいた方はありがとうございます!

これからご購入予定の方やもどうぞよろしくお願いします!!


さて、まずは無事に出版されたということで一つ肩の荷が下りました。

しかし、商業出版はやはりここからが本番!

一冊でも多く売れて、今度は二巻三巻と続刊したいという欲が出てくるわけです。

なので、どうか皆さんのお力を貸してください!!

お読みいただいた方は是非、SNSで感想を投稿したり、通販サイトで★を入れてくれたりして一人でも多くの新規読者に届けられるようにご助力していただければ作者がめちゃくちゃ喜びます!!

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