第8話 彼女は1日に7度紅茶を嗜む


 4つの学舎に対してひとりずつ存在する監督生プリフェクト


 それは学舎ごとに、最も優秀な生徒が選ばれる。100年以上前からこの聖深学院で長年継承される伝統ある称号だ。

 生徒の手本となるための監督生には、生徒会のようにこれと言った実権が有るわけでもないが、その発言の影響力は大きい。


 ……で、俺の目の前にいる少女もそんな監督生の1人。

 アイリスの監督生アンジェリカ・モーガンである。


 彼女は三度の飯より紅茶好きという生粋のイギリス人。一日に7度は紅茶を飲まないと気がすまない性分らしく、会うときは大抵ティーブレイクしている。


 それはそれとして、寄宿舎ならまだしも、校内にティーセットを持ち込むのはどうかと思うぞ。


 寛容的で他者との調和を尊ぶアイリスは、4つの学舎の中で最も留学生が多く国際色豊かだ。故に、モーガンのような留学生が監督生になることも珍しくないと言う。


 ここは、アイリスの校舎内にある談話室。

 昼休み、俺はこの少女に呼び出されていたのである。


 モーガンは花柄のいかにも高そうなティーカップを片手に持ち、俺に向かって優雅に微笑んだ。


「ご機嫌よう。ミスターヒノ。紅茶はいかがかしら?」


「……いや、遠慮しとく。それより、わざわざ俺を呼び出した理由を聞いてもいいか?」


 モーガンは俺に紅茶の誘いを断わられて、しゅんと肩を落とした。彼女のプラチナブロンドの髪がそれに合わせて揺れる。


「そう、残念だわ。……ええと、お呼び立てした理由でしたかしら? ミスターヒノ、このお誘いのお手紙をナデシコに渡して頂きたいの」


「撫子にか? 別に俺を使わないで、直接本人に渡せば良いのに」


「だって、貴方が撫子のゲンマでしょう? なら、貴方を通すのが筋と言うものよ」


「いや、俺撫子の蕾ではないし、撫子も俺のフロスでもないからな」


「あら、そうなのですか? 私はてっきりそうだと思っていたわ……」


 ゲンマエトフロス


 蕾と花は、分かりやすく言うと新入生ひとりに対して、上級生が寄宿舎や学院での立ち振舞いを手助けするというものだ。所謂、エルダー制度、もしくはメンター制度というやつである。


 これは生徒の情緒や連帯感を育て、自立を促すために初代学長が定めたものだ。昔は学院側が無差別にそれらを振り分けていたらしいが、今は基本的にその采配は生徒に委ねられている。


 特に強制でもないので、蕾と花の関係を持たない生徒も多い。更に最近では、親愛を結ぶ意味で同級生でもその関係を結ぶ者もいる。バレンタインに友人同人で友チョコを渡し合うみたいなノリだ。……この制度、結構緩い上に何だか百合々しい。


 そもそも、無駄に学舎の名前をアイリスやリリィーにしてみたり、栄光なる花グロリア・フロス蕾と花ゲンマ・エト・フロスなど、英語やラテン語を多用するネーミング。


 明治ではハイカラだったのかもしれないが、今となっては中二臭しかしない。普通に和名では駄目だったのだろうか。


「まぁ、良いけどな。……で、これ撫子に渡すだけで良いのか?」


「ええ、来月の定期演奏会のお誘いの手紙よ。ナデシコはどんな楽器でも自在に奏でられるでしょう?」


 定期演奏会とは、音楽に心得がある生徒が持ち回りで行う演奏会のことだ。今回はモーガンがその担当らしい。


「……ああ、なるほどな」


 確かに撫子はどの楽器も難なくこなしてしまう。俺が知るだけで、ピアノやヴァイオリン、コントラバス、フルート、それに琴。感心を通り越してもはや呆れる。あいつはいったい何を目指しているんだ?


「よろしければ、ミスターもどうかしら? 何か弾ける楽器はおありですか?」


「いや、俺はカスタネットで裏打ちさえできない男だぞ。小中と習ったリコーダーですら危うい」


「ふふっ、残念。でも、それなら仕方がないわね」


 モーガンは口に手を当て、上品に笑った。美人だから笑うと余計魅力的に映る。どこかいたずらっ子めいた彼女の新緑の瞳が一際キラキラと輝いて見えた。


「じゃあ、これ受け取っておくよ。今日中に撫子に渡しとくから」


「ありがとうございます。よろしくお願いするわ、ミスター」


「おう、任された」


 どんとこいと俺は胸を叩いて、大きく頷いた。



 ***



「よっす、撫子。ほれこれ。モーガンからだ。定期演奏会の誘いだってさ」


 放課後。

 いつものように俺はリリィーの学舎に撫子を迎えに行った。忘れない内に例の手紙を撫子に手渡す。


「貴弘さん、挨拶はきちんとしてください。まったくいけない人ね。それに、モーガンさんからのお手紙ですか。……定期演奏会のお誘い」


「おう、それでどうだ。出るのか?」


「ええ、そうですね。……貴弘さんは、どう思いますか?」


「えっ、何で俺? うーん……まぁ、たまには良いんじゃないか」


 俺の言葉を聞いて撫子は、目を伏せた。しかし、それも長くは続かない。視線を俺に戻し、妖しく微笑んだ。あ、これはめんどくさくなりそうな気がする。


「……貴弘さんは、私の演奏を聞きたいですか?」


「いや、別に」


「聞きたい、ですか?」


「ひぇ」


 怖っ!?

 ぞっとするほど冷たい声に、思わず情けない声が漏れた。表情が強張り、喉がひりつく。駄目だ。あれは、ヤられる。拒否したら、間違いなくヤられる。とんでもない出来レースもあったもんだ。


 俺は声を震わせながら、こくりと頷いた。それ以外の選択肢はない。


「聞きたいデス」


「ーーそうね。そこまでおっしゃるならやぶさかではないわ。貴弘さんが見に来て下さるなら、参加しても良いですよ」


「え"ッ」


 ……どんな交換条件だよ。というか、俺の扱い雑すぎでは?


 俺はきまりが悪くなり、雑に頭を掻く。


「ぐ、ああ、もう、しゃあねぇーな。分かった。行くよ!」


「……ふふっ、頑張りますね。貴弘さん、絶対に見に来て下さいね。絶対よ」


「へいへい」


「返事は1回」


「へーい」


 撫子は満面の笑みを浮かべた。

 それから、俺の手を握って一言。


「……でも、ひとりで私以外の女性に会いに行くのは、これっきりにしてくださいね」


「……ひぇ」


 目が笑っていなかった。

 それを直視した俺は、教室の隅っこでガクブルしながら、神様に祈りを捧げそうになった。



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