第98話:海と陽キャと高級リゾートと その22
「え……あっ……」
彼女に向かって声を発しようとしたのを抑えて、スマホの画面に視線を戻す。
『気を利かせてくれてるのはありがたいんだけど……いいのかな? 色々と……』
画面をタップし、入力したメッセージを送信する。
『もちろん、せっかくの機会なんだから。奥の部屋はまだ内装工事中だから入らないようにって皆には伝えてあるから邪魔も入らないし』
『光には?』
『怪しまれないように、順番。君が先に待ってるって言えば喜んで行くでしょ?』
桜宮さんの言葉に対して、これ以上何かを言うことは見つからなかった。
何をするとかしないとかは置いといて、確かに俺だって光と二人きりにはなりたい。
この高校生という時期に、こんなロケーションで過ごせる機会はそう多くないだろう。
きっとそれは、最高の思い出になるに違いない。
ただ、何故か微妙に後ろ髪を引かれる想いがほんの少しだけある。
皆から抜け駆けする罪悪感か……あるいは、何らかの疑念か……。
でも、わざわざ気を利かせてくれているのを無碍にもできなかった。
『それなら少しだけ、お言葉に甘えさせてもらおうかな……』
結局流されるがままに、了解の返事を送ってしまった。
少し気配を抑えながら、ソファから立ち上がる。
ゲームやカラオケに熱中している皆に背を向けて、ゆっくりと一歩踏み出す。
誰も俺がその場からいなくなろうとしていることに気を留めない。
きっと、修や藤本さんたちも同じように堂々と抜けていったんだろう。
吹き抜けになっている大きなリビング階段を上がり、二階へと向かう。
大人数での利用が想定された大きなコンドミニアム式のコテージで、二階には廊下を挟んでいくつもの寝室が並んでいる。
その中で指定された一番奥の右側の部屋へと向かう。
扉は閉まっているが、鍵はかかっていなさそうだ。
当然、中に人の気配もない。
先に誰かを忍ばせておいて、邪な想いを抱いて入ってきた俺にドッキリ大成功!
……なんてのは考えすぎだったか、とドアノブを回して扉を開くと――
「……うっ」
中から仄かにバラのような甘い香りが漂ってきた。
雰囲気作りのためか、アロマか何かを焚いてくれていたらしい。
慣れないなぁ……と思いつつも、扉を開けきって室内へと足を踏み入れる。
間接照明で薄ぼんやりと照らされた室内には二人がけのソファとテーブル……そして、真っ白なシーツの敷かれたダブルベッドが置かれていた。
入って正面側の壁は一面がガラス張りになっていて、外のバルコニーからは夜の海と星空が一望できる。
確かに、恋人と二人で過ごすには最高の部屋を用意されていた。
部屋の確認も終わり、アロマの匂いも気にならなくなってきたところでボフッとベッドに腰を下ろす。
これもうちにあるベッドとは比較にもならないくらいにフカフカだ。
防音もしっかりしているのか、あれだけうるさかったリビングの音も耳を澄ませないとほとんど聞こえてこない。
つまり、ここで何があっても誰かに気取られたりは……
「いやいやいや……何を期待してんだ、俺は……」
気を抜くと膨らんでくる邪な欲望を、頭を振って追い出す。
正式に付き合ってからはまだ二ヶ月も経ってないし、俺たちにはまだ早いだろ……。
いや、早いカップルならそのくらいでシてたりするんだろうけど……。
それに、そもそも男子と女子じゃ行為に対する事情が違う。
色んなリスクを抱えるのは女子の方だし、心の準備だって必要なはずだ……。
でも、もし光もしたいって思ってくれてたら……?
あの積極性ならありえないとも言い切れないよな……。
どちらに対する言い訳が次々と浮かんできて、感情が左右に振られ続ける。
色んな可能性を考えていると、また欲望がムクムクと鎌首をもたげてきた。
「いやいやいや……ダメだダメだ……!」
また頭を振って、それを外に追い出す。
とりあえず、するとかしないとかは一旦置いとこう……!
今はこの時間を光と二人で過ごして、良い夏の思い出を作ることだけ考えよう。
その結果、良いムードになって成り行き上でナニかがあった時は仕方ないとして……。
そんな、やっぱり多少は出てしまう欲望を抑えきれずにいると――
――ガチャッ……。
夜の静寂の中、背後からドアノブが回された音が鳴った。
不意打ちじみたそれと極度の緊張で、身体が瞬間的に硬直する。
開いた扉からカラオケの音が流れ込んできた後、閉められた音が鳴って再び静寂が訪れる。
背後から足音がジワジワと近づいてくる。
向こうも何かを予感しているのか、普段みたいに飛び込んでくる感じじゃない。
俺も視線を下げて自分の膝をジッと見つめたまま、その到来を待つ。
数秒のうちにそれは訪れ、自分がしたのと同じように来訪者が隣に腰掛けた。
隣でマットが沈む感覚と同時に、僅かな違和感を覚える。
部屋に焚かれたものとはまた別の香りが、隣から鼻腔を刺激している。
花とは違う、少しエキゾチックな印象を受ける甘い香り。
でも、光はこの手の香料を好んでなかったはずだと顔を上げると――
「……えっ?」
そこにあったのは光の姿じゃなかった。
「さ、桜宮さん……? なんで……?」
「驚いた?」
この旅の主催である彼女が、悪戯な笑みを浮かべて俺の隣に座っていた。
「驚いたっていうか……戸惑ってるっていうか……」
「だからって、そんなお化けでも見るような目で見ないでよ。傷つくでしょ」
想像もしてなかった事態に困惑する俺を見て、彼女が声を上げて笑う。
「い、いや……だって……え? ひ、光は……?」
「ん~? 光? 光ならまだ下で皆と歌ってるんじゃないかな。何か用事?」
「用事というか……その、俺はてっきり光が来るものかと……」
とぼけている彼女に対して、率直に伝える。
当然、俺は光と二人きりで過ごせるように気を利かせてくれたのだと思ってた。
桜宮さんが来るなんて、意図が分からなさすぎて当惑の感情しかない。
「んーっと……最初はそうしてあげようと思ってたんだけどさ。今日の昼に言ってたことがちょっと気になってて」
「昼……?」
「うん、ほら……二人とも、まだエッチしてないんだって。つまり、影山くんもまだ童貞くんなんでしょ?」
「え、ええっと……それとこの状況に何の関係が……?」
再びの直接的すぎる言及に言葉を失いかけるが、なんとか疑問の言葉を返す。
焚かれているバラのアロマのせいか、それとも彼女の発する別の甘い香りのせいか、頭がぼんやりとして思考が上手くまとまらない。
「初めて同士だと色々と大変だって言うでしょ? それで大失敗して別れるカップルもあるなんて聞くし、自分が準備した企画中に二人がそんなことになったら流石に忍びないでしょ? だからぁ……」
「だ、だから……?」
混乱している俺に対し、彼女はまたクスっと挑発的な笑みを浮かべた。
「私が一肌脱いであげようと思ったの……」
そう言って、彼女は言葉通りに羽織っていた薄手のカーディガンをはだけていく。
「光との本番で失敗しないように……先に私で練習させてあげる」
甘い匂いを発している身体を寄せながら、耳をくすぐるような声で囁いてくる桜宮さん。
そんな彼女に対して俺は――
「いや、結構です……」
呼吸するよりも自然に、完璧なタイミングでパリィを決めてしまった。
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