第37話【ビアンキ中佐のオフィスで②(In Lieutenant Colonel Bianchi's office)】

「シーナは、休日は、どう過ごしているんだ?」


 急に中佐から友達のような話題を振られてドキッとする。


「あー……だいたいは、寝て過ごしています」


 嘘でもいいから、もうちょっと気の利いた返事が出来れば良かったのだけど、嘘偽りのない休日の過ごし方を暴露してしまった。


「お買い物や、お食事は?」


 更に、買い物や食事の頭に敬語を着けられて驚く。


「お、お買い物は仕事帰りに済ませていますし、お食事と言っても大体はお湯を掛けるだけで出来るモノで済ませていますので、寮を出るとしても近くのコンビニに行くくらいです」


 中佐の丁寧な言葉に釣られてしまったが、また脚色なしのありのままを伝えてしまう。


 “どうも私は、中佐の前では嘘が着けないらしい”


「ビアンキ中佐は、どうお過ごしなのですか?」


 私たちは兵隊なのでCCSの寮で過ごしているが、中佐は幹部なので通い。


 聞くところによると、由緒正しい警備員付きの高級アパートに住んでいるという噂。


「あら、私!? 私も似たようなものよ」


「でも、お菓子やお料理も作るのでしょう?」


「それは少しだけ……」


「今度、非番の日に遊びに行っても良いですか?」


 場の雰囲気に釣られて、つい言ってしまった。


「えっ……」


 いままで穏やかに話してくれていたビアンキ中佐の表情が固まる。


 基地隊長で中佐と言う階級と、まだ尉官でもない士官候補生では格が違い過ぎるのに気安く“遊びに行っていいか”など、やっぱり無茶も良いところだったか?


「あっ、め、迷惑ですよね。い、今のは、聞き流してください」


 慌てて言葉を撤回するが、ビアンキ中佐は全然私の方を見ていなくて、携帯電話を触っている。


 おそらく今の言葉も耳には届いていない。


 中佐が急に携帯から目を離し、顔を上げて笑顔を見せる。


 まるで背中に沢山のマーガレット背負っているみたいな、華やかな笑顔。


「今週末ならOKよ!」


 えっ! もしかして今携帯を触っていたのは、そのためにスケジュールの調整をしていたって事!?




 結局、ビアンキ中佐には呼ばれたけれど特にお咎めもなしに解放され、代わりに休日に遊びに行く約束まで取り付けてしまった。


 しかし、自由奔放にやっている以上、良いことばかりじゃ終わらない。


 中佐の部屋を出た途端、ドアの前で待っていたサンダース軍曹に捕まり、ジョンFケネディー空港での事について定時終了のチャイムなどお構いなしに絞しぼられた。




 ***


 シーナが「見ない」と言ったので、カルテの入った封筒をゴミ箱に捨てた。


 本人が見ないというモノを基地司令だからといえ、勝手に封を切って中を見ることはできない。


 どうせ何かあれば、医者の方から私に言ってくる。


 なにも言ってこないのは、何もなかった証拠。


 ところがシーナは私が封筒を捨てた途端、なぜか表情が変わった。


 今まで私の言葉を跳ね返そうとしていた頑なな表情が、急に弱気になったような、迷っているような。


 彼女の瞳から心理状態を探ろうとしたが、その瞳は私から離れた場所を見ていた。


 なんだろうと、シーナの視線の先にあるものを探すと、そこにあったのはゴミ箱から少しだけ頭をのぞかせているカルテの入った封筒だった。


 そしてシーナが言った「やっぱり見ます」と。


 このとき私は言葉にできないほどの感動を覚えた。


 だって、子供の時に日本について調べたことがあった。


 そこで私が興味を持ったのが、神道に通じる考え方のひとつである“八百万の神やおよろずのかみ”と言う考え方。


 “八百万の神”とは、この世の中(宇宙も含む)に存在するすべてのものに神々が宿っているから、決して粗末に扱ってはいけない。と言う考え方。


 まだ幼かった当時の私には、この考え方はカルチャーショックを遥かに超えるものだった。


 八百万の神を知った時、私の心はワクワクした。


 なぜならその当時、私は孤独で友達と言えばクリスマスにパパが買ってくれたベージュのウサギの縫いぐるみだけだったから。


 当時のまだ10歳の私は既に大学に通っていた。


 自分の2倍近くも大きい人たちに混じって、自分が今まで生きてきた年の倍近い年を生きてきた人たちに混じって。


 周囲からはいつも観察するような目で見られ、まるで動物園の檻に入れられた動物になった気分。


 私自身それを望まなくて自分の殻に閉じこもっていたから、当然親しい友達などできるはずもなく、ウサギの縫いぐるみだけが私の友達だった。


 無機質な綿と化学繊維で作られた“縫いぐるみ”


 いつも持ち歩いていると、いつも「いつまでも、そんな“物”……」と言われた。


 そう。


 大人たちから見れば、このウサギの縫いぐるみは、ただの“物”なのだ。


 寂しかった。


 辛かった。


 今まで友達だと思っていた縫いぐるみが、物だと言われて。


 そしてもっと悲しかったのは、薄々そう思っている自分に気が付いたとき。


 そんな時に、この“八百万の神”に出会った。


 そう。


 この縫いぐるみはたしかに“物”だけど、この縫いぐるみにも神は宿り魂を与えたまう。


 久しくなかったこの高揚感。


 忘れかけていた大切なこと。


 それを今、シーナが目の前で呼び覚ましてくれた。


 シーナは、封も開けられず、誰にも見られないままゴミ箱に捨てられたこの封筒を“可哀そう”に思ったに違いない。


 封筒はただの“物”だというのに。


 八百万の神を信じる者が目の前に居た。


 私は自分が何故シーナに惹かれているかが、ようやく分かった。


 シーナこそ、私の求めていた“友だち”なのだと。

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