2.美しく不貞なるもの

「座るべきでない者が、此処に座っている。それも、二代続けて」


 豪奢ごうしゃな玉座の上は、きっと温かな場所ではない。そこに座るリシリオは孤独で、誰も彼のを知らない。

 空を見上げていた。くすんだはしばみ色の瞳で空を見て、孤独でやさしい王子様が、鳥がうらやましいと言った。


「何故私も父も、ミラウィリスを名乗ることができないと思う?」

「それは……」


 アコニはつい、口籠くちごもる。

 美しいが不貞なイグレイン。夫の騎士までもそのねやに引き入れた、王と忠実なる騎士との間に亀裂を生んだ紛れもない毒婦。それが彼女の物語。


「良いさ、その物語を私も知っている」


 赤茶の髪は、誰のものか。まるでカレトに似ない、不義の王子。

 そんな王子を父に持つ、冷たい玉座の上にいる人。


「……イグレイン・マルトラコンが、夫以外の男との間に作った子供だから」

「その通り」


 それでも王の子供であると言い張るとは、どこまでイグレインは厚顔こうがんか。賢王に相応しくない、呪わしい妃。その不貞の血で玉座をけがすのか。

 人々は彼女を呪う。彼女の不貞を、彼女の美しさを。誰も抗えないほどの美しさを誇った美貌びぼうの毒婦、もっと醜ければ間違いもなかっただろうに。


「カレト・ミラウィリスは、それは美しい金の髪をしていたそうだ」


 まさに、彼の如く。此処に現れたセドラスの如く。


「美しいが不貞なイグレインの髪は、同じく金」


 さらりと、リシリオは己の髪に触れる。

 煉瓦れんがのような色、見事なまでに色付いた赤茶の色。もっと金に近い色であったのならば、如何様いかようにも言い訳出来ただろうに。


「では、私は。それに、父は。私たちの……この、赤茶けた色は?」


 ぐしゃりとリシリオが髪を握り潰した。呪うように、憎むように。

 まるでそこに己が座っていることすらも、己の存在の何もかも、彼自身が憎んで呪っているかのように。


「カレト・ミラウィリスは賢かった。良き王であった」


 彼は、分かっていた。分かっていたからこそ、名乗らせなかった。王妃が王の子であると言い張る子供が、決して自分の子供ではないということを。

 それでも、彼は王妃と子供を追放したりはしなかった。扱いを変えないまま、王妃と王子としたままに、その存在だけは認め続けた。

 それが誤った判断であったなどと、誰かが言うことはできるのか。もしもそれが過ちであるとして、その過ちを引き起こしたのは愛情なのか。


「けれども彼のたった一つの欠点は……」

「イグレイン・マルトラコン唯一人を愛したことか。賢王のたった一つの欠点、毒婦を心の底から愛してしまったこと」


 賢王と讃えられる彼の、たった一つの悪評がそれだった。

 人間の愛情なんてものは制御せいぎょが効かなくて、だからこそ破滅をもたらす。悪いばかりでもないと知っているけれども、そうして破滅していくことも知っている。

 己もまた、愚かであると知っているからこそ。


「……いっそのこと、めかけの一人でもいたのなら、違ったのに」


 それは、誰もが口にすること。他の誰かを愛したのなら、他に子供がいたのなら、そうすればあんな不義の子供に王位が渡ることはなかったというのに。玉座をけがすことはなかったのに。

 ファティウスはその言葉を口にした人間を、処刑し続けた。だから今はもう、表立ってそれを言う人はいない。けれど、水面下では語り継がれているものだ。

 地下の水脈が海まで滔々とうとうと流れていくように。

 他に子供はなかった、血縁者もなかった。唯一の血縁者であったリアウァルは失踪し、どこにいるかも分からないまま。

 だからこそ、ファティウスは王位を手に出来た。無理矢理に奪い取った玉座であったとしても、他に座れる人間がいないのだ。公的には王子であった彼に渡す他ない。


「あの物語は真実なのだと、私が一番良く知っている」


 不義の子供。

 簒奪者。

 本当ならばそこに座るには相応しくない者。


「きっと、父がこの国を良くしたのなら、彼女も何も言わなかっただろうに。息子をここに寄越よこしたりはしなかっただろうに」


 そこにあるのは、後悔か。ならばどうして、彼は何もしなかった。ただ終わりを待ち続ける彼は、きっとセドラスが現れるのを待っていた。この国を良くしたのならと口にするのなら、自分がそうすれば良かったのに。

 一体彼は、何がしたいのだ。依頼を受けてくれなければ良かったと願いながら、それでも依頼を出した。矛盾むじゅんした行動の、その奥底には何がある。


「誰も……誰一人として、苦しまないで欲しい。けれど無理な願いだよ、間違えたままでは」


 それでも、たった一つだけ分かってしまった。

 理解されることなど、リシリオは望んでいないのだろう。けれども、理解をしてしまった。確信があるわけではないけれど、きっとそうだ。そう思えるような、答え。


「あんたは、だから……」


 唇を噛んで、言葉を濁す。

 これ以上は踏み込むな。これ以上は分不相応だ。アコニはただの傭兵で、依頼されているだけなのだから。

 あの時の孤独な王子の言葉を知っていたとしても、アコニは決してそれを口には出せない。きらきらした宝石のような思い出を取り出すには、この手は汚れすぎた。


「いいさ、俺は何も言わない。俺は傭兵だ、依頼人の事情なんて知るものか」


 知らないふりをして、探ることなどしないで。それが正しい形なのだ。繋がりはただ金銭だけで、雇われているだけの手駒。

 金雀枝エニシダの傭兵団は契約が履行されている間は裏切らない。ただ忠実に、その任務をこなすだけ。詮索はしない、理解もしなくていい、ただ雇われた手駒であるだけだ。


「俺は言った、あんたの役に立ってやる」


 された依頼は、身辺警護。この孤独な王が、どうしてそんな依頼を出したのか。何を思いながら傭兵を雇って、何を思ってその依頼を受けたアコニを見たのか、そんなことは考えない。

 どれだけ若かろうと、それでも本職だ。ならば、その仕事を全うするだけ。


「それを、あんたがこばんでも」


 ぎしりと、背中がきしむ。それを隠しているのかと、子供が笑った。ああ、笑え、嘲笑あざわらえば良い、隠し続けて隠し続けて、

 胸が苦しい。リシリオが今孤独でなかったのなら、アコニはこの感情を思い出すこともなかったのに。


金雀枝エニシダの傭兵団の噂話を知ってるか?」


 苦しさを誤魔化ごまかすように、ついと口角を吊り上げた。

 リシリオが決して楽しいわけではない物語を肯定したその代償に、こちらは楽しくない噂話を提供しよう。


「知らないのなら、調べてみろよ。俺は一向に、構わないからな」


 終わりを待っているこの王は、それを知って何を思う。喜ぶのか、それとも呪うか。

 そんなものは、アコニの知ったことではない。


「もっとも、それで後悔して契約を切ったって、俺は良いんだけどな」

「楽しくない、噂話か」

「ああ、全く。世間様は楽しいかもしれないけどな?」


 他人の不幸は蜜の味か。それで可哀想にと同情されるのだって、アコニは御免だ。同情するのもされるのも、大嫌いだ。

 ああ可哀想に? 一体お前たちに何が分かるというんだ。

 憐憫れんびんだとか同情だとか、まるで憐れんでやっているとでも言わんばかりの人々の目。本気でそれを思っている人もいるのかもしれないけれど、区別なんて出来やしない。だからどれも、同じこと。

 笑えば良い、嘲笑あざわらえば良い。その方が同情されるよりも、どんなにか。

 苦しさを思い出した。孤独な王子様に胸が締め付けられるほどに苦しくて、すがって泣いた。王子様はみすぼらしい雛鳥の背中を、ただやさしくでていた。

 あれが初恋というものであったのならば、どこまでも苦くて息苦しい。けれどそれがどこまでも輝いて見えてしまうのは、アコニがおかしいのか。


 苦しい。悲しい。どうして、この人だけ。

 けれどこの人が孤独であったからこそ、恋をした。そして、今もまた。だから私は貴方のために、できることは全部しよう。

 この重石おもしのようなものすべてを、呑み込んで。

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