第6話 富士に登る人々
俺を完全に除外して進められる話に、俺はすっかり困惑していた。どのタイミングで口を出していいのかも、もはやわからん。左文字の件は願掛けといえば願掛けのような気もしないではないなぁなどと考えていると、当然のように俺ではなく鷹一郎が答えるのだ。
「助けたい人がおりまして、いずれにせよ登らねばならぬのです」
「ふうん。そんなら
「ふうん、なるほど。ああ、それから最後にお一つお伺いしたいのですが、
「……あんた陰陽師だもんな。そういう相談なのか」
「藁にもすがる思いなのです」
吉田某は気の毒そうに俺を見る。
本当に何がなんだかわからない。一体何がどうなっていることになっているんだ。仕方がないから俺は口を
「これは本当は秘密だから言っちゃぁ駄目なんだけどよう。いま帝都と京から伸びてる鉄道がそのうち富士のあたりで繋がるだろう? 正直富士講も長くねぇ気はするしな。そんなのに今どき修行に登るなんざ、兄さんは他人事に思えねぇ気がするんだよな、うん」
「ご迷惑でなければ、どうしても得たいのです。
吉田某は神妙そうに声を顰める。
「ああ。あれは偽物でただの水だよ。けど昔は本当にあったんだ。今もあるかもしれんが、どこにあるのかはもう俺にもわかんねぇ」
「そうですか。誠にありがとうございました」
「いいってことよ。吉田や
深く礼を述べて辞すると、太陽はそろりと西に傾いている。坂を登って見えた富士はまるで金屏風の中に黒くぽっかり浮かび上がるように神々しい。その山頂の少し上を照らす陽が俺と鷹一郎の後ろに長く影を伸ばしている。
「さすが哲佐君です。徳がお高い。どうして哲佐君がいるとこうもトントン拍子に話が転がるのでしょうね」
「俺を除いてな。俺には何がなんだかさっぱりわからん」
「富士講というのは近年最も富士に登っている方々なのです。それはご存知ですよね」
「うん、知ってる」
「最盛期には数万という人間が江戸を発し、富士に登りました」
「すげえな」
遥か遠くの富士に続々と向かう人々の姿が脳裏に浮かぶ。そんなに登りたいものなのかね。
「それを取りまとめ、指揮したのが富士講元の方々で、さらにその中で江戸で最大規模なのが今の山吉講です」
「そんなにすげえようには思えなかったがな」
「廃仏毀釈というものは宗教者の側に回れば本当に厳しいのですよ。なにせ見知らぬ民衆にある日突然、その全てを叩き壊されても何も言えぬのですから。それに神道以外の宗教は集まるだけで捕縛されかねないのでね」
そういえばあの家の中もガランとしていた。さすがに信徒の多い講元だ、民衆の襲撃を受けたりはしていないのかもしれないが、今は大っぴらには人を集めづらいのだろう。
富士に登るのは旧暦6月頭から7月末。もう少し先だ。富士講は富士詣での期間の間以外は
「さて、それで哲佐君に最初のお仕事です」
「なんだよ急に」
「富士講社に潜入してきてください。紹介状は先程吉田さんから頂きました。宍度さんは江戸の富士講全てを傘下に引き込もうとしていますから、講の先達の紹介といえば嫌とはいえないでしょう」
「ちょっとまてよ、俺は富士講のことなんざ何もしらねえぞ!」
大慌てで断りを入れる。
何かあればご先祖様と仏様に祈るくらいが相応で、宗教なんぞ興味がねぇ。だから信心なんぞたいしてありはしねぇ。そんな俺が宗教に加入なんてまねができるかよ。
「大丈夫ですよ、富士講社はとてもゆるいのです。教義はご存知ですか?」
「知らねぇよ」
「富士は日の本の柱です」
「うん」
確かにだんだんと暮れなずむ世界で、一段高いその姿は確かに世界の柱のようにも思われた。
あそこから煙があがるなら、なおさらそう思うだろう。
「これを信仰すれば天下は泰平、国家は安全、さらに自分も家族も幸福です」
「おう」
「以上です」
「はぁ?」
「簡単でしょう?」
「いや、つかそれ宗教なのかよ」
「南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土へいける」
「浄土真宗か」
それだって、俺はさほど詳しくはないのだ。
「それと同じです。単純であればあるほど民衆にウケがいい。小難しい教義なんていらないのです。だから爆発的に広がったのですよ、富士講は」
「そんなものでいいのかね」
心の底からそう思いはしたが、そんな単純なものであれば俺にもなんとかできそうだ。それが顔に出てしまったのだろう。断れない一言が飛んでくる。
「富士講社に赴かれる1日につき1円差し上げます」
「ぐ、む。いや、そんな簡単なのならお前がいけばいい」
「私は調べれば、というより名前から土御門の末であることがバレますからね。宍度某らとは敵対するつもりはありません。それに哲佐君くらい何も知らないほうがよいのですよ」
最後の抵抗は何の意味もなさず、鷹一郎は夕闇に暗く染まる中で返事も聞かずににやりと笑った。このようにして、俺はやはりなにもわからず宗教に入信することになったのである。
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