第15話 激昂

「―――あら。お客様とは珍しいですわね」


 教会に入ると、中央にいた一人の修道女が話しかけてきた。

 周りを見渡すと、他には誰もおらず、修道女のみが祈りをささげている状態だった。

 祈りが終わったのか、修道女はアベル達の方を振り向き、続けて言う。


「見かけない顔ですけれど、旅の人かしら?」


 修道女は、美しい顔立ちであった。

 長い白髪は、老人のようなものではなく、冬の日に降る雪の如き色合い。背丈はアベルより少し小さく、見た目は十七、八と言ったところか。そして、何より人形のような白い肌は、まるで太陽の日差しを知らなにと言わんばかりな代物。

 恐らくではあるが、普通の男性陣が彼女を一目見れば、心をときめかせる者が大勢いるだろう。

 そんな彼女に対して。


「下手な芝居はよしなさい。お互い、腹の探り合いなどする必要はないはずです」


 と、アベルは容赦ない一言をぶつける。

 すると、修道女は一瞬目を見開いたかと思うと、不敵な笑みを浮かべながら、言葉を返した。


「あらあら。早急な物言いですわね。せっかちな男性は嫌われますわよ?」

「御託は結構。こちらとしては、時間の無駄なやり口に付き合う道理はないと判断しただけです」


 冷徹と言わんばかりな口調は、フィーネの知っているアベルのものではなかった。彼は確かに厳しいし、色々と口喧しく言う性格ではあるが、少なくとも、フィーネが知っている限りでは、ここまで鋭い言葉を使うことはなかった。


「貴女がこの街を仕切っている人物、という認識で間違いないでしょうか」

「どうしてそう思うで?」

「貴女から感じ取れるドス黒い気配が、この街を覆っている魔法……いえ、貴女たちが言う魔術の気配と同じものだからです。それから、貴女の本当の姿も見えていますよ」

「あら。この世界の者だというのに、よく分かりましわたね。そういう諸々は、隠蔽魔術で隠しているはずですけれど」


 言うと同時に、修道女の姿がみるみる内に変わっていく。否、最早そこにいたの修道女ではない。黒いマントにゴシック気味のドレスは、先程とはまるで印象が逆。男女問わず、相手を魅了すぐかの如き姿に、アベルは吐き気すら感じた。


「初めまして。わたしはカミラ。壊魔王・ルタロス様に仕える四天王の一人。以後お見知りおきを」


 言い終わると同時に、カミラは笑みを見せつけてくる。その瞬間、ギラリと光る何か。それは、人間ではまず有り得ない程長い牙だった。


「やはり、吸血鬼でしたか」

「そこも見抜いているとは、どうやら中々の実力を持っているようで。どうです? 少しお茶でもしながらお話でも……」

「無駄ですよ。先程から私達に対し、魅了の術を使っているようですが、無意味です。生憎ですが、そういう類に関しては既に対策済みですので」


 苛立ちを覚えた口調で、アベルはきっぱりと言い放つ。


「それにしても、四天王というのは、皆小細工が好きなようですね。隠蔽だの催眠だのと。尊大な口ぶりの割に、中身は小物と見えます」


 刹那、カミラの顔が強ばった。


「……なる程。その言葉から察するに、あなたがアイガイオンを倒した男、というわけですか。それならば、ここに来れた理由も、わたしの正体を見破った理由も納得がいきますわね」

「御託は結構。さぁ最期に何か、言い残すことはありますか?」


 拳を鳴らしつつ、闘志を燃やすアベル。

 その様子を見て、カミラは呆れたように呟いた。


「あらあら。本当にせっかちな人ですわね。何をそんなに急いでいるのかしら」

「急いでいるわけではありません。ただ、一刻も早く、この悪辣な街を消したいだけです」

「悪辣? 何をどう見たらそんな言葉が出てくるのかしらねぇ。あなた、ちゃんとこの街の様子を見た? 人間たちは皆、笑みを浮かべていたはずよ。明るい声で話し合い、活気あふれる雰囲気が漂う。素敵な街だと思わな―――」

「黙れ外道がっ」


 刹那。

 アベルから発せられる殺気がより一段と上がる。その、あまりにも強い殺気は、どこまでも冷たく、どこまでも鋭い。そのせいか、カミラの顔が一瞬だが、確実に崩れた。当然である。何せ、隣にいたフィーネでさえ、思わず震え上がる代物だったのだから。

 そして、フィーネは理解する。

 ああ、本当にこの男は、今、激昂しているのだと。


「笑みを浮かべていた? 明るい声で話し合っていた? 活気あふれる雰囲気? ふざけるのも大概にしなさい。あんな強制的にやらせているものを見て、怒り以外の何を覚えろというのです」

「強制的に、やらされている……?」

「街の人々の表情。会話、言葉。あれらは全て、目の前にいる彼女があらかじめ設定したものを言わせているに過ぎません。催眠や洗脳と言ったものを織り交ぜた術を使って」


 フィーネが気づいていなかったのも無理はない。それだけに、カミラの術は完成度が高かった。だが、それもアベルの『眼』にかかれば、読み解くことなど造作もないこと。

 ……否、正確には、読み解けてしまった、というべきか。

 アベルは『眼』が良すぎるせいで、時折見たくもないことすらも、見えてしまうのだ。それがたとえ、どんな残酷な真実であろうとも。


「この街が素敵だと? それこそ、天地がひっくり返っても有りない言葉です。こんな、『人間』で造った街など、私の前でよくも晒してくれましたね」


 その言葉に、フィーネは首を傾げる。

 人間で造った街、とアベルは言った。

 その言葉の意味合いを、フィーネは分からない。それを言うのなら、人間が造った街、ではないのだろうか。

 それでは、まるで、人間が……。


「……おい、まさか」


 有り得ないだろう、と言わんばかりな表情を浮かべている彼女に対し、アベルは静かに答える。


「ええ。貴女の予想通りですよ。ここは、人間を材料として作られた街。建物の壁、床、天井。外にある舗装された道や家具の一つひとつまでもが、元は人間の成れの果て。それだけではありません。商店に並べられている品物の全てが、人間の骨や内蔵、皮膚から造ったものなんですよ」


 その事実に、フィーネは思わず口を覆った。

 アベルが嘘を言っているわけではないのは分かるし、それが恐らく真実であるのは確かなのだろう。

 だが、だとしたら一つ、おかしな点がある。


「おい……おい、待てって。そりゃ、おかしいだろ。だって、だって……アタシには普通の街にしか見えてねぇってのに……」

「……それは、貴女には一部分に関してはわざと催眠状態になってもらっているからです。この街の本当の姿を見てしまえば、恐らく貴女は発狂してしまうでしょうから」

「じゃ、……じゃあ、食べ物を食べるなとか、飲み物を飲むなって言ったのは……」

「はい……ここで出されている食べ物や飲み物は全て、人間の肉と血を材料としているものです」


 言われて、フィーネはつい思い出す。ここに来るまでのことを。

 街の人々は何食わぬ顔で、笑い合い、語り合っていた。だが、それらは全て嘘であり、狂気の中にいたのだ。

 そして、そんな中、彼は食事をし、飲み物を飲んでいた。

 それは、つまり。

 つまり、つまり、つまり……。


「うっ、ぐぇ……っ!!」


 突如として、胃の中のモノが、出てきそうになるのを、必死で止める。が、あまりにの衝撃的な真実を前に、フィーネは思わずその場に膝をついてしまった。


「あははっ。可愛い反応。どうやらお連れのお嬢さんには刺激が強すぎた内容だったようで。けれど、逆にあなたは不思議ですわね。その口ぶりからすると、この街の本当の姿が見えていると思われますのに。卒倒や発狂せず、平静を保っていられるとは」


 確かに、普通の人間、いいや魔族ですらも、この街の惨状を見れば、狂気に陥るのは目に見えている。

 だが、幸か不幸か、これほどの悪辣な状況にもアベルには耐性が既についていたのだった。

 ただし、カミラの言葉には一つ間違いがる。


「平静を保っていられる……? そんなはずないじゃないですか」


 本当に、おかしなことを言う。

 こんな絶望を見せられて。

 こんな狂気を見せられて。

 悲嘆を、絶叫を、残酷な真実を目の当たりにして。

 どうして、何も思わないと言えるのだろうか。


「今の私が……激怒していないと、どうして思えるのでしょうかね」


 アベルにとって、この街の人々は赤の他人以外の何者でもない。語り合うどころか、まとも会話すらしていない。通常なら、知らない者がどうなろうとも関係ないではないか、と言われるかもしれないだろう。その意見は、別に間違ってはいない。アベルとて、知らない人間全てを助けたいと思える程、聖人君子ではないのだから。

 だが、これはダメだ。

 この惨状を見過ごすわけにはいかなかった。

 赤の他人だろうか、知らない者だろうが、関係ない。

 この世界に生きる一人の人として、目の前にいる女を叩き潰さなければならないと心に誓ったのだった。


「最早、貴女に何かを聞き出す気はありません―――早々に、消し炭にして差し上げます」


 これまでにない程の怒りの炎を燃やしつつ、アベルはそう宣言したのだった。

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