第35話 もう一人

 手がゆっくりと迫り来る。

 だというのに、アベルはその場から動けずにいた。しかし、それは腹の傷が痛むからではない。


(身体が動かない……これは、まさか毒か、それとも呪いの類……?)


 身体の不調に違和感を覚えるアベルの様子を見て、悪神は嗤う。


『よせよせ。無理に動くなよ。さっきの触手には特殊な魔術を使っててな。相手を絶対に行動不能にするように仕掛けあったんだよ。相手がどんな耐性能力を使用しててもお構いなしだ。ああ、ちなみにご自慢の魔法も使えないはずだ。魔法だけじゃあない。あらゆる特殊な能力を無力化する効果だからなぁ。だから、魔法は使えないが、他の異能力は使えるぜ的な展開もないってわけだ』


 その言葉は嘘ではない。現に、『状態変化無効』の魔法が機能していないのが証拠である。


 確かに、デウスは言っていた。『ディフェンダー』を喰らう、と。ならば生かして捕らえる方法くらい、最初から用意しているのは当然のこと。


 事実、身体が動けないだけではなく、魔法も思うように使えそうにない。


『さて。それじゃあ、いただくとするかぁ』

「くっ……!?」


 逃れようとするも、しかしデウスが言ったように、やはり身体は動かない。それも身体に魔術が浸透してきたのか、今では指先一つ、ピクリともしなかった。


 ここにきて、ここまできて、このような展開があるとは。

 油断大敵。まさにその言葉通りである。


(彼に、あれだけ言ったというのに、全く呆れる……っ!!)


 自分が異世界にやってきた理由。それを何故知ろうとしなかったのか。その言葉は、そっくりそのままアベルに返ってきていた。彼もまた、自分が転生した理由を疑問視していても、するだけであり、謎を解明ようとはしなかった。その結果が、これである。


 もしも、転生したことの理由を突き詰めれば。

 もしも、自分とルタロス達の関係性に気づいていれば。


 こんな状況には、なっていなかったのではないか。

 後悔、そして自らの失態に対する憤怒。それらが入り混じりながらの視線を向けられても、しかしデウスは哂っている。


『じゃあな。お前の名前は……ああー、なんてったっけ? そういやぁ聞いてなかったなぁ。ま、どうでもいいか。どうせ聞いてもすぐに忘れるしなぁ!!』


 お前など、所詮その程度の存在なのだと暗に言われながら、けれどそれでもアベルは何も言い返せない。当然だ。事実、自分はデウスの策略に嵌り窮地に陥っているのだから。


 故に今、やるべきことは嘆くことでも、怒ることでもない。


(くっ……せめて、フィーネだけでも助けなければ……!!)


 彼女は己の仲間の仇と取りにここへやってきた。しかし、逆に言ってしまえばそれだけ。運命にも、宿命にも、それこそ世界の理にも関わっていないのだ。ならば、彼女がここで死ぬのは間違っているし、そんなことは認められない。


 彼女は、フィーネは、この旅、この時代、この世界においての自分の仲間なのだから。


 だからこそ、何がなんでも助けなければ。


 だがしかし、そこでようやくアベルは違和感に気付く。

 フィーネが、先程から何も言葉を発していないという事実に。


 確かに、神だの、異世界だの、『ディフェンダー』だの、通常なら訳の分からない単語が出てくれば、会話に入りにくいのは当然だ。故に、口を閉ざしていたというのも考えられる。事実、フィーネが何も言わなかったのも、それが原因だとアベルは思っていた。


 それは大きな過ちだった。

 だが、それはアベルにとって、ではない。

 





「全く―――相変わらず、ツメが甘いな、自称神よ」






 その言葉と同時に、デウスの身体が吹っ飛んだ。

 無造作に、何の前触れもなく、自分を神だと名乗った男は、壁に激突し、その口から血を吐いた。


『がっ、は……!?』


 何が起こった? いいや、誰がやった?

 振り返ると、そこにはフィーネが立っていた。

 立っていたのだが……。


「フィー、ネ……?」


 思わず、眉をひそめながら、アベルは彼女の名前を口にする。


 目の前にいるのは、フィーネのはずだ。けれども、その身体からダダ漏れている魔力は一体何なのか。彼女は一度も魔法を使ったことはない。いいや、そもそもここまでの魔力など持っていなかったはずだ。だというのに、今のフィーネからは、有り得ない程の魔力を感じる。いいや、それだけではない。その纏う空気すらも、十七歳の少女どころか、人のソレではなかった。


 しかし、だ。一方でアベルは思う。

 自分は、この気配を知っている、と。


(今、ここにいるのはフィーネではない……この感じ、この覇気、この雰囲気、まさか―――)


 蘇る感覚。その刹那。


「久しぶりだな、シャドル・・・・。元気そう、ではないのが残念だ」


 その言葉で、全てを理解した。

 圧倒的なまでの覇気を持つデウス、そんな彼を一擊で壁まで吹き飛ばす実力。また、デウスと同格、いいやそれ以上の雰囲気を持つ存在。


 そして、自分を『シャドル』と呼ぶ人物を、アベルは一人しか知らない。

 すなわち。


「魔王、様……っ!?」


 姿は違う。声も違う。

 けれども、そこにいたのは、紛れもなくかつて自分が主と読んでいた存在―――魔王であった。


 あまりにも唐突で、突拍子も無さすぎる展開に、アベルは混乱していた。

 けれども、この現状に追いついていないのは、彼だけではない。


『……おいおい、おいおい、おいおいおいおいおい。ちょっと待て。何だ、こりゃあ、どういう訳だっ!?』


 よろめきながら立ち上がるデウス。傷は大したことはない。それどころか、元通りに治癒されていく。さすがは自分を神と呼ぶだけのことはある、というところだろう。


 故に、彼が驚いているのは攻撃を受けたことではない。

 目の前にある、異常事態に対してだった。


『ああ、その態度、その口調、その空気……見間違えるはずがねぇ。だが、だからこそ、有り得ねぇ!! 何でお前がここにいるっ!?』

「ふん。何だ、そんなに驚くことか?」

『ふざけるなっ。お前は、前回・・殺したはずだ。相打ちだったが、確かに殺したはずだっ。なのに、何でいるっ!? 今回の「ディフェンダー」はそこの奴だろう!? なのに、どうして……!!』

「決まっている。今回は『ディフェンダー』が二人いた。それだけのことだ」

『なっ!?』

「前回、我は貴様と相打ちになってしまった。結果、一度貴様を取り逃がしてしまった。だから、今度は『ディフェンダー』が二人になった。これはそれだけの、単純な話だろう」


 どうやら魔王とデウスは顔見知り―――否、かつて互いに戦ったことのある仲らしい。そして、前回という言葉と『ディフェンダー』という単語。そこから察することができるのは、前回の『ディフェンダー』が魔王であり、彼らは戦い、相打ちとなったという事実。


 そして、今回、魔王は二度目の『ディフェンダー』としての役割を与えられたという。


「とはいえ、二人というのは例外中の例外。故に、我は転生ではなく、憑依という形になってしまったらしい。そのせいで、この少女には迷惑をかけている。申し訳ないことをしているという自覚はしているが、結果として、これも僥倖だったと言えよう。こうして、貴様に一泡吹かせることができたのだから」


 言葉通り、デウスは不意打ちを一擊喰らった。故に、その事実は覆せない。

 だからこそ、彼の怒りは頂点に達していた。


『調子こいてんじゃねぇぞ!! いいぜ、再戦が望みなら、やってやる!! だが、オレをあの時と同じだと思うなよ!! お前相手だろうが、確実に、一方的に倒せるよう、時間をかけてきたんだからなぁ!!』

「再戦、か……ああ、無論、そのつもりだ。そのために、我はここにいるのだから」


 ああ、そもそも。


「この世界に土足で入り込んだ貴様の始末を、我以外の者に任せるわけがないだろうが」

『ハッ! まるで自分の意思でここに立ったような言い方だなぁ!! 実際は世界にもう一度選ばれただけの野郎が、生意気なこと抜かしてんじゃねぇぞ!!』

「ああそうだ。この世界をこんな形にしたのは我だ。神がいなくなれば、人間や魔族は自由となる。争いはなくならない。衝突も起こり続ける。けれどそれでも、神などという馬鹿げた連中の玩具にされることだけはなくなると。そう思い、信じてきた結果、貴様という外道をここへと呼び寄せてしまった。だからこそ、我が選ばれたのだろう。自分のケツは自分で吹く。結局のところ、そういうことだ」


 故に。


「今度こそ、貴様を殺し尽くす。覚悟はいいか、神モドキ」


 その言葉が合図だったのだろう。

 次の瞬間、自称神と元魔王の戦いが、幕を上げたのだった。

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