アフターストーリー

同窓会に行こう①



 それは一本の電話から始まった。


「……同窓会?」


「そう、今朝ポストに入ってたのよ。小学校の同窓会だって、アンタどうするの?」


 電話越しに聞こえるお袋の声に促され、思案する。小学校を卒業してはや10年。ほとんどが同じ中学に進んだが、別の中学に進学し、卒業以来会っていない友人も存在する。


(皆、どうしてるんだろ……)


 懐かしさと、それ以上に好奇心が込み上げてくる。その時点で、俺の答えは決まっていた。


「お袋、俺――――――」




  ***




 土曜日。

 朝食を取りながら、俺は撫子に話しかける。 


「おい、撫子」


「はい、あなた。ご飯のおかわりでしょうか?」


「……ああ、うん。頼む」


 ふわりと、優しげに微笑む撫子。そう言われて、俺は左手に空の茶碗を持っていたことに気付いた。勢いを削がれて、言われるままに茶碗を差し出す。撫子はそれを受け取り、おひつからお米を茶碗に盛った。


「……どうぞ、あなた」


「おう、ありがと」


 着物の袖口を押さえて、上品に茶碗を差し出してくれた。外に出る際は、動きやすいという理由で洋服を着ることが多い撫子だが、家では基本的に着物を着用している。


 今日の装いは黄ベージュの色生地に春蘭が刺繍きされた帯、そして上品な薄藤色の着物。撫子の清楚な雰囲気にピッタリだ。


 まじまじと、撫子を眺める。


 濡羽の腰まである髪は、黒いリボンでポニーテールに纏められている。透き通るような白い肌。すっと通った鼻筋に、桃色に潤んだ唇。切れ目がちな黒曜石の瞳。一言でいうと、とんでもない美人。


 机を挟んで対面に座っている女性は、世界に名を轟せる髙野宮グループのご令嬢、髙野宮撫子。何を隠そう俺の嫁さんなのである。彼女とは幼馴染みで、色々あって人生を共にする連れ合いの関係となった。

 

 清楚で可憐な見た目の撫子だが、その気風は正に女王様。

 人の上に立つべくして、生まれてきたとでも言うようなカリスマを持っている。学生時代は、全生徒のお姉さま「栄光なる花グロリア・フロス」として尊敬の念を一身に集めていた。聖深学院を卒業し、日本一の超名門大学に現役合格、尚且つ主席卒業。呆れるくらい凄い女。その美貌と叡知から万人に愛されて止まない。


 そんな撫子だが、基本的に公私はきっちりと分けて接するタイプで、心を許す数少ない人間が、夫である俺、日野……いや、髙野宮貴弘なのだろう。

 

 撫子が作っただし巻き卵を頬張る。

 俺は砂糖より断然、出汁派だ。撫子は俺の好みを完全に把握している。本当に良くできた嫁だ。

 

 がつがつとご飯を頬張る。


「ん、んぐっ、あむ……っ」


「あなた。沢山召し上がって下さる姿は、男らしくてとても素敵ですが、きちんと噛んで下さいね。昔から飲み込むようにお食べになるのだもの。お身体に悪いわ」


「んっ、ごくり……仕方ないだろ。お前の飯が旨いから悪い」


「も、もう、貴弘さんったらまたそんなことをおっしゃって」


 撫子は照れて赤くなった頬を冷やすように手で押さえる。動揺して、結婚する前の呼び方に戻ってる。やっぱり、こっちの方が慣れている分違和感がない。


 


 朝御飯を食べ終わって、一服入れる。

 縁側に座りながら、撫子がいれてくれたほうじ茶を啜る。


「はぁー、旨い」


「ふふっ、良かった。あなたは緑茶よりほうじ茶が好きですものね」


 撫子は俺の隣に腰をかけ、そっと寄り添い身体を預けてくる。相変わらず、引っ付くのが好きだな。


「緑茶って、苦いから嫌なんだ」


「あら、本当に子どもみたいね」


「うるさい。良いだろ、別に」


 くすくす。と、上品に手を口に添えて、撫子は笑った。


「もう、拗ねないで下さい。それに、私はあなたのそういうところも可愛らしくて好きよ」


「男に可愛いとか言うな」


 むっとして、ぶっきらぼうに返す。


「ふふふっ、ごめんなさい」

 

 撫子はやっぱり笑った。

 こいつの笑顔見ると、大抵のことは「まぁ、いいか」と思ってしまう。そんなことを考えながら、再度俺は程よい熱さのほうじ茶で喉を潤わした。


 そうしてほうじ茶を全て飲み終わると、やっとこさ俺は本題に入った。湯飲みを置いて、隣の撫子を見やる。


「……撫子、あのさ、俺、今日夕飯いらないから」


「あら、どうしてですか。……何かご予定でも?」


 撫子は、可愛らしく首を傾げた。ポニーテールの長い黒髪がそれに合わせて流れる。


「おう、前言ってた小学校の同窓会だよ。それに行こうと思ってな」


「そうですか。……ええ、分かりました。でも、あなた、あまりはめを外さないようにしてください」


 あなたはすぐ無茶をしますから、と釘をさされた。俺は胸を張って、勢い良く頷く。


「おう、まかせろ!」


「そう……でも、ご無理されず、何かあればすぐにお電話下さいね」


 撫子は一瞬、不安げな表情を浮かべたが、すぐに淑やか笑みを取り戻した。




 ***



 

 俺たちが住む閑静な住宅街である寺地町、そして二見川を境界線に、急速に近代的な発展を遂げた髙都。今回の同窓会は、勿論この髙都で開かれる。 


 ……ちなみに、この髙都の開発には髙野宮家が深く関わっているらしい。だからこその「髙」都なのである。



 髙野宮の送り迎えを辞退し、俺は電車でそんな髙都までやって来た。まぁ、一駅分乗っただけなので、5分程度電車に揺られただけなのだが。

 

 それぐらいなら、送って貰えば良いのに……それはもっともな話だ。俺だって帰りのことを考えずに酒を飲みたいし、送り迎え自体は大変有難い。しかし、いかんせん目立ちすぎる。だって、髙野宮の車だぜ。ロールスロイスやベンツが当たり前。しかも、スーツをパリッと着こなした運転手付き。そんなのに乗れるかっての。


 俺は軽くため息を吐いて髙都駅前から繁華街へと歩き出した。

 

 同窓会の会場……と言えば聞こえは良いが、実際はどこにでもあるチェーン店の居酒屋である。まぁ、気を負わなくて俺には丁度良い。


 薄汚れた暖簾を潜ると、直ぐに聞き慣れた声が聞こえた。

 声が聞こえた方に視線を走らせると、圭一がこちらに向かって手を振っている。俺も軽く振り返して、早足でテーブルに近寄る。


「おお、圭一。お前も来てたのかよ」


「ったりめーだろ。お~い、皆、タカが来たぞ!」


 久しぶり、という言葉が色んなところから投げ掛けられた。それが嬉しくて、少し恥ずかしい。俺も笑って久しぶりと皆に声をかける。小6の同級生、ざっと見て、20人程が参加しているようだった。


 座敷には6人が座れる机が4つ並んでいる。

 ……さて、どこにお邪魔しようか。


「タカ、突っ立ってないでこっちに座れよ。ほら、ここだ、ここっ!」


 席を叩く圭一の声。

 腕を引っ張られ、あっと言う間に席に座らせられた。


「日野、お前めちゃくちゃ背伸びてるじゃん! 一瞬、誰か分からんかったぞ」


「おー、貴弘君。元気してたー?」


 圭一の隣に腰かけている坊主の青年、柊木俊文が元気良く声をかけてくる。その後に、俊文の前の席に座り、間延びした声をかける糸目の青年、東雲誠が言葉を重ねた。


「俊文に誠か。そっちはあんまり変わらねぇな」


「お前が変わりすぎてるだけだっての。変わらんのは、目付きの悪さだけだな」


「ほっとけ、脳筋坊主」


「なんだと、このヤクザ顔!」


 誰がヤクザ顔か、失礼な!

 お前の方が失礼だ!  


 不毛な応酬が続く。


「あはは、懐かしいよ。いつもそんな感じだったねー」


 柔らかい誠の声に、何だか急に恥ずかしくなった。それは俊文も一緒だったようで、お互い肩を竦める。


 圭一、俊文、そして誠。小学生の頃、いつもこの3人とつるんでいた。俺と俊文がケンカして、圭一がそれを見ながら笑い、誠がのほほんと眺めている。それがいつもの風景だった。


 俊文と誠は別々の高校に進んだこともあり、中学卒業以来ほとんど顔を合わせていない。


「やあやあ、日野君、久しぶりだねっ! アタシのこと覚えてる? ほら、清水、清水和子。それに、こっちの可愛い娘は綾ちん。綾ちん、懐かしの日野君だよっ!」


「うひゃっ……ちょっと和ちゃん、押さないでよぅ!」


「ああ、覚えてるよ。清水は元気そうだな。あと、委員長も久しぶり」


「う、うん! 久しぶりだね。日野君」


 圭一の前に座って身を乗り出し、元気が迸っているボーイッシュな清水。そして、そんな清水と何故か仲良しな文学少女を地で行く委員長こと、山田綾。

 

 ショートヘアーの清水は下手したら少年といった風貌。天真爛漫で人当たりも良いためいつもクラスの中心になっていた。


 それとは逆に、委員長は引っ込み思案でいつも大人しいタイプ。クラスの委員長役も人望というより、押し付けられたようなもんだった。それでも真面目に、役割をこなしていたところは頭が下がるばかりだ。

 ちょこちょこと、小動物みたいに清水の後ろに付いて回っていたイメージ。肩までの柔らかいボブカットは、昔と変わらない。


「日野君、その……ビールで良かったかな?」


 ピッチャーからビールを注いで、恐る恐るお伺いをたててくる委員長。俺、そんなに怖いだろうか? 地味にへこむ。


「……おう、ありがとな」


 うん、と照れくさそうに微笑む委員長から、ジョッキを受け取った。そのタイミングで、清水が立ち上がる。


「さっ、全員揃ったところだし、乾杯しよっ! 皆、準備はオッケー? 全員に飲み物行き渡ってるかい? よーし、じゃあ再会を祝して、カンパーイっ!」


 乾杯っ!


 皆が声高らかに叫んだ。

 俺もそれに合わせて、杯を掲げる。

 さて、同窓会の始まりだ。



    

 ***              



「ぐぅ、俺の頭が回ってるのか。それとも世界が回ってるのか」


 景色がかすみ、ぐるぐると目が回る。


「いや、間違いなくお前の頭が回ってるに決まってるだろ。……タカ、お前酒弱いのにそんなにガバガバ飲むからこうなんだよ」


「……日野君、大丈夫? お水飲む?」


「うるせー。……ん、ありがと、委員長」


 委員長から、コップを受け取り水を飲み干す。

 ふらふらするが、吐き気はない。念のため座布団を枕に少し横になる。


「あらら、日野君。意外とお酒弱かったか。色々聞きたいことあったんだけどな」


「清水さん、こればっかりは体質だから、しょうがないよ。貴弘君、取り敢えず横になってなよぉ」


 清水が残念そうに首を振る。それを誠がやんわりフォローしてくれた。誠はいつだって優しく見守ってくれる。ふわふわの髪に糸目の容姿は本当に羊みたいだ。癒し系男子とはまさにこいつのこと。


「ちなみに、日野に聞きたいことって何なんだ?」


「んー、取り敢えず今何をしてるのかとか。彼女がいるのかどうかとか。鉄板ネタかなぁ」

 

 俊文の言葉に、清水は唸りながら返答する。こいつ、さてはあんまり詳しく内容を考えていなかったな。


「あー、なるほど。でも、日野に彼女か」


「貴弘君、女っ気無かったもんねー。中学の頃も剣道一筋って感じたったし。僕もちょっと気になるかなぁ」


「うんうん。やっぱ一番はそこだよねっ! 日野君って目付き悪いところさえ抜けば、結構イケメンだし」


「か、和ちゃん。失礼だよ」


 わくわくして目を輝かせる清水と、それを諫める委員長。委員長頑張れ。超頑張れ。


「あー、タカに彼女なんていないぜ」


「ちぇ、そうなんだ。つまんないの」


「……嫁さんならいるけど」


 圭一があっけらかんと言葉を放つ。爆弾を放り投げやがった。


 時が止まった。


「ええっーー!!! うそうそ、結婚とか早くない? えっホントに?」


「これは、びっくりだね~」


「うわぁ、日野君が結婚!?」


「マジか。おい、日野、お前すげーな!」


 4人とも驚きの声が居酒屋に響き渡る。他のテーブルのやつらも、どうしたとこちらに視線を向けてくる。


「マジだよ。それも、すごい美人な」


「おい、圭一!」


「別にいいだろ、どうせいつかバレるんだし」

 

 まぁ、そうだけど。こっちにもタイミングってもんがあるんだよ!


「ねぇ、写真とかないの? 日野君の奥さんアタシ見てみたい!」


「あっ、俺も俺も!」

 

 食いぎみで聞いてくる清水と俊文。

 まだ頭がふらつく俺は力なく手を振って拒否する。


「アホ、誰が見せるか」


「ケチ! ちょっとくらい良いじゃん!」


「うるせ。あいつは見せるような女じゃないからな」


「……あら、あなた、それは一体どういう意味かしら?」


 凛としたソプラノの声音。


 思わず頬が引きつく。恐る恐る声の先に視線を向ける。

 そこには繊細なレースが施された純白のワンピースに、薄紫のカーディガンを羽織った美女が立っていた。

 

「な、撫子。何でここに?」


 俺の言葉に撫子は柔らかく微笑んだ。あっ、ヤバいこれは怒ってる時の顔だ。反射的に肩を竦める。


「……木村さんからお電話を頂きまして。そんなことより、あなた。私はご無理をなさらないようにと、お伝えした筈ですよ。全く、本当にいけない人ね」


 撫子はそう言って、長い黒髪を手で払った。居酒屋の煩雑した空気に、撫子の上品な香りが広がる。なんと言うか、違う意味で場違いな存在だ。


「髙野宮さん、こんばんは。悪いね呼び出しちゃって」


「ご機嫌よう、木村さん。いいえ、こちらこそ主人がご迷惑をおかけ致しました」

       

 片手を軽く上げ挨拶する圭一に、綺麗な礼を披露する撫子。それから、品良く座敷に上がり寝ている俺の側に正座する。


「……待って、この人が本当に日野君のお嫁さん? ドッキリとかじゃなくて?」


 いや、どんなドッキリだよ。清水の言葉に、げんなりと眉をひそめる。


「ご挨拶が遅れ、大変失礼致しました。妻の髙野宮撫子と申します。主人がお世話になっております」


「ええっと、ご、ご丁寧に、ありがとうございます。アタシは日野君の友達で、清水と申します?」


 撫子の雰囲気に飲まれて、たじたじの清水。いや、何でそこ疑問系なんだ。おかしくない?


「あー、タカは髙野宮さんの家に婿入りしたんだよ。だから、もう日野じゃなくて、正しくは髙野宮貴弘な」


「へー、そ、そうなんだ。うんうん」


 圭一の言葉に清水は何度も頷く。でも、全然頭に入っていなさそうな様子。それから、助けを求めるように委員長の手を引いて、作戦タイム! と宣言。いや、作戦タイムって。お前は何を攻略するつもりなんだ。


「綾ちん、綾ちん。ヤバい、日野君のお嫁さんマジで美人さんだよ。日野君、一体どこからひっかけて来たのかなっ?」


「ええっ!? そんなこと私も分かんないよぅ」


「清水、俺も開いた口が塞がらねぇ」


「ねー、俊文君、僕もびっくりだよー」


 全然、作戦タイムじゃなかった。あと、めちゃくちゃ聞こえてくるぞ。隠す気ゼロだろ。


「ふふっ、楽しい方々ですね。あなた」 


「……まあな」


 撫子は淑やかに笑って、寝転ぶ俺の額に手を当てた。ひんやりと冷たい手。いつもの温度に安心する。


「あの、奥さん質問いいですか!」


 びしぃ、と緊張した面持ちで手を上げる清水。

 撫子は奥さんと呼ばれて嬉しいのか、朗らかに頷いた。


「えっと、日野君……とはいつ出会ったんですか?」


「15年前ですね。丁度、小学1年生の頃かしら」


「ええっ、嘘、知らなかった……」


「高校まで主人とは違う学校でしたので、知らなくても仕方ありません」


「じゃあ、付き合ったのっていつぐらいですか? 告白したのはどちらから?」


「お付き合いを始めたのは、高校2年生の頃ですね。告白は、貴弘さんから……でいいのかしら?」


 撫子がこてんと、俺を見ながら可愛らしく首を傾げた。俺は小さく頷く。


「じゃあ、ずばり日野君のどこが良かったんですか?」


「全てです。鈍感でぶっきらぼうな上に、目付きが悪くて誤解されがちなところも、本当はとても優しくて紳士的なところも。貴弘さんの悪いところも良いところも含めて、全て好きです。……それに、貴弘さんは私の初恋の人、でしたので」


 即答だった。


 恥ずかしげもなく、撫子はそう言い放った。

 

 黙って聞いていた他のテーブルの奴等も、大声を出して囃し立てくる。顔が真っ赤になり、思わず目を伏せる。


「うわっ、くそ羨ましいな。日野の野郎、爆発しろ爆発!」


「本当、ラブラブだねぇ」


「こっちが恥ずかしくなるよ、ねっ綾ちん」


「そうだね、和ちゃん。でも……素敵、だなぁ」


 委員長はキラキラとした眼差しで俺たちを見つめる。止めろ、そういうのが一番クるから、本当勘弁してください。


「俺もこんな奥さん欲しい! というかくれ!」


「やるか! こいつは俺のだ!」


 俊文にヤジを入れられ、咄嗟に起き上がって撫子を抱き寄せる。抱きしめてから、しまったと思う。ほとんど反射に近い行動だった。


 どよめきが起こった。


 慌てて否定しようとして、撫子に強く抱きしめ返される。


「ふふっ、安心してください。嫌だとおっしゃっても、あなたから離れませんから」


 撫子は眩しいくらいの笑みを浮かべた。その笑顔を見て、やっぱり「まぁ、いいか」となるくらい俺はこいつに惚れてるんだ、と思った。




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