教会

「ようこそ。お久しぶりですね。今日はまたどうされたんです?モニ君はまた背が伸びたんじゃないか?」

低く朗らかな声でモニたちに挨拶したこの男性が中心街の神父である。恰幅の良い中年の男性だが、上背があるため太っているという印象は受けない。この神父は以前叔父に世話になったことがあるらしく、街を歩いているとよく声をかけてくれる。そのため、モニはこの街の教会学校には通ったことがないが、神父とは会えば世間話をする仲である。

「お久しぶりです。所用で街に来ましてね、そろそろこれが必要なんじゃないかと。」

叔父は鞄からいくつかの小袋を取り出す。神父はかっと目を見開き、舌なめずりをするような顔で袋を凝視する。

「そろそろ頂きに行こうかと思っていたのですが、まさか持ってきていただけるとは。前回頂いた分を思っていたより早く使ってしまいまして。いやもう、これがないと日々の生活に支障が出てしまいますのでね……。中毒と言われても仕方がない。全くお恥ずかしい限りですな。」

傍から見ると違法薬物の取引風景にしか見えないが、袋の中身はローズマリーやタイム、セージなどである。この聖職者、禁じられた肉欲を余すところなく肉食の欲に向けており、叔父とはこうして各種ハーブを取引する仲である。肉を美味しく食べるためなら如何なる努力も厭わない性癖は、射撃の腕と、家畜に関する一流の解体技術と、中心街の食肉処理組合の組合長という肩書を神父に授けた。

「こちらのハーブは本当に香り高い。土が違うのでしょうかね、いや私は植物に関してはとんだ素人ですが……。そうそう、前回頂いたオレガノとタイムでベーコンを仕込んだんですよ。我ながら非常に美味しくできましてね、お礼と言ってはなんですが、良ければお持ちください。モニ君は成長期だから沢山食べるでしょう。ソーセージもありますよ。」

小袋を抱えていそいそと食糧庫に向かおうとする神父をあわてて叔父が止める。

「喜んでいただけて何よりです。神父の仕込む肉製品は最高なので是非頂きたいのですが、今日はこの後も予定がありまして。」

「おや、そうでしたか。では後程受け取りに来られますか?ひとまとめにして詰所にでも預けておきますから。」

「いやあ、助かります。帰りに寄らせていただきますよ。ところで、最近学校の方はどうです?以前神父が仰っていたでしょう、『目指せ識字率100%!』と。いろいろと啓蒙活動をされていたので、この街の通学率もかなり上がったのではと思いまして。」

叔父が話を切り出した。神父が破顔する。

「通学率を気にかけてくださる方は実はあまり多くはないのですよ。なのでこうした話題が出るのはうれしい限りです。」

神父は20年ほど前にこの街の教会に着任し、直後から精力的に教育に力を注いできた。活版印刷が普及して久しい。当時、首都の方では識字率が8割を超えるようになったとは聞くが、国のはずれの小さな街ではそうもいかなかった。かろうじて自分の名前を書ける程度の住民を含めても識字率は3割といったところだろうか。神父が着任する前から教会学校や夜間学校は存在し、聖書の朗読会もあったが、これは集客が悪かったために小説の朗読会に切り替えた。参加率向上のために女性のみの恋愛小説朗読会、男性のみのいかがわしい朗読会などを開催し、図書館を拡充し、美味しいおやつを提供し……、これには神父の趣味も大いに役立った。そういった努力の甲斐あって、この街では通学することがあたりまえになってきている。ある程度上の世代に関しては如何ともしがたい部分はあるが、少なくともモニの世代は不自由なく読み書きできる子がほとんどだ。

「おかげさまで通学率は上がり続けておりますよ。9割弱といったところでしょうか。ほとんどの子が6歳か7歳ごろには教会学校の門を叩いてくれますね。昔と違って親御さんも積極的に学校に通わせてくださる。本当にありがたいことですよ。そうそう、十数年前に一気に生徒が増えましてね。あのときは教室が間に合わなくてどうしようかと思ったのですが、修道院に協力していただけて本当に良かった。それをきっかけに女子学生も増えましたからね。」

「9割ですか。以前からは想像もつかない数字ですね。本当に頭が下がりますよ。」

「いえいえ、先達が地盤を作って下さったのと、まあ、時の運に恵まれていたのもありますね。中央が人員を増やして下さったのもありがたかった。それまでは中心街から離れた集落に住んでいる子は通学が困難でしたので。」

神父が謙遜する。教員が増えた現在も自ら教鞭をとっており、住民からも慕われている。人格者なのである。

「残りの1割はどうして学校に来ないのですか?」

モニが尋ねる。神父はうーんと少し考えて答えた。

「そうだね、まずは親御さんが忙しいこと、教育を重要視していないことが挙げられるね。6歳を過ぎると家事や子守の戦力として数えられるからね、とくに季節労働者にその傾向が強いのではと私は思うよ。ただ、季節労働者が家族や子供を伴って街に来ることは数としては多くはないから、他に理由があることが多いね。」

神父はつづける。

「たとえば、性格が学校に向いていない子だっている。どうしても全員で同じことを勉強しなきゃいけないから、文字とか数に興味が持てない子や、じっと座って人の話を聞くのが苦手な子にはつらい時間になるね。親御さんは頑張って通わせようとするんだけど、どうしてもなじめなくて辞めてしまう子がたまにいるんだよ。ただ、そういう子は熱中できるものを見つけると恐ろしいほどに才能を発揮することが多いと感じるよ。私が別の地方で働いていたころ、そういう子がいてね。彼女が学校を辞めると言ったとき、止められなかったことを長く悔いていたんだ。だけど、今は彼女、国立管弦楽団でフルートを吹いているよ。」

神父は晴れやかに笑う。つられてモニの顔もほころぶ。 

「あとは体調の問題だね、病気療養中で通学ができなかったり。この3つがほとんどだね。」

神父が話し終えた。モニはお礼を言った。

「そういえば、うちの近くにも3つほど集落がありましたね。そちらの分校でも教壇に立たれているのですか?」

もののついで、という風に叔父が尋ねる。

「分校の方は若い者に任せておりますよ。最近は農工会の食肉加工の講義も引き受けておりまして、なかなか手が回りませんで。」

「僕の想像以上にご多忙でいらっしゃるんですね。いえ、北の方にも足を延ばす機会があるのでしたら是非うちに立ち寄ってお茶でも、と思ったもので。」

「ありがたいお誘いです。また日を改めてお邪魔させていただきますよ。」

そのときは是非追加のハーブを、と神父が両手を揉みしだく。

「もちろんですよ。分校の先生にもよろしくお伝えください。ちなみにどんな方なんですか?お見掛けすることがあれば挨拶を、と思いまして。」

「あそこはマイヤー先生の担当ですね。あのあたりは子供の数が少ないので、集落は3つですが分校は1つにしているんです。下級クラスと上級クラスに分けて、日替わりで授業を行ってもらっていますよ。栗色の髪の、背の高い爽やかな青年です。歳は27だったはずです。子供たちにも慕われていますし、よくやってくれていますよ。見かけることがあれば、若い者同士、良くしてやってください。」

神父が叔父の手を握ってぶんぶんと上下に振る。しばらく三人で雑談をした後、モニと叔父は神父にお礼を言い、教会を後にした。

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