第3話 トート村

 時の経過というものは早い。

 前世のことを思い出してから早七年の月日が経ち、アベルは十五歳になった。無論、その七年の間にも情報収集はしてきたが、あまり前進は無かった。

 しかし、ここ数年は別段、転生してきた事実を気にしなくなってきた。自分が転生してきたのには理由があるのではないか……そう思っていたのだが、未だにその理由には行き当たっていない。

 正直なところ、アベルはそれでいいと考えている。

 使命や宿命、そういうったものに囚われた者が辿る末路を、何度も目にしてきたし、ある意味において自分のその一人だった。だからこそ、何のしがらみもない、ただの村人として生活していることが、何より幸せだったのだ。

 そして、だ。

 今日もアベルは村人の一人として、畑仕事をしていたのだった。


 *


 夕暮れ時。

 アベルは鍬を畑の地面につきたて、大きく息を吐きながら言う。


「親父殿。今日はここまでにしておきましょう」


 その言葉に、厳つい顔をした男―――オルトは表情を変えないまま、口を開く。


「……アベル、その呼び方はやめろと何度も言ってるだろう。それにその喋り方もだ。どこぞの執事じゃあるまいし」

「すみません。しかし、今更変えるというのも些か無理な話。なので、親父殿には申し訳ありませんが、この呼び方と喋り方を変えるつもりはありません」

「……はぁ。全く、強情なところは母さんに似てしまったか」


 諦めのため息を吐く父親を見ながら、アベルは苦笑する。

 正直、自覚はしている。自分の口調が見た目と反していると。だが、どうにも前世の口調やら態度やらが抜けず、そのままになってしまっているのだ。

 これも転生の影響であり、最早アベル自身も直すつもりはなかった。


「それで、親父殿。夕飯なんですが……」

「分かってる。魔法の練習だろう? 暗くなる前に帰ってくるのなら文句はない」

「ありがとうございます。それでは、農具を片付けておきますね」


 言いながら、アベルは農具を片付けに行く。


(それにしても、自分が人間と魔族のハーフに転生するとは……未だに信じられません)


 これも何かの因縁なのか。

 かつて、シャドルが生きていた時代では、人間の魔族のハーフは忌み嫌われる存在だった。当然だ。そもそも人間と魔族が反目しあう世の中でその二つの種族間の子供が受け入れられるわけがなかった。そして、ハーフはどちらの種族からも嫌われる存在だった。そういう悲劇もまた、魔王が立ち上がった理由の一つだった。

 そして、だ。今、この時代ではそのハーフは数は少ないものの、珍しいわけではないという。

 人間と魔族が共に手を取り合い、暮らしていく中で、結ばれる者もそれなりに出て来たおかげで、ハーフが生まれる傾向も以前よりも増えてきているという。

 シャドル、否、アベルはその中の一人として生まれたのだ。


(ある意味において、これも平和の象徴といえるのでしょうね)


 人間と魔族が良好な関係になったからこそ、ハーフが生まれやすい世界になった。それは喜ばしいことだ。かつての差別がほとんどないのは、アベルが今日まで生きてきてよく理解している。

 などと考えていると。


「お、アベルじゃねぇか。また魔法の練習か? 熱心なことで」


 ふと、声をかけられ、視線をそちらに向ける。

 そこには、見知った短い赤髪の少年が、斧を肩に担ぎながら立っていた。


「リッド。そちらも今日の作業は終わりで?」

「まぁな。あっ、そうそう、この前お前に直してもらったこの斧なんだけどよ、滅茶苦茶使い勝手よくてな。助かってるぜ」


 斧をくるくると回しながら言うリッドに対し、アベルは笑みを浮かべて言葉を返す。


「それは何より。直したかいがあります。父君に叱られずに住んで良かったですね」

「な、何言ってんだよっ。それじゃあまるで俺が親父に怒られるのが怖いみたいな言い方じゃねぇかっ」

「事実でしょうに。『親父に見つかるまでに直してくれよぉ』と泣きついてきたのはどこの誰ですか?」

「そ、それは本当のことだけどよ……」

「力が有り余っているのは分かりますが、何事も加減というものが大事ですよ。貴方の場合、道具以外にも幼馴染に関してもですが」


 その一言に、目の前の少年はギクリッと言わんばかりの表情を浮かべた。


「な、なんだよ。そりゃあれか。レナのこと言ってんのか」

「それ以外誰がいるというのです? 最近、彼女につれない態度ばかりして。昔はあんなに仲良しだったというのに。この前だって、些細のことで喧嘩してましたし」

「だ、だってよぉ。あいつ、俺のこと馬鹿力しか脳のない男って言ってきやがって……」

「その前に、貴方が彼女が作ってくれた弁当にケチをつけたのが要因だと、私は思うのですが」

「うっ……そ、それは確かにそうかもしれないけど……」

「けどじゃありません。確かに彼女の言い方にも問題はありましたが、貴方の態度も態度です。女性として彼女を意識するあまり、態度が変わってしまったのは分かりますが、それにも限度というものがですね……」

「ばっ、おま、ち、違うからなっ、そういうんじゃないからなっ!!」


 赤面しながら全力で否定するリッド。

 それで誤魔化せていると思っているのだろうか?

 などとは口にしないものの、少々呆れながら、アベルは続けて言う。


「はいはい。分かりました。そういうことにしておいてあげます。ただ、何にしろ、貴方にも原因があるというのは事実です。それは忘れないように」

「うぐっ……ほんと、お前って母ちゃんみたいな性格してるよな。っつか、ほんとに俺らと同い年かよ。喋り方から態度まで、マジで信じらんねーんだけど」

「余計なお世話です。そんなことより、彼女の機嫌を直す方法でも考えたほうがいいですよ」

「分かってるよ」

「ならよろしい。では、私はこれで失礼しますね」


 そう言い残し、アベルはその場を去っていった。


 *


 農具を片付けたアベルは、そのまま森へと向かう。魔法の練習をするときは、いつも森で行っていた。理由として色々とあるが、一番はやはり他人に迷惑をかけないためだろう。

 そして、村から出ようとしたそのとき。


「あっ、アベルだ。やっほー」


 再び聞き知った声に呼び止められ、アベルは振り向いた。

 そこには、桃色の髪を胸元まで伸ばした少女が立っていた。顔立ちはよく、何より長い耳が特徴的なそれは、魔族特有のものだった。


「こんにちは、レナ」

「また一人で魔法の練習? たまには誰かと一緒にするのもいいと思うんだけど。あっ、何なら私が一緒にしてあげようか?」

「心遣い、ありがとうございます。ただ、今の貴方にはもっと気にかける相手がいると思いますが?」

「……リッドのこと?」

「もうそろそろ、許してあげてもいいのでは?」

「別に許すも何も、もう怒ってないし……ただ、その、なんていうか……話かけづらいだけで……」

「はぁ。貴方もですか。全く、どうして私の幼馴染はこう不器用なんでしょうかねぇ。仲直りしたいのなら、そういえばいいというのに」


 不器用というかなんというか、本当に似た者同士な幼馴染二人だと思う。


「リッドにも言いましたが、貴方も貴方ですよ。彼に色々と言いたくなるのは分かりますが、それでも言葉は選ばなくていけません。言葉は大事なものです。ちょっとした間違いから、少しのひびが入り、それがやがて大きな亀裂となる。もしかすれば、それは修復不可能なものになり得るのですから」


 そういったすれ違いを、アベルは嫌というほど見た。最初は些細なことが原因だった。だが、それがやがて少しずつ膨れ上がってきて、やがては国と国の戦争に発展するような事態は、あの時代では珍しくなかった。

 そして、だらかこそ、彼らにはそんな風にはなって欲しくないのだ。


「うん……分かった。気をつける」

「よろしい。では、提案なのですが、今度またリッドに弁当を作ってやってください。二回目ともなれば、流石のアレも文句を言うことなく食べるでしょうし」

「そうかな」

「ええ。もしもそれでまた文句を言うようなら、私がアレの尻にケリをいれてやりますよ。それに貴方の料理は美味しいです。これは世辞ではありません。自信を持って作りなさい」


 励ましの言葉を告げるアベル。実際、レナの料理は村一番と言っても過言ではない。だから、もしもリッドがまずいなどと言ったときには、今度こそアベルが雷を落とす。無論、比喩ではない。


「ありがと。女の私が言うのもあれだけど、アベルってほんと、お母さんみたいな性格してるよね」

「やめてくださいよ。同い年にお母さんと呼ばれる筋合いはありませんよ」


 では、と言いながらアベルは今度こそ、森へと向かった。

 その途中、彼は思う。

 これが、魔王が作った世界。

 人間の少年と魔族の少女が、他愛ないことで喧嘩をしつつ、仲直りをしようと模索する。それが普通で、当たり前な世界。

 人間と魔族が互いに生活しあい、その子供であるハーフも差別されることなく、自由に生きていける。

 それがどれだけアベルにとって幸せなことなのか、きっとこの時代の人々にはわからないだろう。

 人間と魔族が一緒に歩んでいける。それがどれほどの奇跡なのか。それは、転生したアベルにしか理解できないことだ。

 無論、世界中が同じような状況にあるというわけではないだろう。中には未だ人間と魔族、二つの種族で争っている場所もあるかもしれない。

 だが、少なくとも、この村はかつて魔王が求め、目指した世界だとアベルは確信していた。

 故に、だ。


(本当に……良い世界ですよ、ここは)


 かつて魔王の影武者だった男は、心の底から、そう思うのだった。

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