2.心と想いはせめて己に
ぎいと
そんなぼろぼろの家の中にあって、たった一つだけ綺麗なのは真っ白な布団。取り替えた後一度も使われていない、異質な白さだ。
「結局、受けたのか?」
暗がりで、真っ赤な髪をした男が腕組みをして立っていた。風が強くなって、がたがたと家を揺らしている。吹けば飛びそうな外観をしていても、案外飛んで行かないものだ。
「受けたよ。あんたは反対なのか、デュー?」
「俺は別に」
酒臭い。
また朝まで飲んでいたのかと思って彼を見てみれば、空になった酒の瓶を手にしていた。これは朝までというわけではなくて、今の今まで飲んでいたということなのだろう。
この酒好きがとアコニは内心で笑って、これがデューの面白いところなのだと、いつも通りの感想を胸中で呟く。
「いいのさ、どう終わろうといつも通りだ」
あの王はきっと、終わりを待っている。何がしたいのか分かっていても、問う必要はない。依頼人の内情に踏み込む必要などなくて、契約者以上の関わりなど存在しない。
そういうことに、しておく。
「依頼人が死のうが、何だろうが。契約金は貰ってんだろ?」
ゆるゆると口角を吊り上げた。
傭兵団には、大変に不名誉な噂が付きまとう。依頼者は敗北する、あるいは死亡する。それを何度も何度も目の前で見ていた。
より不利な方へ、不利な方へ、勝てる方の依頼を選べばいいのに、それをしない。敗北しそうな方、不利な方、そんな依頼主ばかり。
アコニが選ぶ依頼はいつだって、敗北と死がついて回る。
「全く、不名誉な話だな――死を招く
デューは少しばかりアコニに視線を投げたけれども、何かを言うことはなかった。
「だから、あんたが継げば良かったのに。なあ、デュー・ウィルダーネス。俺は確かに先代の団長の子供だけれど、養子でしかない。先々代の妾の息子、先代の異母弟、あんたはどうして俺に傭兵団を引き渡した」
どれだけ酒に溺れても酔うことのできない憐れなこの男は、一体何を考えているのか。自分よりも一回りは年上の異母兄を尊敬して、何よりもこの傭兵団を誇りに思っているくせに。
それなのに、まるで血の繋がりもない異母兄の義理の子供に、その傭兵団を渡してしまった。そして自分は、副団長という地位に就いている。
この方が気楽なのだとデューは笑ったけれども、どうしてもその裏を疑ってしまう。
「俺はいい。一番上なんて面倒だ」
それは本当に、デューの本心なのか。人の心を読む術なんてものがない以上、分かるはずもないけれど。
いつもの返答、いつも通りの顔。けれどアコニはいつだって、デューの本心を疑ってしまう。
「あんたがそれで良いなら、俺は何も言わないけどさ」
じきに三十になるこの男は、何を考えているのだろう。アコニの疑問など意に介すこともなく、デューは空の瓶を呷るように飲んで眉根を寄せていた。一滴でも残っていないかと期待していたのだろうか。
「俺しかいないところでまで、その
酒のにおいがする。けれど酔っ払いと一蹴することもできはしない。デューが酔えないことを、アコニは良く知っている。
「俺はいつも言ってんだろ。いつも演じてなけりゃ
思い出がひとつある。あの城にまつわる、きらきらしい思い出。
全て、あんたのせいだ。真っ白な布団に変えたのに、まだ存在を主張する。思い出と共にそんな恨み言が、アコニの心を侵食していく。
ぼろぼろの家に似付かわしくない布団の上、まだあのやせ細った女が寝ているような気がした。だから、すぐに目を逸らす。
やせ細って顔色は青白く、落ち窪んだ
もういない。どこにもいない。それを一番よく知っているのに、それでもまだ、あの瞳が自分を見ているような気がした。
いつまでも、どこまでも、追ってくる。逃れることすらも赦されないままに、いつまでも絡め取られている。
どこへ、逃げる。どこにも、行けない。どこまでも、いつまでも。
※ ※ ※
あの男を殺しなさい。
そのために貴方は生まれたの。
そうでなければ産む必要なんてなかったのよ。
ねえ、ねえ、可愛い子。
わたしが何を望んでいるのか、分かるでしょう?
いいえ。
いいえ。
分かりません。
分かりたくなど、ありません。
せめて、せめて――自由に。心くらい、想いくらい、せめて。
他のものは何一つとして、己の自由にならないのだとしても。
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