第21話 レグルス、デネボラそしてアルギエバ
あっという間に、デート本番の土曜日になった。眠気眼で、俺は食卓の椅子に腰かける。
「貴弘、今日は休みなのに随分と早いじゃないか」
既に朝食を食べ終えた父さんがコーヒーを片手に持って、俺に視線を投げ掛けた。俺は一瞬言葉を詰まらせるが、特別隠すことではないか、と思い理由を口にする。
「……今日は、撫子と出かけるからな」
「ああ、なるほど」
父さんは頷いて、青春だねぇと眩しくもないくせに眩しそうに目を細めた。止めてくれ。そんな生暖かい目で見ないで欲しい。
「あんた、それってデートってことじゃない!」
お袋が机にトーストとコーンスープ、サラダを置きながら嬉々として声を上げた。うわ、めんどくせぇ。
「……まぁ、そうなるな」
「ちょっと、それならもっとマシな格好をしたらどうなの。Tシャツにジーパンっていつもの服装じゃない!」
「あー、別に良いだろ。今更だし」
大きく溜め息を吐いて、肩を落とすお袋。
「はぁ、撫子ちゃんもこんな男のどこが良いのかしら」
「……ちょ、息子に対して辛辣すぎじゃないですかね!?」
お袋はもっと俺に優しくするべき。というか、優しくしろ。
俺は心の中でそう吐き捨てた。決して面と向かって言えないからというわけではない。ないったらない。
***
飛び出すように家を出て、撫子の家まで歩く。
お隣さんとはいえ、撫子の家は広大な敷地を持つ日本屋敷なので、入り口の四脚門にたどり着くまで5分程歩かなければならない。
最初は現地かバス停で待ち合わせをしようと思っていたが、撫子がどうしても家まで迎えに来て欲しいと言うので今に至る。
そうこうしているうちに四脚門にたどり着いた。取り敢えず、テレビドアホンを鳴らす。そう待たずに、お入り下さいという声が聞こえてきた。
門を通って屋敷まで歩く。
髙野宮家は驚くほど大きな日本屋敷だ。幼少の頃、何度も泊まり来たことがあるが、俺もその全貌を把握しきれていないほどである。
玄関前にはいつものように山郷さんが静かに佇んでいた。彼女は俺の姿を認めると、深々と礼をする。俺も慌てて頭を下げる。相変わらず仰々しい。俺はそんな頭を下げられるような人間じゃないんだが。
「貴弘ぼっちゃん、おはようございます」
「おはよう。山郷さん」
「さあ、お嬢様からお話はお伺いしております。どうぞ御上がり下さいませ」
「ああ、ありがとう」
山郷さんに促されるままに、玄関に入り靴を脱いで上がる。山郷さんはすかさず靴を片付け、俺を案内してくれる。
「あれ? 撫子の部屋って逆方向ですよね?」
「支度ができるまで、こちらでお待ち頂くようにお嬢様から言付かっております故」
と言って、客間に通された。
溜め息を小さく吐いて、大人しく座って撫子の準備が終わるまで待つことにする。しょうがない。女は準備に時間がかかる生き物なんだ。
暫くぼーっとしていると、襖が開けられた。撫子が来たのかと思い後ろを振り返ると、そこには和服姿の壮年の男性が立っていた。
「やぁ、貴弘君。良く来てくれたね」
「おじさん、お邪魔してます」
彼は撫子の父親、髙野宮和彦さんだ。つまり髙野宮グループ会長その人である。整った顔立ちに、人当たりの良い朗らかな性格で、小さい頃から俺に優しく接してくれている。
おじさんは柔らかく微笑むと、俺の対面に腰かけた。
「今日は娘とデートらしいね」
おじさんの言葉を受け、姿勢を正す。そう言えばきちんとその事について挨拶をしていなかった。
「えっと、その……はい。俺、実は撫子と付き合うことになって……」
「ふふっ。ああ、いやそう固くならないで欲しい。反対するつもりなんて全くないからね。貴弘君のことは昔から知っているし、他の男より安心して任せられる。むしろ、僕は応援しているよ」
「ありがとう、ございます」
その優しげな笑みにほっと胸を撫で下ろす。おじさんは本当に良い人だ。
「……それに、いつか必ずこうなるとは思っていたんだ」
「えっ?」
「撫子が君に惚れていたのは昔から知っていたし、何より娘は髙野宮の女だ。心に決めた男性を手に入れるためなら、自身の持てるもの全てを使うことに全く忌諱を憚らない。現に僕もそうやって妻に落とされた身だからね。ああ、僕は入婿なんだよ。そして、僕の義父や義祖父も同じように、外堀を埋められて婿入りしたんだ。つまるところ、髙野宮家は代々女系の家系なのさ」
思わず固まる。
ああ、撫子の外堀を埋めて行く手法は、一子相伝みたいなものだったのか。なにそれ怖い。戦慄する。
俺の姿を見て、おじさんは疲れたように微笑んだ。
「だから、僕……というか髙野宮の男は貴弘君の味方なんだ。僕らは同志みたいなものだからね」
「あはは、ありがとうございます」
げんなりとした顔になる。髙野宮の女は末恐ろしいな。
「うん、気持ちは分かるよ。まあ、何かあったら相談してくれ。何かと力になるから」
「……心強いです」
「うん。じゃあ、僕はそろそろお暇するよ。娘ももう準備が終わる頃だろうしね」
よいしょ、とおじさんは腰を上げた。それから障子まで歩き、思い出したように振り向いた。
「……ひとつ言い忘れたことがあった。貴弘君に色々言ったけど、僕は妻と結婚できてとても幸せだと思っている。君も必ずそうなるよ。これは予想じゃなくて確信だ。……と言うわけでデート、頑張ってね」
浮かべられた微笑みは、とても柔らかく幸せそうで俺まで嬉しくなった。そして純粋に、憧れた。俺もこういう笑い方ができるようになりたい。そう思った。
さりげなく結婚について言及されていることについては、今はそっとしておこう。うん。
「……貴弘さん、お待たせ致しました。お父様とご挨拶できましたか?」
おじさんとほぼ入れ替わりで、撫子が客間に入ってきた。
ああ、なるほど。
俺とおじさんを引き合わさせるために、あえて撫子は俺をここで待たせたのか。
「おう、撫子―――っ」
撫子の姿を見て、言葉を失う。
ネイビーワンピースに白いカーディガンをはおり、清楚なお嬢様風のコーデ。まあ、実際は「お嬢様風」ではなく、本物のお嬢様なんだが。いつもは下ろしているストレートの長髪は、今風のルーズな三つ編みシニヨンでまとめられており、それが恐ろしいほど撫子に似合っていた。くそ、卑怯だ。こんなん見惚れてちまうに決まってんだろ。
「……貴弘さん?」
「いや、その、あー、うん。髪型と服、すげー似合ってる。……可愛い、と思う」
「……貴弘さん。お願いがあるのですが」
俺の渾身の誉め言葉がスルーされた。いたたまれない。撫子はぼんやりとした表情で、俺に手を差し出した。
「手を、つねって頂けますか?」
「はぁっ?」
「手をつねりなさい」
二回目は懇願ではなく、命令だった。有無を言わせない雰囲気に呑まれ、差し出された手の甲を軽くつねる。
「……痛い」
確かめるように手の甲を数回撫でて、ぽつりと呟いた。
「おい、撫子?」
「――――――っ!!」
撫子は口をパクパクさせて、悶絶した。酸素を求める金魚みたい。初めて見る顔だ。というか、本当に大丈夫なのかこれ。
「お前、何かおかしいぞ」
「……だ、だって、貴弘さんがそんなに褒めて下さるなんて思ってもいなかったから。今まで服や髪型を変えても一言もなくて、それなのに突然。だから、夢を見ているのかと、私……」
「あー」
頭を掻く。
スルーしたのではなく、脳の処理が間に合わなかっただけのよう。いつもの冷静な二極思考は身を潜め、顔を真っ赤に染めておろおろと動揺している。
確かに、俺にとって恋人になる前の撫子は、高嶺の花な幼馴染みだった。イメージは近寄りがたいくらい綺麗で高潔。そして、いつか離れて行く存在。
でも、今は違う。
撫子は高嶺から舞い降りて、俺の彼女になってくれた。遠くから眺めて綺麗だと思うのではなく、側にいてちょっとした仕草にいとおしさを感じる。これが恋だと知った。
「可愛いとか、似合ってるとか……これからは、ちゃんと言うようにするから。お前も頑張って慣れろ」
そう言って、つねった方の手を取る。少し赤くなった肌をそっと撫で、微笑んでみせた。
「……嬉しい。貴弘さん、ありがとうございます。でも、きっと何年たっても慣れないと思うわ。今だってドキドキしすぎて、死んでしまいそうですもの」
上気した頬を隠さずに、撫子は微笑んだ。
***
15分程バスに乗り、目的地の寺地科学館に到着した。
科学館とは言ったものの、そこまで規模は大きくない。まだ朝方ということもあってか、他の客の姿は見えない。もしかして、今日初めての入館者が俺たちかもしれない。
「撫子、行くぞ」
「はい、貴弘さん」
手を差し出す。
撫子はそれを見て目を細め、俺の手を握る。そして、指を絡めて、離さないとでも言うようにきゅっと力を込めた。
これは、所謂恋人繋ぎというやつでは……? 俺は顔が赤くなるのを自覚した。
科学館に入り、チケットを購入。プラネタリウムも料金は別途だった。それでも、千円以内で済み大変懐に優しい。
プラネタリウムの時間まで、少し時間がある。それまで、俺たちはゆっくりと展示を見ることにした。
俺は撫子を連れて、真っ先に宇宙の秘密と題した部屋に入った。宇宙誕生から現代に至るまでの壮大な内容が展示されている。あまり専門的な知識はないが、ビッグバンやブラックホールなどにロマンを感じる。見ていて飽きない。
「貴弘さん、楽しそうですね」
撫子は繋いだ手を軽く引き、俺の顔を見上げた。
「宇宙とかワクワクするだろ?」
「ふふっ、貴弘さんったらまるで子どもみたい」
「むっ、そんなことない」
「拗ねないでください。本当に可愛い人ね」
「……男に可愛いはないだろ」
撫子から視線を外して、頬を掻く。
隣から、そういうところよ、と呟く声が聞こえた。
***
プラネタリウム上映の時間になったので、ホールに向かう。席は自由席だったため、俺たちはちょうど真ん中の席に座ることにした。
暫くして照明が暗くなり、天井に星空が浮かび上がる。投影機で映し出される9000個の星が一斉に瞬いた。本当の星空みたいだ。
「綺麗……」
撫子は俺の肩に頭を預け、うっとりした声音でそう呟く。天の川が棚引き、星が回る。
「貴弘さん、見て!」
「ん、どれだ?」
撫子は星空に向かって、指差した。
「ほら、斜め右にある星座です。レグルス、デネボラそしてアルギエバ。獅子座よ」
一際輝く星をなぞり、繋げていく。俺はそれを目で追う。
「あれがか? あんまりライオンって感じがしないな。……後、お前結構星座に詳しいのな」
「そうでもないわ。私、獅子座ぐらいしか知らないもの」
「何でまた獅子座だけなんだ?」
「……だって、獅子座は貴弘さんの星座ですから」
―――あまりの衝撃で、声が出なかった。
「貴弘さん?」
「ああ、うん。大丈夫、大丈夫」
自分に言い聞かせる。ナチュラルに惚気を聞かされたような気がして、一瞬意識が飛んだ。
気を取り直して、俺も撫子に聞いてみる。
「そういや、撫子は何座だったっけ?」
「……蠍座よ。だから、気を付けて下さいね。蠍座の女は執念深いと言うわ。それに嫉妬深く、独占欲も強い」
俺の腕に手を回して、耳元でそっと囁かれた。もう、さっきから何なの!? 全力で堕としにかかってるじゃん勘弁してくれ!
このままだと、試合に負けて勝負も負ける。何を張り合ってるのか自分でも分からない。だが、やられっぱなしじゃ男が廃るってもんだ。
俺はぐっと唇を噛んで、覚悟を決めた。
貴弘、逝きます!
「撫子」
「はい」
何ですか? と言いかけた撫子の頬を掴んで、顔を引き寄せる。
その勢いに任せて、唇を奪った。周囲は暗く、撫子の表情は分からないが嫌がっていないことだけは確かだ。
満点の星空の下、俺たちは何度も口付けを交わした。
その行為に夢中になって、いつの間にか夜明けが近づいていた。照明がぼんやりと室内を照らし始める。
「たかひゅ、ろ、さん……んっ」
「んっ。はぁ……俺の勝ち、だな」
口を離して、照れ隠しに勝ち誇ってみる。撫子は、頬を染めて眉をひそめた。
「……馬鹿。そんなことしなくても、私は貴弘さんに勝てないわ。10年前にした大勝負に負けたのですから」
「……そんな勝負したことあったか?」
首を傾げる。
過去を振り返っても、そんな勝負をした記憶がない。
俺の顔を眩しそうに眺めて、撫子は柔らかく微笑んだ。あっ、この表情おじさんとそっくりだ。やっぱりこう見ると親子だな。
そんなことを考えていると、視界に撫子の顔が広がる。
「……良く言うでしょう。先に惚れた方が負け、と」
唇に柔らかい感触が伝わった。
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