第26話【やさしさ③(kindness)】

「なっ。 悩みなんて吹き飛ぶような気がするだろう?」


「スッキリして凄く美味しいのは認めるわ。でも人間の悩み事なんて、そんなに易々と解決するものではないわ」


「そうかなあ……俺はウマいものを食ったり飲んだりすれば、たいていの悩み事は吹っ飛ぶものだと思っているんだが」


「お気楽ね」


 私に素っ気なく言われたコーエンが頭を搔いた。


 本当は、嘘。


 コーエンが昼食を誘ってくれた時から、彼の優しさに悩むことが難しくなってきていた。


 でもこれはクラウチ家の問題。


 クラウチ家の犯した罪は、クラウチ家の人間が解決しなければならない。




 カリブ料理店を出て、27号線を島の東端を目指して走る。


 しばらく行くとハイウェイ区間が終わり、車線も片側2車線ずつの対面通行に変わり、道路沿いにお店が見えるようになった。


 コンビニエンスストア、スーパーマーケット、レストラン。


 青い空に緑の木々、そして海の香り。


 アメリカ最大都市のど真ん中に住んでいると、ついつい忘れそうになる自然の優しさ。


 窓を開けると、気持ちのいい風が入ってくる。




「チョッと寄り道してもいい?」


「サボり?」


「ま、まあ、そういう事になるかも」


「サボりは駄目よ……でも、小休止なら労働基準法で認められているから大丈夫だけど」


「じゃ、チョッと小休止」


 コーエンは、そう言うと27号線から直ぐ近くにある牧場に車を止めた。


「この牧場に、なにか用事なの?」


「ああ、シーナにミーシャを紹介したくて」


「ミーシャ……誰それ?」


「まあまあ、あってみれば直ぐに仲良くなれると思うよ」


 車を降りると直ぐに牧場の建物から初老のオジサンが出てきて、コーエンに手を挙げた。


「よー、コーエン久しぶりだな、やっと軍隊に飽きてウチで働く決心がついたんだな」


「よしてくれよ、今もバリバリの兵隊さ」


「嘘つけ、それにしちゃあ制服が違うぞ。軍隊と言うより、まるで警察みてーだ。それに可愛らしい彼女も」


 そう言ってオジサンは被っていたカウボーイハットを持ち上げて、私に親愛の笑顔を向けてくれた。


「ミーシャは元気?」


「ああ、元気にしている。お待ちかねさ」


「チョッと連れ出してもいい」


「ああ、いいとも。きっと彼女も喜ぶぜ」


 彼女と言う言葉に、少し妬ける。


 コーエンも年頃で意外にハンサムだし、ガールフレンドのひとりやふたり居てもおかしくはないけれど、私が居ると言うのにワザワザ会いに来なくてもいいじゃない。


 コーエンがウキウキした足取りで厩舎に向かう後ろを、まるで沼の中を歩くような重い足取りで嫌々ついて行く。


 “なんでアンタなんかのガールフレンドに会うために、私が着いていかなきゃいけないのよっ!”


 “父兄か‼”


 薄暗い厩舎の中から馬の嘶いななきが聞こえる。


 ところが、厩舎の中に居るはずの人影がない。


 用事で離れたのか、それとも馬の世話をするために柵の中に入っているのか。


「よお、ミーシャ。元気だったか」


 コーエンが馬の方に向かって声をかけた。


 と、言うことは、やはりガールフレンドさんは柵の中か……。


 どんな子が好みのタイプなのだろうと興味津々の思いで、コーエンのデカイ背中の陰から柵の中を覗くと、そこに居るはずの人影がない。


「あれっ、ミーシャさんは?」


「ここにいるよ」


 そう言ってコーエンが馬の頬を撫でていた。


「馬!? 人じゃなく、馬なの??」


「誰が人だって言った?」


「えっ、でも……」


 たしかにオジサンは“彼女”とは言ったけど“人”とは言わなかったし“馬”とも付け加えなかった。


 でも、普通に彼女って言われれば、やはり人だと思うでしょう?


「なんで、この子が、彼女なの?」


「実は俺、軍に入る前はここで働いていて、ミーシャが生まれるときにも立ち会っていたんだ」


「赤ちゃんの時から、ずっと一緒だったの?」


「まあな」


 ってことは、コーエンとミーシャは、長く付き合っていると言うことになる。


 いきなり彼氏の隣に私みたいなのが付いてきて、さぞや気を悪くしているに違いないと思い、嚙まれる前に慌てて手を引っ込めた。


 その動作に気付いたミーシャの目が私を捉える。


 真っ黒で大きな目は、薄暗い厩舎の中でも純粋な輝きを忘れない。


「撫でてあげて」


 おっかなびっくりの私を見て、コーエンがニコニコと笑顔を見せて言う。


 “アナタの大切な彼氏を取ったりしないから、噛まないでねっ!”


 ミーシャにテレパシーを送るつもりで念じるけれど、当然答えは何も返ってこない。


 ただ澄んだ黒い瞳に私の顔が映し出されるだけ。


 コーエンがしたみたいに包み込むようにミーシャの頬を撫でると、彼女は首を伸ばして私の胸に顔を埋めるように押し付けてきた。


「さすがシーナ。 もう、ミーシャと友達になっちゃったね」


 これって認められたって言うこと?


 振り向くとコーエンが、優しい笑顔で見ていてくれた。


 コーエンがミーシャに手綱を着けて厩舎の外に連れ出すと、鞍もつけずにそのまま飛び乗って走り出す。


 超カッコいい!


 まるでカウボーイ……まあ、元はそのカウボーイそのものなんだけど。

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