第11話 風邪とぬくもり
バチカン市国とほぼ同じ敷地面積を持つ聖深学院。
その中には、4つの学舎に寄宿舎、3つの食堂兼購買部、カフェ、礼拝堂や図書館、体育館2棟に3つのグラウンド。更に、診療所、時計塔、茶室、弓道場、講堂、温室、パーティーハウスなど、それ以外にも様々な施設が存在する。もはやひとつの町と言っても過言ではない。
俺は体育の授業を終え、ジェンシャン学舎に向けて歩いていた。目の前には噴水を囲むようにして、薔薇の庭園が広がっている。
その中庭を突っ切ると、手前にリリィー学舎である本館があり、左手に西館のローズ、右手に東館のアイリス。そして、リリィー学舎の対面側に北館のジェンシャンが建てられている。
どれもビクトリア朝様式で建築され、学舎というよりも城や豪邸といった方がしっくりくる。
(あれは……撫子か?)
本館から出てくる女子生徒の中に撫子の姿を見つけた。手に下げている巾着を見るに、今から茶道の授業にでも行くのだろう。茶室は本館から離れた場所にあるため、早めに移動しないといけない。広すぎるというのも中々不便だ。
そんなことを考えながら、撫子の顔を遠目で見つめる。そして直ぐに違和感に気づいた。
(……撫子、体調悪いのか)
立ち振舞いや表情には一切出していないが、幼馴染みの俺は騙せない。思わず舌打ちをする。今日は俺が日直当番だったため、撫子とは別々に登校したのだ。だから、それに気付けなかった。
俺は駆け足で撫子の元へと向かう。
「撫子!」
「……貴弘さん?」
声をかける。撫子は俺に気がつき、少し驚いたように目を見開いた。ずかずかと近づいて、構わず手を引っ張る。
「ちょっと、いいからこっちにこい」
「えっ、あの……貴弘さんっ!?」
撫子は珍しく、狼狽えた声を出した。
後ろにいる他の女子生徒たちも、俺の突然の行動に驚きざわめく。
少し離れた所まで引っ張ってきて、俺は撫子に向き直った。撫子の前髪を優しく払い、額に手を当てる。
……やっぱり、熱い。
「撫子、これ絶対熱があるぞ。体調悪いのなら無理しちゃ駄目だろ」
俺は撫子の瞳を見て、諭すように話しかけた。隠しだては許さないという顔をする。撫子は観念したように眉を下げて、弱々しい声を出した。
「……は、はい、その、すいません。実は、昨晩から体調が悪くて。……でも、貴弘さん、どうしてお分かりになったのですか?」
「当たり前だろ。何年一緒にいると思ってんだ。お前のことならすぐ分かる」
「……っ」
撫子は小さく息を呑んだ。
そんなに驚くようなことだろうか。
「一緒に診療所に行ってやるから。……ちょっと待ってろよ」
それだけ言って、俺は後ろで俺たちの動向を見守っていた女子生徒たちの元に行く。
「悪い。撫子、いや。髙野宮さん、体調悪いみたいで。今から診療所に連れていくから、先生に言っといて貰えるか?」
俺の言葉に、彼女たちはコクコクと頷いた。本当に大丈夫なのだろうか。まあ、とりあえずはこれでよし。
「……撫子、行くぞ。ほら、その巾着も持つから」
「はい。貴弘さん、その、お願いします」
「ああ、任された。しんどいだろ。支えるから、肩に手を回すぞ。いいな?」
巾着を受け取る。撫子が頷くのを確認して、肩に手を回す。ふっと撫子は力を抜いて、俺に寄りかかってきた。
撫子の足取りに気を付けながら、来た道を戻る。
「撫子、これから何かあれば真っ先に俺に言えよ。どうせ隠しても俺にはすぐ分かるんだからな」
「……ええ、分かりました。貴弘さん」
「おう、なら良い」
庭園の中心の噴水にたどり着くと、右手に曲がる。そのまま歩き続け庭園を抜けると体育館とグラウンドが見えてくる。そのすぐ側に診療所がある。この診療所には、校医が常に在中している。
診療所に入り受付けに声をかけると、直ぐに診察室に呼ばれた。
「撫子、俺はここで待ってるから」
「……貴弘さん、その、私不安で、一緒に来て欲しいです」
上目遣い。風邪を引くと心細くなるって言うしな。俺は安心させるように笑って頷いてみせた。
「分かった。ちゃんと側に居るから」
「……はい」
撫子は安心したように微笑んだ。
***
結論から言うと、やはり風邪だったようだ。
先生曰く、夏バテもあり、体力や免疫が落ちていたのだろうと。更に、放っておくと肺炎などに発展することもあるので注意するように、と釘を刺された。
とりあえず今日のところは、脱水もあったため点滴だけしてもらい、経過観察となった。勿論、早退して十分な休息を取るように、と先生からありがたいお言葉を頂いた。早退のことは、診療所から学院に電話を入れてくれるとのこと。
俺は直ぐに撫子の実家に電話して、迎えの車両手配をお願いした。電話から10分もせず車が着くと、撫子を支えて後部座席に座らせる。
「お前の鞄、また後で家に届けてやるから」
「……はい、ありがとうございます」
「いいか、今日はゆっくり休むんだぞ」
「ええ。でも、貴弘さん……私、寂しいわ。早く鞄を届けに来てくださいね」
「分かったよ。授業終わったら直ぐに行くから」
よしよし、と俺は撫子の頭を撫でてやる。
はい、と撫子は嬉しそうに頬を緩めた。
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