第2話 山菱哲佐の生贄体質
「こいつは友達の秋月ってんだ。お前にちょっと相談したい件があってな」
「へぇ、私に? では、ここではなんでしょうから」
鷹一郎はあたりを見回しそう告げて、返事も待たずに歩きだす。学生の往来はざわざわと騒がしい。
古式ゆかしき立派な朱塗り門を潜り抜け、
「おい山菱、ここは茶屋だろ?」
「奥を借りれるから大丈夫だよ」
以前は俺も大人の男が茶屋などと少々戸惑ったものだが、鷹一郎との付き合いももう2年にはなる。いつのまにか慣れてしまった。奥の茶室は喧騒を離れ、さよさよと涼し気な葉擦れの音が心地よい。
しばらく待つと熱いほうじ茶と水無月が運ばれてくる。氷に見立てた三角の白いういろうの上に小豆餡が乗っていて、それなりに食いでがある。春を過ぎてそろそろ夏に近づく頃合いだなぁと思えば、目玉につられて腹がくぅと鳴った。
「
「うるせぇ。腹が減ってるもんは仕方ねぇだろ」
「それよりそちらの秋月さん、でしたか。村山といえば
歩く途中で簡単な説明だけ鷹一郎にしてみれば、よそ行きの顔であっという間に食いついた。
「はぁ。ご存知なのですか?」
「ええ、勿論。私は神主などもやっておりますので」
厳密に言えば鷹一郎は現在神主ではないが、卒業すれば地方の神職に修まることが内定している。
いつもはツンとすましている分にこにこと語る鷹一郎というのはそれなりに珍しく、俺にとっては気持ちが悪い。その末代上人という人物に興味でもあるのだろうか。けれどもこいつの興味のおおよそは、知的好奇心というよりは即物的な物欲で成り立っている。きっとその末代上人の関連で欲しいものでもあるのだろう。
「末代上人ってなぁどんな奴なんだ」
「哲佐君はご存知ないですか? 末代上人は富士修験の始まりです」
「富士修験?」
「ええ。霊峰富士は昔から修験者が修行を行う場として有名です。末代上人は富士で修行をされた方です」
「修行ねぇ」
この明治の世界、特にこの帝都では随分時代錯誤に聞こえる。
「富士のお山の山頂は現し世ではありません。
「知らん」
本地垂迹とは神仏習合の
富士権現とも呼ばれる
「
「ええ。ですから秋月さんが本当に富士に捧げられるのでしたら、その捧げられる対象は霊験あらたかな神仏そのものに対してなのです」
左文字は目を
おそらくこれまでは『生贄』という風習として捉えていただけで、深くは考えてはいなかったのだろう。左文字自身は敬虔な修験の徒、というわけでもなさそうだから。
「そういえば、そうですね」
僅かに混乱した風情で、左文字はそう答えた。
「ええ。そしておそらく秋月さんが最後のお役目です」
「……どうしてそう言い切れるのです?」
「おそらくこの風習は次回、つまり33年後までは保ちません。文明は生贄という制度を蒙昧なものとして駆逐するでしょう。叶うことなら哲佐君を身代わりにして頂ければ」
「ちょっと待てぃ」
身代わり。
その言葉はいかにも俺に似合っている。だからあまり耳にしたくない。
俺は世にも稀なる『生贄体質』というものらしいからだ。世の魑魅魍魎には俺がとても美味そうに見えるらしく、俺を見つければ襲ってくる、らしい。未だに半信半疑なところもあるが、こいつと知り合って2年余り、俺の頭は既に碌でもない思い出に埋め尽くされていた。その代わりに仕事として十分な給金を貰っているものだから、決して不満を言える関係ではないのだが。
とはいえそんなことを預かり知らぬ左文字には意味のわからぬことだろう。既にその前の水無月の皿は手持ち無沙汰に空になっている。
そして俺の怨嗟は無視され話は続く。
「秋月さんは儀式の危険性についてお知りになりたいということでしょうか」
「知りたい、というほどでもないような。儀式自体は特に危険はございませんので」
「なるほど、現在富士は落ち着いておりますものね。ところでその儀式は見学ができるものですか」
「そうですね……登山自体がそれなりに厳しいことはさておき、改めて考えれば特に禁止はされておりません。敢えて公開もしておりませんが」
途端、鷹一郎は目を輝かせた。
「それは素晴らしい。もし上人の遺物などを発見した場合、頂戴してもよろしいのでしょうか」
「……本当によくご存知ですね。どうでしょうか。もともとは埋めた方のものではあるのでしょうが、既にはるかに昔のことですし」
富士にはその上人の遺物でも埋まっているのだろうか。
「鷹一郎、お前はその遺物というのが欲しいのか?」
鷹一郎は僅かに口を開けてさも心外だという顔で俺を見つめ、土瓶を手に取り茶を注ぐ。綺麗に金継のなされたどっしりとした黒瓶から、柔らかなほうじ茶の香りが立ち上る。
「哲佐君は本当に失礼ですね。それはさておき、古くからの儀式を終わらせるには作法が必要なのです」
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