第13話 夢の女神
何人かの御師が集まってきて聞いた話だ。この富士にまつわる話の中に、昔から天女を見たというものがあるそうだ。御師の中には歴史に詳しい者もいて、平安の文人
|白衣を来た美女が2人、並んで山頂で舞い踊っていた《有白衣美女二人、雙舞山巓上》
|そして30センチばかり浮き上がっていたのを《去巓一尺餘》
「30センチ浮いてるとか見間違いじゃないですか? 麓から見たんでしょう?」
確度的に見えるはずがない。そもそも山頂の人間なんぞ見えんだろう。
「だからそれが木花咲耶姫だっていう話なんだよ」
木花咲耶姫に紐付けられたのはもっと後の時代ではなかったか。
「もう1人は誰なんですか」
「それはわかんねぇけどよ、姉の
「あ、やめて下さい、本当に!」
唐突に俺の前にいた1人の御師が俺を拝みだした。つられて何人もの御師が俺を拝みだす。そしてそれに気がついた道者も同じように拝みだす。
そんなものは口から出任せなんだ。勘弁してくれ、心が痛い。
「ちょっと落ち着いてください。俺が見たのは夢ですよ。実際見たわけじゃない」
「それでもそんな話全然知らなかったんだろ? やっぱアレだな、山菱さんは導かれてんじゃないかな」
「いや、待ってください、本当に」
何だか物凄く嫌な予感がしてきた。
これも鷹一郎が神女を見たと言うのがいいって言うから宍度にそう言っただけで。糞。これも鷹一郎のせいか。仕込みなのかこれも。腹が立ってくる。
ともあれそこからの先行きは俺にとっては更に困難に馬鹿馬鹿しくなった。
道者は一合目の下浅間、というよりそれ以前の高尾山登拝などから延々と行衣に参拝印を押して貰う、いわゆる記念スタンプ集めをやっている。東京に戻った時に同じ講に所属する者や親類縁者に自慢するのだそうだ。
俺は予定外に吉田に来たものだから、俺の行衣は吉田で宍度に用意してもらった。だから真っ白で綺麗なのを
そして今はなぜだかその真っ白さ加減が天女の白衣のようだと言われて、参道各社の参拝の最後に祈られる始末である。
今も集団は四合目の半ばに
来るんじゃなかったと心の中で悪態をつくが、飯の宛がなかったから仕方がない。直後に鷹一郎が見つかったのは結果論にすぎない。
けれどもその馬鹿馬鹿しいイベントも五合目の
そこでようやく休憩。
参拝がひと段落したら御師が弁当を配り始める。おにぎりに山菜や野菜の煮物。素朴で旨い。本当は肉がなけりゃ力が出ないが、ないのは仕方がない。そもそも富士には参拝に登るのだ。この白装束もそうだし、肉などの不浄は避けるもの。精進潔斎。
御師が声を張り上げる。
「皆さん。ここらへんで木山は終わり、ここから先は
御師の言葉に道者たちの表情が引き締まる。
木々の下、足下に突出した岩に触れる。きめが細かい。この岩はおそらくかつて溶岩だったもの、火成岩というものなのだろう。富士が噴火した際に流れ出た大量の溶岩が急速に冷え固まって地面を覆っているのだ。そうしてしばらく歩いていくと、これまでの唐松などの針葉樹の森は唐突に終わり、景色は一変した。
視界が開け、砂礫だらけの荒地が広がる。そして行先を見上げれば、どこまでも、天に繋がる山肌が雲の中に続いていく。
思わず息を飲む。その姿はまさに異様だった。
振り返れば、これまで登ってきた針葉の木々で構成される木山の森が、濃緑色の帯のように広がっている。ここから上の茶色の荒野とその帯を超えたところにある人間の住まう若草色の平地との間で、木山の緑は此岸と彼岸の境界のように静かに横たわっている。
そしてさらにその草原の先に目を先に向けると、山中湖と、地面にへばりつくように民家がが見えた。ふいに鷹一郎の呟いた噴火の様子が思い浮かぶ。
|その北側の海を焦がして峰を崩し、砂や石が雨のように降る《焦岩崩嶺、沙石如雨》
|その流れは長さ二十キロ、広さニからニキロ半、高さ六から九メートル《千六百流埋海中、遠三十許里、広三四許里、高二三許丈》
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