第5話:勝負と罰ゲーム その1

「な、なんでも……?」


 女子から言われたその言葉の響きに、思わずゴクリと唾を飲む。


「うん、なんでも。もちろん常識的な範囲でね。痛いのとかは嫌だし」

「そ、それはもちろん分かってるけど……」


 ……と言いながらも、つい彼女の均整のとれた身体を見てしまう。


 常識的な範囲で、痛くないことならなんでも。


 それでもまだ範囲はかなり広いように思えてしまう。


「じゃあ、最初にどっちが選ぶかはじゃんけんで決めよっか。じゃ~んけ~ん……――」


 ――負けた。


 ひょっとしなくても俺はじゃんけんが弱いのかもしれない。


「最初はどれにしよっかな~……影山くんは大体やってるよね?」

「まあ、自分のライブラリだし。積んでるのもあるけど九割くらいはプレイ済みかな」

「なるほど~……じゃあ、これに決めた!」


 ページを順々に送っていた彼女がカーソルを止める。


 選ばれたタイトルは、一昔前に流行った『壺に入った裸のおっさんがハンマーを振り回して登山するゲーム』だった。


「結構古いゲームだけど、得意な感じ?」

「うん、お兄ちゃんにパソコン借りてかなりやり込んだ! 確か……自己ベストは7分くらいだったかな」

「へー……7分はかなり速いね」

「でしょ? 何でも権が懸かってるし、手加減なしでいかせてもらうから」

「それは手強そうだなぁ……」


 ……勝った!


 彼女が自信満々に告げた自己ベストを聞いて、俺は勝利を確信した。


 自慢じゃないが、俺はこのゲームがかなり上手い。


 話題になった当時、何故かドハマリして死ぬほどやり込んだからだ。


 自己ベストは二分台で、理論値が出せれば一分台も可能なところまでいっていた。


 そこに到達する前に止めてしまったが、身体は今も当時の感覚を覚えているはず。


「じゃあ、私が選んだから先行は影山くんで」

「了解。あー……久しぶりだから上手くできるかなー……」


 油断を誘いながらゲームを起動する。


 あのエアホッケーでの惨敗オブ惨敗から一ヶ月。


 申し訳ないが雪辱を果たすためには、どんな手段でも取らせてもらう。


「下手すりゃクリアできなかったりして……」


 肩を軽く回して、マウスに手を添える。


 スタートボタンを押し、裸のオッサンが壺から上半身を出した瞬間にマウスを素早く動かす。


「はやっ!!」


 快速のスタートダッシュに、隣で見ている朝日さんが驚愕の声を上げる。


 ハンマーは大きく振り回すのではなく、船を漕ぐように最小の動きで最大の力を。


 最初の木を越えて、その勢いのままに次の崖をスキップする。


 よし、独特な操作感の作品だけど身体はしっかりと全盛期の動きを覚えてくれていた。


 これならある程度のミスがあったとしても三分台は固い。


 序盤の難所である長めの崖から縦穴ランプエリアを悠々と抜け、その後のエリアもほとんどミスらしいミスもなく突破していく。


 建物エリアからダンボールエリアまでのショートカットは流石に無視。


 安定を取って、滑り台から着実に進めていく。


「ぐぬぬ……得意なのを隠してたなぁ……」


 隣から朝日さんの悔しそうな唸り声が響いてくる。


 残念だけど、このゲームを選んだのが君の運の尽きだ。


 俺が朝日光に勝利した今日と言う日を、決して忘れられないように石へと刻んでやる。


「よーし、よしよし……いい調子だ……」


 二分もかからずに家具エリアを越えて、最初の鬼門であるオレンジヘルに到達した。


 朝日さんの自己ベストを考えれば、時間はまだまだ余裕がある。


 ミスすれば大きなロスになるここは、ゆっくり確実に登っていく。


 決して崖側に押し込まないように、細心の注意を払ってマウスを操作する。


 そうして、安全地帯へと手をかけようとした瞬間だった。


 ――ふぅ~……。


「ひうっ!」


 耳に、こそばゆい風が吹きかけられた。


 そのくすぐったいような、気持ちいいような感覚に身体がビクっと震える。


「あっ……」


 建物の突端に引っ掛けようと操作していたハンマーが、側面を思い切り突いてしまう。


 壺に入った裸のオッサンは物理演算によって為す術もなく、崖を転がり落ちていった。


 失態に頭を抱えるよりも先に隣を見る。


「落ちちゃったね。でも、まだ全然リカバリーできるよ。頑張って」


 元凶が、素知らぬ顔で応援の言葉を紡いでいる。


「ほら、早くしないと! この間も時間は進んでるよ!」


 言いたいことはあるが、確かにそうだと気を取り直して画面に向き直る。


 落ちはしたが、この程度は俺の腕なら一分にも満たないロスだ。


 まだまだ圧倒的な有利は崩れていないと、再び裸のオッサンを動かしていく。


 自己ベストもかくやというようなペースで再びオレンジヘルへと到達し、今度こそ絶対にミスらないようにと慎重に進んで――


「好き……」


 耳元で、今日飲んだスムージーよりも甘ったるい囁き声が響く。


 背筋にゾクゾクっと未知の感覚が奔る。


 当然、また落ちた。


「……朝日さん、盤外戦術はずるくない?」

「ずるい……? 影山くん、これは真剣勝負……ルール無用の世界だよ? 勝つためには手段なんて選んでる場合じゃないの! なんたって、何でも権がかかってるんだから!」


 テニスコートに立っていた時と同じくらい真剣な表情で言われる。


 ずっと勝負の世界で生きてきた人に言われると、説得力がある気が……しなくもないような……。


 いや、やっぱり普通にずるいだろ。


 ただ、ここで問答している間にも時間は過ぎている。


 今はとりあえず一秒でも早くゴールしよう。


 盤外戦術が有りだというなら、俺も向こうのターンにやり返せばいいだけだ。


 三度目となるオレンジヘル。


「好~き……」


 途中で再び耳元で甘く囁かれるが、二度あることも三度は無い。


「朝日さん、残念だけど……もう同じ手は通用しない」


 今度は冷静に突破して、遂に雪山エリアへとたどり着く。


「ぐぬぬ~……」


 唸る朝日さんを横目に鉄床ジャンプを一発でキメて、三連空中足場も軽やかに突破する。


 バケツの遠心力を利用して一気に雪山の斜面へとハンマーをかけた。


 ここまでくれば後はウイニングラン。


 少々手間取ったけれど、五分台は盤石だ。


「あーあ……私の負けかー……」


 早くも勝利を諦めたのか、朝日さんも口惜しんでいる。


「何させられちゃうんだろ……あれかな……それともあれかな……」


 あ、あれってなんだ……? な、何を想像してるんだ……?


 ……って、ダメだダメだ。


 余計なことは考えるな。


 勝負に集中しろ。


 無心でハンマーを回して雪山の斜面を登っていく。


「まさか……あんなことさせられちゃったらどうしよ……でも、影山くんにならいいかな……」


 無心だ、無心でやれ……。


 もうこれ以上、あの盤外戦術に嵌ったら――


「……優しくしてね?」


 気がつくと、俺のハンマーは蛇のオブジェにかかっていた。


『く~……お悔やみ申し上げます』


 制作者の煽りボイスが流れ、壺に入った裸のオッサンがスタート地点に着地する。


 その後は何があったのかよく覚えていない。


 ただ俺のクリア画面には、18分42秒という散々なタイムが記されていた。


「じゃあ、次は私の番ね!」


 呆然と椅子から立ち上がり、何食わぬ顔をしている彼女と交代する。


「よーし頑張るぞー! 目指せ自己ベスト!」


 気合十分で白い手をマウスに乗せて、ゲームが開始される。


「ほっ……ほっ……久しぶりにやるけど意外と出来るね、これ」


 万全の俺ほどではないが、自ら選んだだけあってテンポよく進んでいる。


 このままでは、まず間違いなく負けてしまう。


 こうなったら仕方がない。


 歯に歯を、目には目を、盤外戦術には盤外戦術を。


 彼女の後ろから気取られないように、そっと近づき……。


 近づき……。


 近づいて……何をすればいいんだろう?


 俺も耳元で甘い言葉を囁く……?


 出来るわけがない。


 じゃあ、物理攻撃……身体にでも触れるか?


 それこそ出来るわけがない。


 無敵の彼女に対して、俺の所持スキルはあまりにも貧弱だった。


 そうして何もできないまま、彼女の壺は宇宙へと辿り着いた。


「ゴール! タイムは6分28秒! 自己ベスト更新! やったー!」


 クリア画面が表示されるのと同時に、マウスから手を離した彼女が両手を大きく上げる。


 同時に、俺の敗北が確定した。


「……というわけで、一戦目の何でも権は私のものになりましたー!」


 椅子をグルっと半回転させて、こっちを向いた朝日さんの顔にはまたあの笑みが浮かんでいた。


 続けて、最初から何をするのか決めていたかのような早さで、その要求を口にする。


「影山黎也くんは、今日から私のことを『光』と呼び捨てするように!」

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