第32話 邪悪顕現

 決着はついた。


 少なくとも、この状況を見たものならば、誰だってそう思うだろう。


 ひび割れた天井、壁、そして床。そして、それらとは比べ物にならない程、ボロボロになっているルタロスを見ながら、フィーネは口を開く。


「終わった……のか?」

「ええ。少なくとも、もう彼は立ち上がる余力はないようです」


 それはそうだろう、と少女は心の中で呟いた。

 ルタロスの攻撃は、どれもこれもが尋常ではなかった。それこそ、一つでも掠れば、即死するような、そんな凶悪じみたものだったのだ。


 けれど、それをアベルはねじ伏せたのだ。圧倒的な力で、これでもかと言わんばかりに。その差は見るからに明らかであり、フィーネは途中から、ルタロスがまるで三下のチンピラのような感覚に陥っていた。


 強い力を持っているというのに、それを上回るアベルのせいで、色々と常識というものが狂わされた。しかし、だ。そんな中でも言えることがある。


 あれほどの力量をもってしても、何もできなかった。その事実は、心が折れるには十分な理由になる、と。


「それにしても……なんというか……」

「呆気なかった?」

「そう……そうなんだよ。なんつーかさ、今までアタシらを襲ってきてた連中の親玉なんだろ? だったらもっと何かあるかと思って……それが、頭を鷲掴みにされて脳天にきついの一発入れたら気絶とか、なんか釈然としないっつーか……肩透かしを食らった気分なんだよ」


 何度も言うようだが、確かにルタロスの力は凄まじいものだった。雷を複数出したり、マグマを出現させたり、超重力を操ったり、挙句時間すら止めたのだ。正直、フィーネが知る者の中で、彼に勝てる者はいない。少なくとも、アベル意外は。


 だからこそ、だ。そんなルタロスが最強の魔法ではなく、単なる肉弾戦で圧倒され、最後には叩きのめされたことが、未だに信じ難いのだ。


「言いたいことは分かります。が、敢えて言うのなら、それは過大評価というものですよ」

「過大、評価……?」

「ええ。ここに来るまで、確かに色々ありました。その点を踏まえて、貴方はこう思ったはずです。『こんな奴らを束ねている奴は、どんなに強いのだろうか』、と」


 その疑問と思い込みは、しかし自然なものだ。あれだけクセのある連中が揃いも揃って、主に対してだけは忠臣であり続けていたのだから。とかく、四天王は脅威的な力を保有しており、だからこそ、そんな者達が絶対の信頼をおいている存在は、きっと最強で無敵なのだ……そんな、誰が決めたかも分からない錯覚に陥るのは、不思議なことではない。


 しかし、現実はご覧のとおりだ。


「実際、私もここまでとは思っていませんでした。何度も言うようですが、まさかあれだけの事をしでかした者が、この体たらくとは……失望、と言えば、変な言い方になりますが、今、私が抱ているのは、そういう類のものでしょう」


 戦いどころか、喧嘩もしたことがない……あの言葉はきっと的を射ている。そして、だからこそ、彼は、いいや彼らのほとんどは、戦いに対しての想いが全くなかったのだ。誰かのために戦う……そんな当たり前な心を、彼らは持ち合わせてはいないのだ。


 当然だ。ルタロス達は、戦えば、必ず勝利する。負けなどありないし、死ぬこともない。だから、戦うという行為に対して、何の感情も抱かず、意味すら持ち合わせていなかったのだ。


 素人、どころの話ではない。彼は自分がこの世界で生きていることさえ、認識していないのでは、と思う程の空虚な有り様。


 端的に言うのなら、伽藍堂そのものだ。


「しかし、たとえその正体が何であれ、やることは変わりません」


 言いながら、アベルは拳を握る。


 確かに、敵がこんなヤワな存在であるとは思いもしなかった。もっと尊大かつ、それに似合った邪悪な心を持っている者。そんな予想を裏切って出て来たのが、これである。邪悪というにはあまりにも粗末な、諸悪の根源。


 けれど、悪であることには変わりない。いいや、悪であろうがなかろうが、アベルには問題なかった。 


「どうしますか? フィーネ。貴方がトドメをさしますか?」


 そもそも、彼女はそのためにここまでやってきたのだ。ならば、せめて彼女にケジメえお取らせても良いだろう。アベルは先程の戦いで、ルタロスの心をへし折った。ならば、命を刈り取るのが別の者でも問題はないはずだ。


 しかし、アベルの提案に対し、フィーネは首を横に振った。


「……いや、遠慮しとくよ。結局、アタシは最後まで役に立たなかったし。そんな奴が、最後の最後で、横取りなんつー真似したら、格好が悪いだろ」

「ですが……」

「いいんだよ。アンタのおかげで、連中のバカ面をこれでもかってくらい見れたからな。それだけで、アタシ的には十分だったんだ。それに……今の状況でアタシがケジメつけちまっても、あの世にいる仲間に胸張って会うこともできねぇからな」


 本当なら、彼女は自分でトドメをさしたいと思っている。だが、それはできないと彼女の何かが止めているのだろう。


 誇りか、それとも教示か。

 何にせよ、それを無視して強制的にやらせるような真似は、それこそ余計なお世話というものだ。


「……そうですか。では」


 言いながら、アベルは拳を振り上げた。

 その刹那。




「待ちなさいっ!!」




 突如としてアベルとルタロスの間に割って入ってきたのは、一人の少女。


 ……いや、少女、というにはあまりにも特徴的な容姿としていた。長い緑の髪とおぼしきそれは、全て生きた蛇であった。しかし、顔や身体は人間であり、少女のそれであった。見た目の年齢も、恐らくではあるが、フィーネと然程変わらない程度だろう。


 そんな彼女―――ルキナは、両手を大きく広げて、まるで通せんぼでもするかのように、アベルの前に立つ。


「貴方は……」

「この方は……この方は、絶対に殺させないっ!! 私達の主を、大切なルタロス様を、決して殺させはしない……っ!! どうしてもやるというのなら、わたしが相手よ……っ!!」


 刹那、彼女の蛇が全てこちらに視線を向けた。その瞬間、理解する。この城に入ってからの妙な『眼』が彼女のものであったことを。そして、今まさに、彼女は全力でアベルを石にしようとしていた。

 だが。


「無駄ですよ。今の私達には、そういった状態変化系の異能は通用しません。貴方がどれだけ力みながらこちらを石に変えようとしたところで、私達の指先一つ止めることはできません」

「ぐ、ぅう……!!」


 言われながらも、その言葉を無視するかのように、蛇の眼光が輝く。が、やはりというべきか。アベルの言葉通り、どれだけ強い視線を向けても、アベルはおろか、後ろにいるフィーネでさえ、効果が全く現れない。


 これまで、絶対に相手を石にし、そして殺してきた魔眼は、ここでは殺意の篭った眼光にすら劣っていた。


 分かっていたことだ。ここまでの戦いで、自分の能力が一切通用しないこと。そして、自分ではこの男には勝てないことも。当然だ。自分は四天王の中では、最弱。人間よりは強いという自負はあったものの、それもアベルの前は無意味も同然。


 きっと瞬殺されるだろう。

 きっと粉砕されるだろう。

 しかし、それでも。


「それでも、どかないっ!!」


 目の前の人外の少女は、強く、強く言い放った。 


「……では、貴方はあくまで私達と戦うと? 勝てるという自信があると?」

「そんなわけない。きっと、わたしじゃあなたには勝てない。きっと戦いにすらならない。それくらい、わたしにだって理解できる」


 でも。


「わたしにとって……わたし達にとって、この方は創造主であり、全て。ルタロス様のために生まれ、ルタロス様のために生きてきた。だから、最後もルタロス様のために死ぬ……っ!!」


 それはある種の自暴自棄とも言えるだろう。


 しかし、その瞳には迷いは一切ない。彼女は本気で、自らの主であるルタロスの盾となって死ぬ覚悟があるのだ。きっと自分が死んだ後に、ルタロスも殺されるというのも理解している。もっと言えば、彼女のこの行為自体が意味すらないことも分かっているのだろう。


 ならば、ルタロスと共に逃げないのは何故か。簡単だ。そんな事を見過ごす程、アベルは馬鹿ではないし、阿呆でもない。その辺のことも把握しているのだろう。


 だから、彼女はこうして両手を広げて、アベルを阻んでいるのだ。


「……、」


 その姿に、その行為に、アベルは一瞬、身体を静止させた。

 覚悟は決めていた。ここに来るときにはもう、相手を全滅させる決意は固まっていたのだ。たとえ、相手が誰であろうと、どんな理由を持っていようと、最早許される度合いを超えている。だから、完膚無きまでに叩き潰す。そう決めていた。


 故に、戸惑いも一瞬。少女の覚悟と決意と信念を理解した上で、アベルは己の拳を振り上げ―――















『ありがとよぉ。油断してくれて』












 刹那、アベルの腹部に、鋭い何かが突き刺さった。


「……え?」


 きょとんとしたような声。しかし、それを出したのはアベルではない。

 見ると、アベルの腹部を突き刺しているモノ……触手は、ルキナの胸から出ていた。


 いや、もっと正確に言おう。

 鋭いそれは、ルキナを貫いた上で、アベルの腹部に突き刺さっていたのだ。


「うっ……!?」

「アベルっ!!」


 即座に後ろに下がり、触手を腹部から抜き出した。そんな彼にフィーネは即座に近づいた。


 腹部への傷は致命傷ではない。が、かなり深いところまで突き刺さっていたらしく、このまま放置しておくわけにもいかなかった。


 だが、それ以前にだ。

 一体、今の攻撃はなんだったのか。


『ニヒヒヒヒッ!! ようやく隙を見せてくれたなぁ、オイ。それと予想外ってやつ? まさか、仲間ごとテメェの腹ぶっ刺すとは思ってなかったたらしいな』


 奇妙な声がする。

 まるで聞いた者全てを不快にさせる、雑音のような声音。


 そして、それが誰のモノなのか確認しようとした瞬間、ルキナの背後に誰かが立った。


『その点についちゃあ、役に立ったぜ、木偶人形。このゴミ屑と同じで、使いモノにならないクズだったが、最後の最後でいい盾になったぜ』


 そこに立っていたのは、ルタロス。そのはずだった。

 だが、しかし。


「ルタロス、様……? いいえ……いいえっ!! 違う、違うっ!! あなたはルタロス様じゃない、あなたは誰……!?」


 大量の血を流しながらも、ルキナは叫ぶ。


 そう。目の前にいる男は、ルタロスではない。先程まで、力を持ったただの軟弱者だった男は、そこにはいなかった。


 いるのは、どこまでもドス黒く、邪悪な何か。


『おいおい、そんな言い草ないだろぉ? 仮にもオレは、お前達の本当の親なんだぜぇ?』

「何を、言って……」

「どういうことか……説明してもらってもよろしいでしょうか」

「テメェ、一体何モンだ……!!」


 この場にいる全員の疑問は一致しており、故に一同は同じ類の質問を投げかけた。

 そして、男はどこまでも狂ったような笑みを見せながら。


『神様だよ』


 そんな言葉を口にしたのだった。

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