第6話 噂をすれば影が射す



 待ちに待った日曜日。


 蝉が鳴き初め、夏の日差しが積乱雲を照らし始めた朝。俺は年期の入ったアパートの前に立っていた。

 

 お目当ての人物は、このアパートの二階に住んでいる。


 赤黒く錆びた鉄の階段を上る。一歩踏み出すごとに、キシキシと不気味な悲鳴が聞こえてきた。それはどんなホラー映画よりも恐ろしい音だった。底が抜けてしまうのではないか、という不安が身体を震わせる。


 このキシキシの音はまだ悲鳴だから! 

 致命的な断末魔の叫びではないから!


 そう自身に言い聞かせる。それにほら、これだけ背筋が凍るような思いをすると冷房要らずだ。なんてエコなんだ。すばらしい。


 そんなくだらないことを考えているうちに、目的の部屋の前にたどり着いていた。


 とりあえず、これみよがしにチャイムを連打する。


 すると、扉の向こうでバタバタとせわしない音が聞こえてきた。それから数秒置いて乱暴に扉が開かれ、その先には乱れた髪の少年が立っていた。こいつは木村圭一、幼稚園からの友達だ。


「おい、タカ! こんな朝っぱらから何だよ!」


「おお、圭一。おはよう。爽やかな朝だな。遊びに来てやったぞ。泣いて喜べ」

 

 ぷんす、と鼻を鳴らし胸を張る。


「何でそんな無駄に偉そうなんだよ……」


「許せ。たまには俺だって息抜きしたいんだ」


「この野郎。開き直りやがったな」


 圭一は荒っぽくそう言って、ガシガシと頭を掻いた。それから諦めたようにため息をひとつ。


 俺はそれを尻目に、レジ袋に入った大量のお菓子を差し出す。人はこれを賄賂と呼ぶ。

 

「また大量に買ってきたな」


「おう、今日1日籠るつもりだからな」


「何勝手に言ってやがる」


「残念だ。お前がやりたいと言っていたゲームを入手したんだがな」


「ようこそ、我が家へ!」


「切り替えが早くて逆に引くわー」


「うるせぇ! 背に腹はかえられん」


 部屋に入らせてもらう。相変わらず散らかってんな。まさに男の部屋といったところだ。日頃から上品しすぎる場所にいるので、その煩雑さが妙に安心する。


 圭一はこのボロアパートに独り暮らしをしている。親父さんが県外に単身赴任しており、お袋さんもそれについて行っている。圭一はこの町の高校に通うために1人残ったという訳だ。


 圭一が着替えたのを見計らって、早速ゲームを始める。よし、今日は遊びまくるぞ!



  ***



 ゲームを初めて、数時間。


 目が疲れてきたので、お菓子を食べながら休憩を取る。


「タカ、聖深学院で上手くやってんのか?」


「まぁ、それなりに。……でも、女子の比率が高くて、毎日めちゃくちゃ気疲れするな」


「そりゃ今は共学になってるけど、元々すげーお嬢様校だもんな。……思えば、良くお前そんなところに進学しようと思ったな」


「…………撫子に泣き落とされた」


「ああ、うん。なるほど。髙野宮さん、昔っからお前にべったりだもんな」

 

 圭一から哀れむような眼差しを向けられた。何か腹立つな。


「でも、あんな美人の彼女がいるんだから良いだろ」


「……彼女じゃないからな。撫子はただの幼馴染みだっての!」


「えっ、何。お前らあんなに毎日一緒にいてイチャついてるのに、まだ付き合ってないのか」


「当たり前だ。それにイチャついてなんかない!」


「うわ、無自覚かよ。爆発しろ」


「するか!」


 そんなやり取りをしていると、スマホの着信音が聞こえた。画面を確認する。そこには撫子の文字が浮かび上がっていた。


「うわぁ、撫子からだ……」


「噂をすればなんとやらだな。早く出てやれよ」


「ぐっ、分かってるよ」


 圭一に促されて、電話に出る。


「……もしもし、撫子か?」


『貴弘さん、ご機嫌よう』


 スマホ越しに、通りの良い落ち着いた声が聞こえる。


「おう。撫子、どうしたんだ?」


『貴弘さん、今どちらにいらっしゃるのですか?』


「圭一の家だ。一緒にゲームしてる」


『木村さんのところ……ですか。私も今からそちらに伺ってもよろしいてしょうか?』


「えっ? いや、でも汚い男の部屋だぜ。1日ゲームしてるし、お前が来てもつまらんと思うけど」


 汚いは余計だ、という圭一の発言は無視する。事実だろうが。


『私は気にしません。いけないでしょうか?』


「ちょっと待ってろよ。圭一にすぐ聞くから」


 俺はとりあえず電話をそのままにし、圭一に伺いをたてる。


「撫子が遊びに来たいんだってさ。良いか?」


「そりゃまぁ別に構わないけど……」


 許可を取れたので、撫子にそれを伝える。


「圭一は良いって。場所、分かるか?」


『はい、大丈夫です。では、今から参りますね』


「おう、待ってる。道分からなくなったら、また電話してこいよ」


『ええ、ありがとうございます』


 会話を終了して、圭一に向き直る。圭一は微妙な顔をして、こちらを見詰めてきた。


「……なんだよその顔」


「髙野宮さんは、遊びに来たいっていうか、タカに会いたいんだろ。馬鹿め。……お前らほんと何で付き合ってないんだろな」


 圭一は眉をひそめながら、吐き出すように言った。心底納得いかないような声音だった。




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