第8話 神を信じぬ宗教家

「哲佐君が富士山講社に向かわれている間、私はその奇習の原因を探ろうと思います。それでね、いずれにしても行うべきことがあります」

「行うべきこと?」

「ええ。生贄の儀式が何かの効果を期待してのものなら、効果を及ぼすためにはやはり定められた手順はきちんと踏まねばなりません。秋月さんは奥宮で禊を行わないといけないのでしょう?」

 頭の中を掻き回す。鷹一郎の記憶力というものは一体どうなっているんだといつも思う。

「そういやあいつ、そんなことを言ってたな」

「現在の山頂奥宮、つまり旧大日寺を所有しているのは本宮富士本宮浅間神社です。奥宮で禊をするには奥宮を管理している本宮に話を通さないといけない。そして今、最も本宮に伝手を持つのは富士講社です。公然と富士講行為を行っておりますしね。ですから富士講社との間で良好な関係を結んでいただければと」

「ふうん。そういうものなのか? そういえば禊っていうのは何をするんだ?」

 鷹一郎はわざとらしくため息を吐いた。しゃらくさい。

 禊というのは簡単に言えば身を清らかにすることだろう。

 一般的には精進潔斎、祭祀を行う前に肉や酒、五辛ごしんといった刺激物を断ち体を清める。神社に言って拝む前に手水で清めるのも禊だ。そのくらいなら知っている。

「吉田さんも仰ってたでしょう? 村山修験では水垢離みずごりでしょうね。水を浴びて体を清めます。そういえば村山修験の方は西方に出張して富士垢離ふじごり行家ぎょうけという儀式の営業をしていました。わざわざ富士に行かなくても、富士に詣でたのと同じ徳が得られるという制度です」

「世の中何でも省エネルギィだねぇ」

「富士まで行くとなると大金がかかりますからね。お金を払って同じ徳を得られるのならば出費が少なくてすむ」

「けど山頂で水垢離なんてできないだろ」


 水垢離のイメエジというのは滝行だ。滝に打たれて川に水を沈めて体を清める。少なくとも俺の出の東北あたりはそうだった。

 つまり水垢離には穢れを祓いきるほどの大量な水が必要なわけだ。よく考えれば生贄が穢れていたら元も子もない。だから理屈はわかる。

 けれども山頂にそれほど豊かな水が湧くとは思えない。なぜなら湧き水というのは山に降った雨水が長い時間を地中を通って下流に流れ出るものだ。だから地中を通る隙間がない山のてっぺんで水が湧くなんてことは物理的におかしいような気がするのだが。

「富士の山頂は火口の周辺が盛り上がっています。お八巡りといいまして、頂上にある八つの峰を巡るのです。それをぐるりと周る途中に金明水と銀明水というのが湧いている地点があるそうです」

「そういやさっき言ってたな」

 なんだか俺は同じことを馬鹿みたいに呟いている。

「ええ。これも神の水です」

 鷹一郎はそう呟きいて俺の杯にとっくりを傾け、ざわざわと騒がしい店内にお代わりをお願いしますと涼し気な声を上げた。


「山吉講はその山頂にある霊験あらたかな金明水を見つけたということで、御水講おみずこうとも呼ばれています。先程も話に出ましたが、吉田平左衛門へいざえもん、吉田さんのご先祖が食行身禄じきぎょうみろくの直弟子だったことと金明水を得たことで評判を呼び、江戸一の講元になりました」

「その金明水というのは仙水か何かなのかね」

「ええ。富士の加持水かじすいとして有名で、病人に飲ませるとたちまち治ると霊験あらたかなお水です。その他には御見抜おみぬきといって、形式としては色々ありますが、簡単に言えばその水を使って山頂で世界を表す曼荼羅を描いたりするそうですね」

「酒のほうが効くんじゃねえか」

「百薬の長といいますしね」

 そこでようやく先程の会話の意味がわかっていた。ようは俺の身内か何かに病人でもいて、それの快癒を祈って富士山に登るという手前になっていたのだな。

 にこにこと話す鷹一郎が癪に障る。予め言っておいてくれればよいものを。何だか少しイラっとした。


「ようは俺は身内にでも病人が出た体で、その富士講社に潜り込めばいいのか?」

「身内だと万一調べられると面倒です。そうですねぇ。当面は名前は明かせない大切な人が病になり、治癒がしたいという方向でお話ください。突き詰められたら夢の中に美しい神女でも出て富士で修行しろ、そうしたら治ると言われたというのはどうでしょう」

「胡散臭いこと甚だしいな」

「けれどもおそらく、それが一番調べようもなくていいんですよ」


 回想を打ち切り、少しの八つ当たりのような苛立ちとともに本当に大丈夫なのかよと思いつつ、鷹一郎が言ったのだから俺のせいじゃないと考えながら目の前の宍度にそのように返すと、宍度はぽかんと目を見開き、やがてクククと小さく笑い出した。馬鹿にされているというよりは面白がっているようで、けれどもその笑いの裏で表情の読めない瞳が何かを考え始め、しばらくの居た堪れない沈黙の後に宍度はふむ、と頷き再び俺を見た。

 なんだか物凄く嫌な予感がした。

 この表情の移り変わりはちょくちょくお目にかかるものだ。つまり鷹一郎が悪巧みをしているのと同じような機序を辿っている、ようにしか見えない。

「なるほど、神女がね。けれども残念ながら富士にそんな霊水なんかありませんし、仮に修行で何らかの霊力が得られるとしてもそれは随分な修行の先のことでしょう」

「あの、そのようなことを仰ってよろしいのでしょうか」

「おや、失言でしたのでお忘れ下さい。けれどもよろしい、名医を紹介致しましょう」

 名医? うすうすと思っていたが、この宍度という男は宗教者のはずなのに神というものを信じてはいないのではなかろうか。いや、まさか。

「そのかわり手伝って頂けませんか」

「……何を」

「色々と、です」

 そしてその持って回った言い回しは鷹一郎を想起させて、やはり僅かに苛立った。

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