第19話 二人の背中
俺が彼女に初めて会ったのは、小学1年生の夏。幼稚園からの友達、日野貴弘……タカと遊ぶために彼の家を訪ねた時だった。
チャイムを押して、お利口に返事を待つ。少しして、玄関の扉が開けられ、タカのお母さんが出てきた。
「あら、圭一君。こんにちは」
「こんにちは! 貴弘君は居ますか?」
「ええ、2階の部屋に居るから上がって行って」
「おじゃましまーす!」
許しを得た俺は元気良く答えて、靴を脱ぐ。それから足早に階段を駆け上がり、タカの部屋のドアを勢い良く開けた。
「タカっ、新しいゲームやろうぜぃ……うぇぃ!?」
言葉を詰まらせてしまったのは、あまりの衝撃に頭がついていかなかったからだ。
鋭い目付き、夏の日差しで日焼けした肌に短く整えられた髪。それは見慣れたタカの姿だ。無論、問題はそこではなく、タカにぴったりくっつくように座っていた先客の方だった。
(……わぁ、すごくきれいな女の子だ)
眼を見開き、思わず固まってしまうほど、彼女は綺麗だった。
グレーのクラシックワンピースに身を包み、長く艶のある黒髪を腰まで伸ばしている。その姿がまるで物語に出てくるお姫様みたいだ、と思った。
「おう、圭一。突っ立ってないで入れよ」
「……う、うん」
俺はぎこちなく頷く。
恐る恐る部屋に足を踏み入れる。
「どうしたんだよ。なんかおかしいぞ?」
「いや、その。……タカ、隣の女の子って」
「ん? ああ、こいつ? 俺のともだちで、撫子って言うんだ。んで、撫子。こいつは幼稚園からのともだちで、圭一だ」
落ち着いた切れ長の瞳が、胡乱げに俺を見詰める。
「は、はじめ、まして! 俺、木村圭一です!」
緊張して声が震えた。
「……はじめまして。髙野宮撫子と申します」
その女の子、髙野宮さんは綺麗な動作で頭を下げた。慌てて俺も不器用に頭を下げた。透き通った声音。思慮深い瞳。清楚な面持ち。同級生の女の子とは全く違う髙野宮さんの凛とした雰囲気に、どうしようもなく胸が踊った。
「ははっ、おまえら何だかお見合いしてるみたいだな」
昨日、テレビで見たんだよな、と呑気にタカは笑った。それを見て髙野宮さんは、露骨に顔をしかめた。タカの腕を引っ張って、私は不満だとアピール。
「……私はお見合いなど致しません。だって私にはもう貴弘さんが居るもの」
「んー、いみわかんねぇ」
タカは笑顔でバッサリ切り捨てる。その清々しさには尊敬の念すら抱く。髙野宮さんは、それを見て深く溜め息を吐いた。
「そんなことより、はやくゲームしようぜ! 圭一、ほらこっちに座れよ」
「……わ、わかったよ!」
俺は取り敢えず促されるままに、タカの隣に座る。すると、キッと髙野宮さんが俺を睨み付けてきた。
えっ、俺何か不味いことしたか!?
「木村さんとおっしゃったかしら? 先に申し上げておきますが……貴弘さんは渡しませんから」
「ええっ!?」
「私より長く貴弘さんと仲良くしているからって、あまり調子に乗らないでください」
突然の宣戦布告に、思考が追い付かない。
そんな俺の様子を見て、タカは困ったように仲裁に入る。
「こらっ! 撫子、ダメだろ。何で圭一にケンカうってんだよ」
「貴弘さん、これは喧嘩などと言う低俗な行いではありません。言うなれば、乙女の聖戦です」
「……むぅ。おまえの言ってること、ときどきむずかしすぎてわからん」
「今は分からなくても、いつかきっと分からせて差し上げます」
「めんどくさいから、いいよべつに」
「いいえ。そうはいきません。何故なら、私が髙野宮の女だからです。常に優雅で徹底的に物事を完遂させる人であれ。それが髙野宮の家訓です。どんなに時間がかかっても、必ず分からせるわ」
髙野宮さんは、そう言って笑った。
それはまるで決定事項を申し伝えるように、力強い言葉だった。
***
ーーー回想していた思考を戻す。
俺は目の前に座るタカを見やった。
俺の視線を受け、タカは居心地悪そうに身体を揺らした。ピッタリとタカに身体を寄せ、腕を組んでいる髙野宮さんもそれに合わせて揺れる。
「ーーーで、10年かけて分からされた、と言う訳か」
「……まあな」
「今日は、それを俺に報告しに来てくれたと」
「……おう」
「羨ましいな、このど畜生っ! というか目の前でイチャつくなよ! 俺が羨ま死す!」
心の底から唸り声が出た。血涙が出る。……いや、出ないけどそんな気持ち。
「木村さんが貴弘さんを焚き付けて下さったと、お伺い致しました。そのお陰で、貴弘さんと結婚を前提にお付き合いできるようになりました」
結婚を前提に、って高校生なのにそこまで話が進んでるのか。でも、まぁ髙野宮さんからしたら10年間タカを想い続けてそれが叶った訳だし、それぐらい真剣に将来を見据えてるってことだよな。
「あっ、いや、そんな。全然、良いんですよ!」
「そうだぞ、撫子」
「タカは黙っとけ!」
「なんでだよ!」
タカは情けない顔をした。
ふふん、ざまぁ。
「感謝こそしておりますが……貴弘さんは渡しませんから」
「ひぇ」
予想外の一言に、思わず声が裏返る。いやいや、どうしてそうなる。
「はぁ!? ちょ、俺はそんなつもりないですけど!?」
「……昔から貴弘さんの一番のご友人は、木村さんでした。私はそれがとても、とても悔しかった。今だって、木村さんは貴弘さんの特別な存在だわ。だから、貴方はずっと私のライバルなのです」
いや、意味分からん。そもそも、俺と髙野宮さんでは想いのベクトルが違う気がするんだが。
髙野宮さんって、タカが絡むと見境ないっていうか、ポンコツになるっていうか。そんだけタカのこと好きなんだろうな……もう、ほんとご馳走さまです。
誤魔化すように頭を掻いて、耳まで真っ赤に染まったタカを見やる。
「……タカ」
「頼む。何も言わんでくれ。こいつは変に頑固だから、言っても聞かん。適当に受け流せ」
「酷いわ、貴弘さん。私は真剣なのよ?」
分かった分かったと、タカは髙野宮さんの頭を慰めるように撫でる。彼女は文句を漏らしているものの、構って貰えて嬉しいようで表情は緩んでいる。
先に惚れたら負けとは良く言うが、髙野宮さんは正にそれだ。色々言いつつも、惚れた弱味でタカには基本的に甘い。
尻に敷く所は敷いているんだろうけど、本当の意味でタカには一生勝てないんだと思う。いや、勝つつもりもないんだろう。髙野宮さんにとって、一番は常にタカなのだ。
「圭一、あんまり長居すると悪いからそろそろお暇するわ」
「おう、出てけ出てけ、このリア充が」
「お前なぁ……はぁ、もう良いや。行くぞ撫子」
「はい、貴弘さん」
タカは立ち上がると自然な動作で、髙野宮さんに手を差し伸べた。髙野宮さんは、控えめにその手を取る。
タカはこういうことが自然にできる男だから、髙野宮さんも弱いんだろう。全く罪な男だ。
身長が179㎝あるタカと並ぶと、髙野宮さんは頭半分以上低い。丁度良い身長差だと思う。
鋭い目付きをしているが、顔立ちは整っているし、身長も高く身体付きもがっしりしている。性格も面倒見が良い兄貴肌で、頼りがいがある。
タカは気づかなかったが、小学校・中学校でもそれなりにモテていたので、髙野宮さんも気が気でなかったんだろう。だからこそ、高校は是が非でも同じ学校に行きたいとタカに泣き付いた。
今まで髙野宮さんを幼馴染みの高嶺の花だと思って、恋愛的な意味で除外していたタカ。そんなタカに彼女が居なかったのは、一重に髙野宮さんが目を光らせ遠ざけていたからだ。本当、愛されてるよなぁ。俺もそんな彼女が欲しい。
タカたちを玄関まで送る。
「じゃあな、圭一」
「木村さん、お邪魔致しました」
タカは軽く手を上げ、髙野宮さんは綺麗にお辞儀をした。
「ああ、気をつけて帰れよ」
「おう」
扉が閉められる。
ふぅ、ため息を一つ付く。
部屋に戻ろうと踵を返すと、再度扉が開かれタカが顔を出した。
「どうした何か忘れもんでもしたか?」
「いや、違う。……その、圭一。色々……ありがとな。ただ、それだけ言いたくて。じゃあな」
返事を返す前に、扉が閉められた。
思わず笑みが漏れる。相変わらず、不器用でそれ以上に良い奴だ。だから、俺もずっと友達を続けてる。
ーーーきっと、これからも。
「……幸せになれよ」
その呟きが、扉の向こうで歩き出した二人の背中に届けば良いと思った。
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