置いて行くもの。④

 晩御飯を食べてから少しゆるゆるとしたあと、私達は夜の世界へと踏み出した。

 暗い夜空を大きな青い月と淡く光を放つ星樹の枝葉が照らしている。山の方から吹き下ろしてくる冷たいけれど優しい風が、低く青い草に囁いてから湖面の月と星樹を揺らす。

 目的地はない。ただ、メルティエさんと歩く。程よいところで話ができれば。ただ、それだけ。

 砂利道を踏む足音は、私とメルティエさんではどうしても合わない。大きさの違う私達だから。

 ……私がもっと”大きく”なれれば。

 メルティエさんの隣を歩いていても、もっと”それっぽく”見えるのかな。それに、私が一歩先に歩いてリードしてみたり、メルティエさんのことを抱えてみたり。探索している時や魔力を分けてもらう時だって。

 もう少し、メルティエさんと一緒にいるのが相応しい、のかな、って。

 今の私は、見た目も妹っぽくて、弟子で、手を繋いで引っ張ってもらって、一人では到底迎えられなかった明日をおんぶにだっこしてもらって何とか迎えることができている。

 身体の大きさは……、さすがにちょっと難しいかもしれない。だけど、メルティエさんのように、前を見て、自分の足で明日に歩くくらいはできるようにならないといけない。

 ……いつまでも、メルティエさんは私のそばにはいないのだから。

 ふと、メルティエさんが足を止めた。

 道端にはあのベンチ。

 泣いたり、ちょっとだけ怒られたり、慰めてもらったり。ドキドキしたり、意地悪されたり、ふわふわしたり。色々な思い出がある、ちょっとだけ特別な場所。話すならここ。メルティエさんもそう思っていたんだろうし、私も無意識にきっとそう思っていた。

 だけど今日は。


「メルティエさん、もう少し歩いてみませんか?」

「えっ?」

「ちょっとだけ、です。今日は先の方まで行きたい気分で。その、メルティエさんがどうしても、というのでなければ。」


 ちょっと卑怯ひきょうな言い方かな、とも思った。

 私ならそんな言い方をされたら嫌とは言えないから。


「いいよっ。もうちょっと歩いてみよっか!」

「ありがとうございます。」


 思い出は置いたまま、さらに湖畔こはんを進む。

 少しずつ街の灯りも遠ざかって、砂利道も徐々に茶色の土へと隠れていった。

 私達の足音も柔らかくなって、風が草にささやくのとあまり変わらなくなる。

 湖の縁が大きく曲がり始めて、街の様子が左手の湖を挟んで見えるようになり始めたあたりで、右手になだらかな斜面が現れる。

 空を貫く岩山へと続く小高い丘。

 湖沿いは、誰かが踏み固めたのか、土色の道がずぅっと続いていくのに対して、丘の方へは誰も向かわないのか、青く低い草が風に靡いているだけで。


「おっと。どうしたの?フィルカちゃん。急に止まって。やっぱり戻る?」

「いえ。ちょっとそこの、丘の上まで行ってみませんか?」

「ほぉ〜。いいねっ!行ってみよっ!」


 丘は登ってみると、見た目よりも傾斜を感じる。身体が重くて、一歩前に進むにも、湖畔の道の何倍もの力が必要だった。

 そんな斜面をメルティエさんはひょいひょいと苦も無さそうに登っていく。

 対して私は息を切らしながら。一歩一歩、ゆっくりと。少し先に進んでは止まってくれて、「頑張れっ♪」と私を励ましてくれるメルティエさんに向かって。いっそのこと、変身してしまえばあっという間に登り切れるんじゃないかとも思ったけど、それは何だか負けたような気がしてできなかった。

 良く分からない負けず嫌いな自分を認識しながらも、何とか平らなところまで登り切る。膝に手をついて、呼吸を落ち着けようと何度も深呼吸した。

 意外と広い平場の先には、また岩山に向かって続く、更に傾斜のきつそうな斜面がある。もっと登った方が景色が良さそうだけど、さすがにここらへんにしておいた方が良さそうだった。


「フィルカちゃん。頑張ったね〜。偉い偉い。」


 優しく頭を撫でてくれるメルティエさん。

 それだけで、疲れが少し和らいだ気がした。


「フィルカちゃん、後ろ。景色、いい感じだよっ。」


 まだ息が整わないせいで返事はできなかったけれど振り向いてみた。

 思ったよりも見晴らしのいい景色が広がっていた。

 波一つ無い湖は奥の方まで見渡せる。

 天井の青い月と黒い根の向こう側に見える星樹。

 右手の向こう岸はまだまだ小さい。

 左手には、夜の街並みが見える。思ったよりもこじんまりとしているように見えるのは、青い月にも星樹にも届かないけれど、ささやかな光を焚いて健気に存在を示しながら、一つ、また一つと消えていく。

 そんな街の外れ、湖のほとりにはソミアさんの湖畔こはんの夢も、湖の向こう側を眺めているようだった。

 絶景、というわけではないけれど、なんだか心が落ち着く。そんな雰囲気を感じる景色。


「フィルカちゃん、もしかしてこの場所、知ってて連れてきてくれたの?」

「あ、いえ。」

「ほぉ。フィルカちゃん、いい景色を見つける才能があるかもねっ。」


 なかなかピンポイントな才能で、どんな役に立つのかとは思うけど……。

 でも、今ここで、メルティエさんが喜んでくれるなら、そういうのもいいのかなって思った。

 メルティエさんがペタンとその場に座った。

 パジャマが汚れてしまうんじゃないかな……。

 メルティエさんは気にしてはいなさそうだった。


「ほ〜ら。フィルカちゃんも座って。ねっ?」


 どうしよう、と一瞬、躊躇ためらったけれどメルティエさんが手のひらで叩いた地面に座る。軽く触れ合う肩が、お風呂の時に肌同士が触れ合ったことを思い出させてちょっぴり恥ずかしくなる。


「それで、お話って?」


 メルティエさんがのぞき込むように私を見る。

 まだ速い呼吸を整えてから。


「その……、ゲールさんたちと話していた時のことなんですけど、メルティエさん、何考えていたのかなって。」

「あたしが?」

「はい。少し、表情が暗く見えたので。どうしたのかな、と。何かあれば、私にも聞かせて欲しいんです。今後のことで不安があったらなおのことですし、その他のことでも。」


 しっかりとメルティエさんを見据みすえて伝えると、少し呆気に捉えていたようなメルティエさんの顔が、柔らかい笑顔に解れた。


「あたしなりに顔に出ないようにしてたんだけど、無理だったかぁ。」


 メルティエさんは、ふぅ、と一息吐いてから黙り込んでしまう。

 背中から吹き下ろしてくる風の音だけが聞こえる中、私も急かすようなことはせずにメルティエさんを待った。

 どれくらい経ったんだろう。そんなに長くはなかったはずだけど、私にはかなり長い時間、待ったような気がした。


「フィルカちゃん。」

「はい。」

「……あたしと一緒に、どこかに、あたしたちのことを誰も知らないところまで行ってみない?」

「えっ……?」


 うつむいたままのメルティエさんは、私よりもずっと小さく見えた。

 あまりにも突拍子とっぴょうしもないことを切り出されてかなり戸惑ってしまった。だけど……。

 それもいいのかと思ってしまった。

 光枝の在り処が分かってしまった今、私達の冒険は近いうちに終わりを迎えるんだろう。それが、いい終わり方にせよ、最悪の終わり方にせよ。ゴーレムには挑むことになるとは思う。

 だけど、私にはメルティエさんと別々になる、ということのイメージが全く描けない。ずっと一緒なんだと思い込んでいた。そんなわけがないとは分かっていたはずなのに。

 仮に、最悪の終わり方になってしまうのであれば、いっそこの場から逃げてしまうのもいいのかもしれない。それで、誰にも知られないまま、ふたりで旅をするのもよし、誰も居ない静かな場所でひっそりと暮らすのもよし。それはそれで、きっと私達には幸せなんだと思う。

 だけど……。

 メルティエさんは相変わらずうつむいたまま。表情からは何を思っているのか分からない。ただ、私がここで首を縦に振れば、すぐにでもそうしてしまいそうには見えた。

 メルティエさんは私の答えを待っている。

 全て私に預けている。思い込みがすぎるような気もするけれど。

 それなら、私は、私の気持ちだけじゃなくて、メルティエさんのことも考えて答えを出さないといけない。

 ……これが、正解なのかは、分からない。

 でも。


「私は……、私も、メルティエさんと同じ気持ちです。実は、私もずっと悩んでいて。このまま、光枝が見つかってしまったら、メルティエさんが手に入れてしまったら、私たちはそこで離れ離れになってしまいます。そうしたら、私は何を目標に頑張って行けばいいのかって。前を向いて歩いて行けるのかって。そもそも、きちんと暮らしていけるようになるのかなって。心配になって……。」

「フィルカちゃん……。」


 顔を上げたメルティエさんは、期待に瞳が揺れていた。

 だけど、私が出した答えは、その期待に応えることはできない。


「でも、今ここで全て投げ出してはいけないと思うんです。メルティエさんの尊敬しているお師匠様のためにここまで来て、あと一歩で手が届きそうなのに。それに、私がここまでメルティエさんと一緒にやってきたのは、メルティエさんの探し物を見つけるためです。それが私を助けてくれたメルティエさんへのささやかな恩返しだと信じていたからです。」


 メルティエさんは、また顔をうつむかせる。だけど、話はきちんと聞いてくれているみたいで、小さく頷いてはいた。

 私は一度、大きく息を吸ってから。


「最後まで私に恩返し、させてくれませんか?」


 メルティエさんはすぐに首を立てには振ってはくれなかった。

 肩から、大きく力が抜けた。でも、メルティエさんの答えを待つ。

 しばらく、風のささやきだけが聞こえた後で。


「えへっ……。ごめんね、急に変なこと言いだしちゃって。あたしも、そんなことフィルカちゃんがいいって言ってくれるとは思ってなかったんだけど、あたしの気持ちを聞いて欲しくて。万が一、フィルカちゃんがそれでいいって言ってくれれば、逃げちゃおうって。色々と大事なものを捨てちゃうことになるけど、フィルカちゃんと一緒ならそれでもいいのかなって。……いいわけ、ないのにね。あたしもおかしいなって分かってはいるんだけど、どうしようもできなくて、フィルカちゃんに全部投げて逃げちゃった。あたしの悪い癖だとは分かってるんだけどね。」

「そんなことは……。」

「ううん。あるの。そんなこと。攻撃魔法のこともそう。お師匠様から特訓を付けてもらって、魔力制御は大丈夫って言われてたのに、怖いからってずっと使うのを躊躇ためらってて。それでも、フィルカちゃんのためならって、克服できたからもう大丈夫だって思ってたんだけど……。やっぱりまだダメみたい。フィルカちゃんが傷つくのも怖いし、全てが上手く行ってお別れするのも嫌なの。だからといってお師匠様を裏切るのも……。それならフィルカちゃんに決めてもらった方が楽なんじゃないかなって。全部から逃げちゃった。最低だよね、こんなの。」


 バツが悪そうに笑ったメルティエさん。


「それなら私も最低です。メルティエさんのここから逃げようって言う提案に乗ってしまえば、きっとメルティエさんとはずっと一緒に居ることができて、それはそれできっと幸せなんだろうって。それを提案してきたのも元々はメルティエさんだからって言い訳も出来るって。そんな風にちょっとでも考えてしまいましたから。だから一緒です。私も、メルティエさんも。」

「どうなんだろ……。でも、ちょっと似てるのかな。逃げちゃったほうがいいのかもって考えてたんだもんね。お互いに。」

「はい。ただ、やっぱり私は最後までメルティエさんのためになりたい。記憶も失って、何のためにここに居るのか分からない私に意味を与えてくれた人のために。それに、私はメルティエさんのことを……。」


 風が止んだ。まるで、私の次の一言を待っているようだった。

 だけど、その先の声が出てこない。唇が動かない。伝えたい言葉なのに、伝えてしまったら今あるすべてが全て崩れてなくなってしまいそうで。

 薄っぺらいけれど、とても硬い理性の壁が私を阻んだ。

 ここまでメルティエさんと共に積み上げてきたものを、感情に任せた言葉で崩してしまうわけにはいかない。まだまだ、ふたりで重ねていきたいことがたくさんあるはずだから。

 ゆっくりと、大きく、重く、私の気持ちに満たされた言葉を深く、深く心の奥底まで飲み込んだ。


「……私は、メルティエさんのことをとても尊敬しています。いつも前向きで、私を引っ張ってくれて、魔法のお師匠様で。そんな人が、全部を投げ出してしまうところは見たくないです。だから、もう少しだけ一緒に頑張ってみませんか?」


 ゆっくりと立ち上がり、メルティエさんに手を伸ばす。

 今は、私がメルティエさんを引っ張る番。これまで、メルティエさんが私にしてくれたように。これもまた一つ、メルティエさんへの小さな恩返しで私のわがまま。

 メルティエさんは、私の手と顔を交互に見やながら少し考えるようにして、私の手を取った。私の手を包み込む、一回り大きな手をしっかりと握ると、メルティエさんが立ち上がるのに合わせてゆっくりと引き上げた。


「確かにもうちょっとだもんね。ここで逃げちゃったら、フィルカちゃんと一緒になれてもずっと逃げてばっかりになっちゃうと思うから……。そんなの、嫌だから。大好きなフィルカちゃんとは、そういうのを気にしないで一緒に居たいし。」


 やっぱり、世の中はとっても不公平だと思った。

 私には言えないことを、メルティエさんは何ともないように口にして、屈託なく笑ってみせるんだから。

 いや、言ってしまえばいいのかな。メルティエさんのようにあっけらかんと。

 とても出来るようには思えなかった。私の“それ”は、とても重くて、どこまでも沈んでしまいそうなよどみを抱えているような気がして。メルティエさんのような、純粋なそれとは一緒に出来無さそうに思えて。

 だから、今は心の奥底にそっと寝かせたままにしておくことにした。


「ありがとうございます。」

「お礼を言わないといけないのはあたしの方だよっ。ありがとうね。フィルカちゃんがいつも、あたしの手を引っ張ってくれるから、ここまで辿り着けたんだと思うの。」

「いえ、私は何も――。」

「してくれてるよ。いっぱい。あたしが嫌だっ!って言っても探索に引っ張り出してくれたのはフィルカちゃんだし。」

「……もしかして、根に持っていたりしますか?」

「う~ん。ちょっと?」

「ごめんなさい。」

「あ~、もうっ!冗談だよっ。気にしないで。フィルカちゃんの言ってることは正しかったし、あたしもやらなきゃっていうのは分かってたから。逃げちゃいそうなあたしの背中をいつも押してくれて助かったんだよっ。フィルカちゃんは、あたしと離れ離れになったら前を見て歩けるか心配って言ってたけど、あたしも逃げないで最後まで魔法使いの修行、やり切れるのか心配で……。でも、フィルカちゃんが頑張るならあたしも頑張るよっ。」


 にひっ、とまぶしく笑ったメルティエさん。

 見惚みとれる私を気にせず、続けて。


「そうだっ!あたし、魔法使いの修行が早く終わらせられるように頑張ってみるねっ!そうすれば、里を出ていくのも誰も止めないと思うから。そうしたら、また一緒に暮らすのはどうかな?フィルカちゃんの記憶探しを手伝うのもいいし。そうじゃなくても、これまでみたいに星樹の中を探索して生計を立ててもいいし。あとは~、いっそのこと旅をしてみるのもいいかも、な~んて。フィルカちゃんが良ければだけどっ。」


 そう言うところが好きでどうしようもないです。

 いつも私に前を見ることを教えてくれるから。


「うんっ?何か言った?」

「あ、い、いいえ。何も。それじゃあ、私はここでメルティエさんを待つことにします。本当は、一緒に里までついて行きたいくらいですけど……。」

「星樹の件もあるからねっ。仕方ないよ。その代わり、あたしが頑張るから。」

「私は、メルティエさんが帰って来た時のために準備、しておきます。お金とか、他にも色々と。」

「うんっ。お願いねっ。」


 う~んっ、と大きく伸びたメルティエさん。


「やっぱり、ふたりのことはふたりできちんと話さないとだねっ。ひとりだけで考えても、いい案が浮かばないしっ。」

「そう、ですね。」

「っと、まぁ、ひとまず~、フィルカちゃんとのふたり暮らしのためにも、まずはあのドデカいゴーレムを倒さないとだよねっ。」

「はい。ゲールさんたちが手伝ってくれるみたいですから、相談してみましょう。すぐに挑むのは難しいとは思いますが、6人での戦い方を考えてみて、準備をして挑んでみましょう。」

「うんっ。マーニャさんにも杖のお金、払うついでに、ゴーレムについて詳しいこと、聞いてみようかなっ。何か詳しいこと、知ってるかもしれないし。」

「杖、買うんですね。」

「うんっ。持った感じも、かなり魔力の出力を上げることができそうだったし!なにより~、フィルカちゃんとお揃い、だからねっ!」

「そ、それは、まぁ……。メルティエさんの好きなので私からは何も言いませんが……。」


 甘くて、苦くて、熱い気持ちがぐるぐるとかき混ぜられて、一気に流し込まれたせいで心がやけどしてしまいそうだった。


「うんっ!よぉ~しっ!そうと決まれば頑張っちゃおうかなっ!」


 暗い夜がまだ空を覆っているけれど、その先にある終わりと、小さな始まりに向かって、私たちは歩き出した。

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