第3話 物語の跡地

「鷹一郎、終わらせるってなどういうこったい?」

「生贄になるのは秋月さんが最後ですから、きちんと終わらせなくては秋月さんが困るでしょう?」

「私が? 最後だと困るのですか?」

 俺も左文字も置いてきぼりだ。

 鷹一郎はたまにこんな、木で鼻をくくるような話し方をする。鷹一郎の中では何かの筋が通っているのだろう。余人にはさっぱりわからない理屈が。

「後が続かないのであれば、次の捧げ物はやってこない。捧げられたあなたはきっと困りませんか。だからこの千年にわたる物語をやり直しましょう」

「やり直し?」

「報酬は目を瞑っていただければそれで結構です」

 煙に巻かれるようなやりとりで、何となく論点がずらされている気はする。

 ともあれ千年にわたる生贄の儀式、か。確かに左文字は平安から続く儀式と言っていた。そう考えるなんだか随分おどろおどろしく、少しばかり腰がひけてくる。鷹一郎が俺を見て、にこりと気持ち悪く微笑んだ。

 鷹一郎のこの視線は、俺に仕事をさせようということだ。それなら俺にとっての問題は既にその内容ではない。適切な対価が支払われるかどうか、だ。

「哲佐君もお手伝い下さいますよね?」

「いくら払う」

「これは全て私の手出しですからねぇ……本番の山登りには20円出しましょう。それまでは日に応じて通常の日当、最終的な報酬は成果に応じて」

 左文字は唐突なその大金額にポカンと口を開けた。大卒の銀行員の初任給が10円だ。

 富士登山と言っても東京からの行き来を考えれば10日程を確保すれば事足りる。往復の間も別途日当が出るわけで、更に成功報酬が予定されている。つまりその報酬は常識的に破格に過ぎる。

 これは俺の危険手当てに等しい。やはり相応には、危険なのだろう。なにせ富士に登るというのならば。

「あの、それは一体どういう?」

「私1人での登山は現実的ではありませんので、哲佐君にお手伝いをお願いするのです」

「その、私は山菱君に相談しただけで、お金をお支払いするつもりは」

「勿論です。哲佐君の日当は私がお支払いしますのでお気になさらず。それから事前に調査をしたく存じます。ちょうどメンデンホール先生が夏に富士登山を企画されておりますから、そこに紛れ込みましょう」

 トマス・メンデンホールは東京大学の物理学教師で、アメリカから招聘されたいわゆるお雇い外国人だ。本郷校舎に作られた理学部観象台の観測主任に昨年から就任し、気象観測を行っている。星学を専門としている鷹一郎は、本日ちょうどこの観象台を訪れていたらしい。

 それでメンデンホールはこの夏、富士山頂で重力の測定やら様々な実験を行う予定だそうだ。

 設えられたように星の巡りが良すぎる気がするのは何故だろう。

「随分念入りだな」

「何、偵察です。秋月さんの御一族は登山道の管理をされているのでしょう? 当然強力荷運び兼案内人も伝手がございますよね」

「それは、まぁ」

「先生は須走すばしり村から登る計画なのですが、強力ごうりきの方のお手配を頼めますでしょうか」

「須走の御師に頼めばよろしいのでは? そちらの方が人数が格段に多いですよ。村山はその……最近寂れておりますので」

 左文字は理解が追いつかないようで、首を傾げる。村山と須走は、どうやら場所も離れているようだ。

 村山口は富士南麓の根元宮村山浅間神社から北上するルートで、古くから修験者や関西からの参拝者の登山口として栄えてきた。一方の須走口は富士東麓の東口本宮東口本宮富士浅間神社から西進するルートで、須走口は富士講を中心とした関東からの参拝者の登山口として栄えてきたという歴史があるそうだ。

 勢力争いでもあるのかな。

「仰ることは御尤もですが、メンデンホール先生の登山は実験を予定しております。ですから少々勝手が異なるのです」

 富士山で測定するための実験機器は重いらしい。天文経緯儀などは鉄でできていて、分解したとしても1つあたりがかなりの重量だそうだ。

「それに精密機器での観測を予定しておりますから機器が壊れては意味がありません。慎重に運んでいただく必要があります。御師町の強力の方々は普段は参拝者の荷物程度しか運ばれないでしょう? 修験をされている村山の方々のほうが適任と思いまして」

「おそらくより鍛えてはおりますね」

 左文字はようやく得心したように頷いた。

 左文字の体格からも鍛え抜かれていることがわかる。その全身は鋼の如くで、今のようにきちんとした上下を身にまとっていなければ、よく車夫や工夫に間違われているのだ。

「それに二十年前、英国公使のオールコック氏の案内をされたのは村山の方々でしょう? 幕府からの人手もあって百人ほどで村山口から登られたと聞いております。メンデンホール先生も外国の方ですので、多少なりとも慣れた方々の方が有難いのです」

「そういえば、そのようなことがあったと村の人間から聞いておりますね。確かに二十年前であれば今も現役の者がおりましょう」

「支払いは大学が致しますから、多少高くても結構でしょう」

 鷹一郎は朗らかにそう言い放ち、左文字は頭を掻いた。

 左文字の一族の奇習の相談のはずなのに、いつのまにやら鷹一郎を中心に、この夏富士山に登る計画が立っていた。何故だ。

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