第7話 背中を追いかけて
あの電話から10分程して、玄関のチャイムが鳴った。
「俺が出るわ」
「おう、任せた」
圭一に断りを入れて、俺は腰を上げる。玄関まで行き、扉を開いた。
まず目に飛び込んできたのは、濡羽色の長髪。撫子はその髪を上品に三編みのハーフアップにしていた。
淡い水色のリボンワンピースを着て、つばの長い麦わら帽子を被っている。その清楚な装いは驚くほど撫子に似合っていた。
「ごきげんよう、貴弘さん」
一段と柔らかい口調で、俺にあいさつする撫子。俺はそれに答えるように片手を上げた。
「おう。にしても早かったな」
「車で送って頂きましたので」
「なるほど。まあ、とりあえず入れよ」
「はい、失礼致します」
撫子はサンダルを脱いで、部屋に入った。
「圭一、撫子が来たぞ」
「……木村さん、お邪魔致します」
「髙野宮さん、どうぞどうぞ。汚いとこで悪いけど。その、ゆっくりしていってください。あっ、座るときはこの座布団を使ってね」
撫子は優雅に頭を下げる。それを見て、圭一は頭を掻きながら恐縮した様子。
「圭一、緊張しすぎだろ。撫子に初めて会ったわけじゃあるまいし」
「いや、まぁそうなんだけどさ。慣れないっていうか。髙野宮さん、いつ見てもとんでもない美人だろ」
「ふーん、そういうもんか」
俺はそう言いながら床に胡座をかいて座る。撫子も続いて俺の横に座った。
「そういうもんだ」
「俺は毎日こいつに会ってるから、あんまりピンとこないな。撫子が綺麗なのは認めるけど」
「まぁ、貴弘さんったら」
撫子は頬を染め、はにかんだ。
近い近い。こら、しなだれかかるな。
「はぁ、お前ら流れるようにイチャつくよな」
「違う。一方的にじゃれつかれているだけだ」
「巷ではそれをイチャつくと言うんだ」
「アホぬかせ」
憮然とした表情で言葉を返す。話がややこしくなるのでそれ以上はいけない。
俺は顔を背けると、撫子が大きめの鞄を持っているのに気が付く。いつもは、小さなショルダーバッグしか持たない撫子にしては珍しい。
「撫子、お前その荷物どうしたんだ?」
「ああ、これですか。貴弘さん、きっとまだランチを食べていらっしゃらないと思って、お弁当を作ってきたのです」
撫子はそう言って、バッグから重箱を取り出した。そう言われると、まだ昼御飯を食べていない。
というか、電話があってからここに着いた時間を考えると、その時には既にお弁当を作っていたのだろう。
俺がどこにいるのか。そもそも昼飯を食べているのかどうか。その時点ではまったく分からなかったはずなのに、どういうことだ。
「……エスパーかお前」
「さて、どうでしょう」
意味ありげに、唇を緩める撫子。嘘だと言ってくれ。お前ならあり得そうで怖いわ。俺はそれ以上考えることを放棄した。
「……もう、いいや。それより、折角作ってきてくれたんだし食べようぜ。こんだけでかかったら、圭一の分もあるだろ」
「ああ、そうだな。髙野宮さん、俺もご相伴にあずかっても良いですか?」
「ええ、どうぞ。ご賞味下さい」
許可が出たので、重箱を開く。
一段目には唐揚げ。卵焼き。きんぴら牛蒡。ほうれん草のごま和え。エンドウ豆とひじきの豆腐ハンバーグ。チーズと青じそ鶏肉の春巻きが入っている。
二段階は、筍の炊き込み御飯が詰められていた。どれも俺の好物ばかりで、とても美味しそうだ。
「うわぁ、見事にタカの好物しか入ってないな」
圭一が感嘆の声を上げる。俺はふふんと得意気に笑う。
「おう、撫子の作る飯はうまいぞ」
「……そりゃ、お前のためだけの味付けだからな」
「そうか? おっ、この卵焼き何かいつもと違うな」
「ふふっ、お気付きになられましたか? 昆布とアゴ出汁の配分を変えてみたのです」
「ん、美味しい。俺こっちも好きだ」
「そうですか。良かった。貴弘さん、沢山召し上がって下さいね」
「ああ。まかせろ」
「……本当に何で付き合ってないんだよ」
俺たちのやり取りを見ながら、圭一は諦めたようにため息をついた。
***
夕方になるまで、圭一の部屋で遊んで俺たちは帰路についていた。夏は昼の時間が長く、まだ空は明るい。
撫子と河川敷を歩きながら、言葉をかける。
「なあ撫子、別に俺に付き合って歩かなくても良いんだぜ。車で来たんだし、迎えに来てもらったら良かったのに」
「いいえ。私が貴弘さんと歩きたかったのです」
「まぁ、それだったら良いけど」
俺は二見川を眺める。
草が生い茂った場所が目に入った。
「懐かしいな。あそこ、秘密基地があったところだ」
指を差し出て、撫子に笑いかける。
「本当。私が初めて、貴弘さんに出会った場所ね」
「……そうだな。まさか撫子とこんなに長い付き合いになるとは思ってなかった」
「そうかしら? 私は長い付き合いになると思っていたわ」
「やっぱり、お前エスパーだろ」
俺はげんなりと、肩をすくめる。
それを見て撫子は眩しくないはずなのに、目を細めた。
「嘘。本当は、長い付き合いにしたくてずっと努力してきたの」
「……なんだそれ。そんなこと別に努力しなくて良いだろ」
「大切なことよ。ずっと、貴方の背中を追いかけていたかったから」
「――でも、今はとっくに追い抜いてるだろ?」
風が吹く。
撫子の綺麗な黒髪が舞った。
撫子はそれを右手で押さえて、柔らかくも湧き水のように澄んだ声で呟いた。
「いいえ。今も変わらないわ。私は貴弘さんの背中を追いかけているの。貴方に手を引かれて走り出したあの時から、ずっと」
夕日に照らされた、撫子の顔は今まで見た中で一番綺麗だった。
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