第二話 隣の人

靭錠岩慈さん。

初対面なのに私が恐怖を抱かなかった初めての男の人。

優しそうで、誠実そうないい人。


でも、信用しきるわけではない。

上に立つ人間は、必ず人を疑わなくてはならない。

「蒼、いる?」

部下とも腹心ともいえる護衛を呼ぶ。

「お呼びですか?お嬢様。」

現れたのはサラサラの黒髪を風に靡かせる、隠密衣装に身を包んだイケメン。

「調べて欲しい人がいるの。星龍の、靭錠岩慈。私の隣の人。」

「いい人なのでしょう?」

「だからこそ、よ。いい人には必ず裏があるわ。」

「裏がある…。お嬢様もですか?」

いきなり聞かれて驚く。

「そんなわけないわ、私は悪い人だもの。」

「そうですか。では明日までには調査を終わらせますね。」

「ありがとう。」

私の悪友ともいえる腹心が姿を消す。

そうよ、いい人には必ず、裏があるのよ。

でなきゃ、お祖父様が暗殺なんてされるわけ、ないもの。


私のお祖父様で、雅刃財閥の創始者である雅刃榮咫は、腹心だったものに暗殺された。

とてもいい人だと思っていた祖父の腹心は、容易く私たちを裏切った。

だから、私は誰も信用しない。

実は、蒼のことも少し疑っていたりする。

私には、人間不信、という言葉が相応しい。


いつか、本当に信頼し合える人に出会えると信じている。


次の日、何事もないかのように学校で挨拶をした。

靭錠さんは昨日と同じ、優しい笑顔を向けてくれた。

一瞬、罪悪感が生まれる。

でも、仕方ない。これは、私がやらなければならないことなのだから。


「そういえば、雅刃さんの家は、何をやっているの?」

「私の家? 私の家は、雅刃財閥といって、日本を股にかける大財閥よ。私はそこの一人娘。」

「えっ⁉︎ 雅刃財閥、一人娘…。もしかして…。 ねぇ、昔、玲二に誘拐されたこと、ない?」

突然の言葉に、体が強張る。


なぜ、彼がそれを知っているのか。


何を隠そう、私は誘拐されかけたことがある。

蒼はそのとき、両親と会合に行っていた。その代わりに護衛に来た人は、玲二と名乗った。

その男は、偽物の護衛だった。

幼い、大財閥の一人娘が、護衛を探していたら、もちろん誘拐犯は食いつくだろう。

私は、彼に誘拐された。


ただ、その時、誰かに助けてもらった記憶がある。

同い年くらいの、男の子だった。そして、信じられないくらい強かった。

相手は大人、それも三人いた。なのに、一分としないうちに片付けてしまった。

そして一言、「大丈夫?」とだけ言って安全なところまで手を引いてくれた。

恐怖に縮んでいた体は、彼の手の温もりによって元に戻った。


私は、彼に感謝を伝えていない。

いつかまた、会えたらと思っていた。


このことは、雅刃財閥の名声のために隠蔽された。

だから、この事件を知っているのは、当事者だけ。

そして、その当事者の中で身元がわかっていないのはただ一人。

「もしかして、あの時助けてくれたのは…?」

「あぁ、俺だね。懐かしいなぁ。全然変わってないね。」

あぁ、彼が、名声のために埋もれた正義のヒーロー。

「ありがとう、ございました。」

感謝の言葉が口をつく。

「ん? いや、いいよ。玲二は粛清対象だったからね。」

粛清対象。

どういう関係なのだろうか。

「俺と玲二は幹部と下っ端だよ。」

「幹部、下っ端、ですの?」

聞き慣れない言葉に思わず復唱してしまう。


「言ってなかったっけ? う〜ん、怖がらせちゃうかな。

 俺、実は次期組長なんだよ。」

次期組長?

「それってもしかして。」

「俺、組の御曹司なんだよ。璽将組組長、靭錠蓮慈の息子だ。」

悪い人。

やっぱり、裏の顔はあるのだ。


怖い。

生来の対人恐怖症、それとあの日の記憶が蘇る。

玲二は、璽将組と名乗った。つまり、彼の手下だった。

でも、粛清対象だと言っていた。


わからない。

いい人なのか、悪い人なのか。

優しい人なのか、怖い人なのか。


「やっぱり、怖がらせちゃったよね。ごめんね。俺、もう話しかけたりとかしないから。」

気を使わせてしまった?

彼が、勇気を持って打ち明けてくれたのに?


彼が前に向き直る。

今を逃したら、もう二度と関わらない気がする。

「待って! 大丈夫。私は、大丈夫だから。だから…。」

言葉が濁る。

大丈夫だから、なんだというのだ。

もっとよく考えてから話すべきだったかな。

だんだん涙が溢れてくる。

「だから、その…。」

涙が頬を伝う。

混乱して、もう何が何だかわからなくなってきた。


いきなり、視界が暗くなる。

「ちょっとごめんね。歩ける?」

喋れないのでコクンと頷く。

手を引かれてどこかに連れて行かれる。

明るくなったと思ったら、階段下に着いていた。

「それより、本当に? 本当に、大丈夫なの?」

「だい、じょぶ。」

「そっか。よかった。それより、雅刃さん、お嬢様じゃない言葉も話せるんだ。あ、別に悪口とか変な意味じゃないよ。ただ、ちょっと意外だっただけで。」

確かに、そうかもしれない。

「お聞き苦しいものをお聞かせしました。もう、しませんわ。」

「いや、そういう意味じゃなくて。俺は、お嬢様じゃない方が好きだよ。」

好き。

「じゃあ、できるだけ、そっちにできるようにするね。」

「あぁ。改めてよろしくね、雅刃さん。」


こうして、友達が一人できた。

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