1 来訪する正統なる後継者

1.ミラウィリス

 その青年が現れたのは、もう日が沈もうとしている時間だった。沈んでいく真っ赤な夕日が玉座の間を、だいだい色に染め上げている。そんな時間。

 王はただ、座っていた。衛兵など誰一人としていない、だから誰も守ってくれない。そんな状況だからこそ、雇われたのかもしれない。本当はあと二人いるけれども出払っていて今はいないと、リシリオは言っていた。


「はじめまして、簒奪者さんだつしゃの息子殿」


 つかつかと玉座に歩み寄った青年に、二人が付き従っている。片方が背の高い男、もう一人は子ども。

 玉座に腰かけたリシリオの前で青年が立ち止まり、彼は肩にかかっていた色鮮やかな金の髪を片手で払い除ける。

 細められたのは、すみれ色。彼はリシリオの前で、優美に笑った。


「私が何者なのか、分かるかな」


 玉座まで、あと三歩。本来ならば、誰かが止めるべき場所。けれど、誰も止めない。止める人などここにはいない。

 アコニも止めない、何も言わない。

 だから他にリシリオしかいないこの場所で、彼がとがめなければ誰もとがめるはずがない。

 青年はきっと、リシリオに咎められたところで歩みを止めることなどしないのだろうけれど。


「リアウァル・ミラウィリスの血縁者。ようよう、簒奪者に引導を渡しに来たのか」

「そう。母は私にそこに座るように言った。頭は良いんだね、君。意外だった」


 三歩の距離を、彼は縮める。後ろに付き従う二人はそれを止めず、そして彼らは足を止めたまま。

 きしりと、玉座が音を立てた。玉座にいるリシリオの顔の横に右手を付いて、間近で青年は笑っていた。

 美しい笑顔だ。けれど、アコニは決して近寄りたくない。できることならば、存在すら知らずに生きていたかった。それほどに寒気がするのは、どうしてか。

 凄絶せいぜつ。多分そういうものなのだ。その顔立ちが美しかろうと難だろうと、アコニにはそういうものにしか見えない。


「貴方は、待っていたんだろう? 玉座の上に吊るされた剣が、落ちるのを」


 どうして誰も、その異質さを指摘しないのか。さも当然のように彼の後ろに控える二人も、真っ向から彼を見据えるリシリオも。こんなにも恐ろしいものを、アコニはあと一つしか知らない。

 あの人に似ている。

 ただ一つの目的だけを見据えて、揺らぐことのない美しさ。彼女は気味が悪いまでに病的な顔をしていた、決して美しくなどなかった。

 けれど。

 彼はどこまでも美しいのだ。だからこそ、アコニは寒気を覚える。


「お膳立てまでしてくれて、一体何を望んでいる? 命乞いか?」

「いや……そんなことは、しない」


 諦めた顔をして、それでも力強くリシリオは告げる。ふうんと声を漏らした彼は、楽しそうに笑っていた。

 目的のために、ただひたすらに、何を利用してでも。そういうものを知らないから、リシリオは彼にひるまないのだろうか。

 それとも、リシリオも同じだからなのか。

 リシリオの瞳に浮かぶ諦観ていかんの奥に、くすぶるものは何だ。外側から決して伺うことのできない、心の奥、底の底。

 あの時も、そうだった。花の咲き誇る城の庭、空を見上げた孤独な王子様。


「けれど、まだ」

「ああ、分かっているよ。私だって今日は挨拶だけのつもりだから」


 ぱっと彼はリシリオから手を離す。彼は何も危害を加えられることがないと思っているのか、リシリオに何の躊躇ためらいもなく背を向ける。


「私はセドラス・ミラウィリス。リアウァル・ミラウィリスの息子だ」


 セドラスは名乗り、くるりと振り返り、そして笑う。

 大仰おおぎょうに手を広げて笑うその姿は、まるで舞台に立つ役者のようだった。決してそれは端役ではなく、道化でもなく、圧倒的な存在感を放つ主役だ。


「貴方とは一滴として血の繋がらない、そこに座るべき人間だよ」


 そうか、と。リシリオはただそれだけの言葉を紡ぐ。全て納得の上であるかのように、彼はうなずいた。

 顔を上げる。すみれ色の瞳と、くすんだはしばみ色の瞳が、交差している。

 セドラスが自分を玉座に座るべき人間であると言うのならば、彼は王族か。けれども今そこに座るリシリオとセドラスには、何一つとして共通点が見出せない。

 思い出すのは、一つの物語。最早暗黙の了解のようにこの国に流れている、誰もが知りながら口を閉ざした話。


「……父親は」

「安心してくれ給えよ、貴方の異母兄弟なんてことは絶対にない」


 安堵あんど溜息ためいきを吐き出して、リシリオはわずかに笑った。


「それなら、良い」

「なるほどね。貴方はそういう人なのか」


 かつりと、セドラスの靴が音を立てる。一つに編まれた金の髪がふわりと翻る。


「帰るぞ、ヘルウィン、イテア」

「もう、ですか」

「彼は想像していたよりずっと、聞き分けがいい。というよりも、彼はどうやら私を待っていたようだからね。それとも何か? ヘルウィン、何か文句が?」

「いいえ」


 彼に付き従う二人のうち、片方。浅黒い肌をした背の高い男がセドラスに声をかけた。ヘルウィンと呼ばれた男は、目を伏せて押し黙る。

 これで終わりか。セドラスをずっと視界に入れているのは、アコニにとっては非常に心臓に悪い。

 かつかつという足音を聞き流すように目を伏せて、けれどふと違和感を覚えて、アコニは顔を上げた。


「なあ、あんたさ」


 気付けば、目の前に子供の姿。男とも女ともつかない子供が、アコニの目の前に立っている。先ほどのセドラスに、彼はイテアと呼ばれていた。

 子供というのは得てして性差が分かりにくいものではあるが、イテアは長じたところで性別が分かりにくいのは変わらなさそうな姿だ。

 ところどころに銀色が混ざったような白い髪は、柔らかそうな癖毛だった。あちらこちらに跳ねているのを何とか押さえつけようとしたような髪型なのは、その癖毛と戦ったからなのだろう。


「それ、隠してんの?」


 黒に近い青色の双眸が、じっとアコニの顔を見る。

 小さな手が、するりと指し示した先。アコニの隠した顔の半分。それから、その手は背中も示そうとした。

 怖気は走ったが、ここで下がることはできない。ただその場所に立ち続けることを己に命じれば、アコニの足はきちんとその命令に従った。


「イテア、遊ぶな」


 低い唸り声のような声と共に、ヘルウィンが振り返る。

 セドラスに付き従う彼らは、臣下か、友人か。


「はぁい。分かってるっての」


 つまらないの、とイテアは舌打ちを隠しもせず、頭の後ろで両手を組んで歩き始めた。重い扉が開いて彼らを迎え、そしてまた閉まっていく。


「ではまた会いましょう、貴方も。今はまだ、その筋書きに乗っていてあげるよ」


 貴方もと、セドラスはアコニを見る。視線を逸らしそうになって、けれども誰かに命じられているかのように体は動かなかった。

 圧倒的な存在感、逆らう気すら起こせないほどの、威圧感。

 扉が、閉まる。


「……あんた、何がしたいんだ」


 赤茶けた短髪、榛色の瞳。それは、先代の王によく似た色彩。

 今し方去ったセドラスの美しい金の髪は――さて、誰の色彩か。

 暗黙の了解として在る、あの物語。誰も彼もが口を閉ざしたあの話は、否定する材料が一つもない。けれど、肯定する材料はごろごろとあちらこちらに転がっていた。

 終わりが来ることを知っている、イアグレイスの王。誰一人として守ろうとしない、孤独な王様。

 たった一人で玉座に座り、終わりを待つのか。


「私の祖母を、君は知っているか」

「ああ知っているよ。イグレイン・マルトラコン、不貞なる王妃殿下」


 その不名誉な呼称を受け入れているのだろう、リシリオは穏やかに笑うだけだ。

 それは、誰もが知っていること。先々代の王の妃、それも、たった一人だけ。一夫多妻のこの国にあって、先々代の王は誰に勧められても生涯一人として他の妃を持とうとはしなかった。


「では、祖父とされる人物は」

「……先々代の王、カレト・ミラウィリス」


 彼については、悪い噂はたった一つ。公明正大、清廉潔白、忠実な騎士を従えて国を纏め上げた賢明なる王。


「その、死は」


 その最期を人は、悲劇として語る。アコニもまた、知っている。誰もが悲劇として語るその最期、哀れなる愛すべき賢王の終わり。


「息子であるファティウス・マルトラコンが反旗を翻したことにより」


 それが、先代の王の名前。放蕩ほうとうなる王。

 ただその権利を振りかざして自分はぜいの限りを尽くし、国を疲弊させた呪わしき王の、語るだけで顔をしかめられるその名前。上がり続ける税に民衆はあえぎ、貴族たちは利権を求めて彼に群がった。

 機嫌を損ねれば、そこで終わり。だから人は声を潜めてこう言った、呪われよ、歓迎されぬ悪しき王。

 それが、リシリオの父の名前だ。目の前で諦めた色を浮かべる彼はあまりにも似ないのだと、雇われてさして日数の経たないアコニですら分かってしまった。息を潜めて、誰にも守られず、人々は口さがなく噂する。真実を見えないようにしている彼は、きっと何を言われてもそれを受け入れているのだろう。

 ぜいの限りを尽くしている。それは、父がそうであったから。彼の食事など惨めなものだ。

 何一つとしてかえりみない。彼は確かに考えていることがあるのに、誰も知らない。


「……ミラウィリス」


 紡がれた言葉は、それを紡いだ声は、どこか憧憬どうけいの色を含んでいた。

 そうありたかったと、もう諦めてしまっているように。


「リアウァル・ミラウィリスという人は、カレト・ミラウィリスの異母妹だよ」

「知っているさ。遥か前に行方不明になったんじゃないのか」


 アコニは最早その名前を、話半分でしか聞いたことがない。実在したのかどうかすらも怪しいとまで言われた、その人の名前。

 カレトが死ぬよりも前、王が代わるよりも前。忽然こつぜんと姿を消してしまった、王の美しい異母妹。王が誰よりも信頼した騎士の婚約者。

 人はその失踪を、国を守るためであったのだ、とか、婚約者を嫌ったためだ、とか、憶測をして噂を作り上げた。


「……でも、彼は確かに、彼女の子供だと思うよ」


 リシリオは遠くを見ている。遥かなる彼方、決して手の届かない場所に焦がれるように。

 おそらくリシリオは、確信を持ってセドラスの血筋を語っている。一体何歳の時に彼女が失踪していて、そしていつ子供を産んだのか。

 彼にとって、そんなことはどうだって良いことなのだろう。

 重要なことは、たった一つだけ。セドラス・ミラウィリスが確かに、リアウァル・ミラウィリスの息子である、それだけだ。

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