失言と沈黙
エリオット・ヨウは後悔していた。
自身の言動に関しては、日ごろから厳しく律しているはずだった。どこからも非を追及されないよう、決して家名を汚さないよう、物心ついた時からこの上なく留意してきた。その結果が、沈黙だった。話さなければ、関わらなければ、誰も何も傷つけない。それでも揉め事は起きた。自分は対人関係の構築能力に欠ける。自分の振る舞いは、そういうつもりは無くとも人を不快にさせ、冷酷な人間という印象を与えるらしい。数あった揉め事が全て、自身の非に依るものかと問われるとそうとも言えないが、自分が火種であったことは間違いない。そのたびに、家族を悲しませた。当時のことを思い出し、エリオットは俯く。家族だけではない。今思えば、級友も悲しませた。自分の言葉足らずのせいで。周囲に迷惑や心配を掛けぬよう、大学では一層、言動には気を遣わねばと思っていた。兄も姉も、もう自分の尻拭いをできるほど暇じゃない。そう思って過ごしてきた。
しかし、暗号の件から何かが変わった。あの時、なぜ彼らに声を掛けたのか、今となっては自分自身にも分からない。少しだけ指針を与えて立ち去るつもりだった。たったそれだけで友人だと言われるとは思わなかった。自分が遠ざけようとした人間が、ここまでしつこく付きまとって来るとは思わなかった。私のような人間にも友人ができるのか。エリオットは感慨深く思い返す。私に傷つけられても去って行かず、私と対話をしようとしてくれた、誰よりも大切な友人。
次いで、今までの自分を思い返す。社交界では、自分の評価はそこまで悪くはないはずだ。微笑みの仮面を被り、当たり障りのない会話をする。少しずつ心を削るようなその作業を、私は級友の前では二度としたくなかった。あれは、全ての言動は社交辞令であると、お互いが分かっている場でしかしない。非常に不誠実な行為だから。不誠実な言動で得た関係は、決して友人たりえない。自分には、親しい人間の前で仮面を被り続けることはできない。それが分かったので、一人で生きていく覚悟はしていた。エリオットは微笑んだ。覚悟か。所詮は子供の浅知恵だな。一寸先のことなど、何も予測できないということだな。
微笑んだ直後、深く溜息をつく。子供か。確かに私は子供だ。顔を歪める。幽霊については完全に失言だった。限りなく軽率な発言だった。あの場にいた人間全員の宗教や生死観、直近で近しい人間に不幸があったか否か、最低限そのくらいは把握しておかなければ、決して掘ってはいけない話題だった。以前の自分なら、ここまで酷い失言はしない。気が緩んでいる。引き締めなければ。ただ、誰も傷ついた様子がなくて良かった。今度は小さく安堵の溜息をつく。大切な友人を傷つけたくない。友人が傷つく顔はもう見たくない。この件も、皆の心に安寧を取り戻す形で終えたい。幽霊も含め。
幽霊か。エリオットはまだ見ぬ幽霊に思いを馳せる。論文の差し戻しと言っていたな。今までに聞いたことのある怪談は、疫病や戦争で亡くなった霊の話だったり、子をなくした母が悲しみのあまり生霊になったり、という話だった。大学には変わった理由で彷徨う幽霊がいるな。考えてみれば、人の恨みは千差万別だ。世の中には私が知らないだけで、多種多様な幽霊が満ち溢れているのかもしれない。いや、別に幽霊を信じるわけではないが……。ひとしきり首を捻って小さくため息をつく。実在する可能性がある、大切なのはそのことだ。エリオットは目を閉じる。自分の成果を、気持ちを誰にも受け取ってもらえず、一人旧校舎に縛られた幽霊。
「……一人は寂しいな。」
失ってから気付いたその感覚を忘れないよう、噛みしめる。目を開き、少し考え、紙に万年筆を走らせる。縦書きのその便箋を眺めて確認し、丁寧に折り曲げて封筒に入れた。封蝋に火をつけて垂らし、水をあしらった印章を押す。それが固まるのを待つ間、手帳を開き、予定を確認する。立ち上がって上着を羽織り、鞄を肩に掛けた。
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