3.死神

 帰らなくて良いのかと、リシリオは笑った。それに対してアコニは、身辺警護が帰宅してどうするんだと文句を言った。多分あれは、文句だった。

 それならばと与えられた部屋は、どうにも落ち着かない。アコニがずっと暮らしていた家は吹けば飛びそうなボロボロの家で、こんな立派な部屋を与えられたのはいつ以来だろうか。

 着ていた上着をベッドの上に放り投げてから、外を見る。窓枠に手を付いても、きしむ音はしない。あの襤褸屋ぼろやであったのならば、たったそれだけのことでもきしんだ音を立てるのに。

 黒々とした森の上、真ん丸の月が輝いている。

 太陽よりも、月の方が怖い。お前の罪を全て知っているぞと言いたげに美しく輝いて、冷たい光を放っている。何もかもを見透かすようなその光が、どうしようもなく寒気を覚えさせる。遠く離れた熱砂の国では、月の神は裁きの神と同一であるとも聞く。

 月にそんなことを思うなど、臆病者だと人は笑うだろうか。


「良い月だと思わないか?」


 背後から声がかかって、アコニは即座に振り返る。

 部屋には誰もいなかったはずだ。ドアに鍵もかけたはずだ。何より、気配なんてなかった。


「そんな殺せそうな目で見るなよ、俺は丸腰だぞ?」


 男だ。

 両手を上に挙げて、敵意がないことを示したつもりなのだろうか。窓から吹き込んだ風が、男の金色が混じった青い髪を揺らして走り去る。


「誰だ」

「さあ? 陳腐ちんぷな言葉で言うなら死神ってとこかもな。その呼ばれ方は、好きじゃないんだが」


 ベッドに腰かけて足を組んで、男は薄く笑っていた。馬鹿にされているようにも思えて、アコニは再度男をにらむ。

 そんな答えを「はいそうですか」と信じられるとでも思っているのだろうか。どこから入ったのか知らないが、嘘をつくのならばもっと信じられそうな嘘をつけばいいのに。


「誰だ」


 だから、もう一度問う。


「名乗れば良いのか?」

「どうだろうな」


 名前が聞きたいわけでもない。ただ、男が何者であるのかという答えが欲しい、それだけのことだ。

 腰に吊るした剣の柄に手をかける。いつでも引き抜いて、男を殺せるように。


「……全く、警戒心が強すぎる。俺はライア・ヒュポゲイオンだ、これで良いか?」


 溜息をひとつ吐き出してから、男はライアと名乗った。彼は機嫌を損ねた様子はないが、呆れたような様子ではある。

 理解ができないのと、訳が分からないのと、その両方だ。一体それでアコニにどうしろと言うのだろう。そんな答えが欲しかったわけではないというのに。


「ああ、お前の名前を聞くつもりなんてないからな。知ってる」

「知ってる?」

「どっちで呼んで欲しい? エフロレスンスか?」


 それは、「本当に知っているぞ」いうような脅しにも似ていた。ただ確かめているだけか、それとも本当にを知っているのか、一体どちらだろう。


「違わないだろ。白い髪、その名の通りに見事な青紫」

「どこまで知っている」


 言葉をさえぎるようにして、うなるようにライアに問う。

 それ以上は言うな、それ以上は口にするな。聞きたくもない、言われたくもない。知っているぞという態度にしか見えないライアに、どうしようもなく苛立ちが募る。

 みしりと音を立てたアコニの背中を知ってか知らずか、ライアは笑ってアコニの背中を指し示した。


「暴れない方が良いんじゃないのか? 背中、悪化するぞ」


 隠していることを全て見透かされているようで、居心地が悪い。ぞっとするような気持ちに駆られるのは、月の光と同じか。

 臆病者と己を笑う。あれも怖い、これも怖い、そればかりだ。


「いやはや、難儀な名前だな。世の中、そんなのもいるけどさ」


 組んでいた足の片方を立てて、ライアは頬杖を付く。


「例えばその血筋が絶えるように、とか。お前はどうだ、。咲くか、枯れるか、どちらを選ぶ?」


 もういい、もう、何も聞きたくない。

 知っているぞと笑うその顔を、見ていたくない。一体ライアは何が目的で、そんな話をアコニにするのか。


「……もう、黙ってくれないか」

「聞きたくないか?」


 うるさい、うるさい、その通りだ、聞きたくなんてない。


「黙ってくれないか!」


 思わず、叫んだ。夜の中、うわんと大きく叫び声が響く。誰かが聞いているかもしれないが、そんなことはどうでも良かった。


「何だよ、あんた。何なんだよ」


 とにかくもう、聞きたくなかった。何よりもまず、ライアを黙らせたかった。

 見たくもないものばかり、聞きたくもないものばかり。現実なんてそんなものだと知っているけれども、選ばせてくれたって良いじゃないか。

 落ちくぼんだ目がアコニを見ている。きっと、どこかで見ている。彼女はもうどこにもいないのに、ただじっと見ている気がして逃れられない。

 そんな目で見るな。そんな風に見るな。私は。


「最初に言っただろう、死神だと。嫌な呼称だが、これ以上の言葉もない」


 あれだけ暴き立てておいて、ライアはなだめるような声音で言う。


「なら、そんなのがどうして俺の目の前に現れる」

「死ぬ奴がいるからさ」


 終わりを待っている。死を待っている。

 死ぬと聞いて思い浮かんだのは、たった一人だけ。

 冷たい玉座。孤独な王様。


「王か」

「さて……それを答えるのは色々とまずいからな」


 もしも本当にライアが死神なのだとしたら、どうして彼は此処にいるのか。どこかに齟齬そごが生まれるのならば、彼は死神などというものではない。

 作り話でアコニを騙そうとしているか、本当に死神なのか。


「死神なんてもの、人前に現れないだろ」

「さて、俺は普通ではないのかもな」


 疑いを持ったままに、ライアに問う。ライアはアコニの様子を観察するように見ていて、それがアコニの苛立ちを更につのらせる。

 どこか手の平の上で転がるのを眺められているようで、ぎりと奥歯をむ。


「お前の記録が奇妙だから、お前の前に現れてみた。理由はそれで良いか。お前は、何かと理由を求めるように見えるからな」

「うるさい!」


 何を知っている。何が記録されている。

 もう嫌だと、思わず叫んだ。この男を目の前にしていると、思い出したくないことまで思い出してしまいそうだ。


「出てけよ! 何なんだよあんたは!」

「はいはい、お望み通り。だが、また来るからな」


 やれやれとライアは手を広げたかと思うと、またたきの間に消えていた。夢でも見たのかと思えども、生まれた苛立ちも荒げた息も、何もかもがそのままだ。

 息を吐き出して、荒れ狂う己の内心を落ち着けた。とにかく着替えだけでもして、そして少しは体を休めなければ。

 みしり、ぎしり。

 きしむような音がする。その痛みに顔をしかめて、シャツを脱ごうとしていた手を下ろす。腕を動かすのすらも痛いほどになっていては、着替えもままならない。

 もういいと溜め息を吐き出して、放り投げていた上着を肩から羽織はおった。そして、部屋から外に出る。

 相変わらず、誰もいない。「守ってくれる人はいるんだよ」とリシリオは言っていたけれども、それは本当のことなのだろうか。

 月の光から、目を背けた。月の神が人の罪を暴くというのならば、いっそのこと。


「信じるものか……神なんて。どうせ何も、してくれやしない」


 死神だろうと何だろうと、そんなものは信じるに値しない。人が手の届かないものや理屈の付けられないものに形を付けて、当てはめただけのものなのに。

 誰かが救ってくれるのなら、誰かが願いを叶えてくれるのなら、どれほどいいか。どんなにいいか。どれだけ願っても、どれだけ焦がれても、誰も何も救ってくれない、叶えてくれない。

 絶望して、救いを求めて、心が死んで。それを何度も繰り返す。そうしていつしか、何もかもすべて麻痺まひしていった。

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