第4層 私たちが……、

向こう側に見るもの。①

 遠くからなにか聞こえる。

 ぱちぱちと何かが硬いものに当たる音。

 水の、音。

 音がだんだん近づいてくる。

 それとともに、ぼんやりとした明かりも。

 そっか、目覚めないと。

 もうそんな時間。今日もまた、私にはやらなきゃいけないことがある、はずだから。

 ………………。

 …………。

 ……。

 石のように重い、重いまぶたをゆっくりと開いた。

 ぼやけている視界。明るい、というのは分かった。

 少しずつ輪郭がくっきりと見え始める。

 ……部屋の天井?のようだった。

 まだ新しい木目の天井。それは見知らぬ天井だった。

 ………………。

 いや、私は知っている。

 ここは……、”私達”の部屋。

 視線をすぐ横にやると、紫色の長い髪を左右2つに軽く縛ってまとめたおさげの女の子が突っ伏している。

 少しびっくりした。それに、あまりに顔が近くて少し気まずさを感じてしまい、ゆっくりと身体を起こした。

 窓の外はどんよりとした灰色の雲に覆われて、水玉が空から降り注ぎ、ぱちぱちと音を立てながら窓や地面、それに湖の水面を揺らしている。

 雨。

 そういえば、私が“ここ”で目を覚ましてから初めての雨模様。

 雨に新鮮さを覚えながら再び視線を落とす。

 起こすのは……、悪い、かな?

 でも……。

 いくらか思考が行ったきり来たりした後で。


「メルティエさん。」


 そっと呼んでみた。

 う〜ん、と下敷きになっている布団に顔を擦り付けている。

 もう一度、呼びかけようとしたところで、むくりと身体を起こした。眠そうにこすった目を開ける。まんまるの黒い瞳と視線が合う。もう一度、目をこすったメルティエさん。もう一度、まんまるの瞳と目があって。何度もぱちぱちとさせて、止まる。


「おはよう、ございます。」


 静かすぎる間に居心地の悪さを感じて、とりあえず挨拶あいさつだけしてみた。すると、きれいな瞳がゆらゆらと揺れ始める。


「あ、あの、メルティエ、さん……?」

「フィルカちゃん……。フィルカちゃんっ!!?!?」

「う、わっ!!」


 思いっきり抱きつかれる。

 メルティエさんは、私の胸に顔を埋めて。


「よがっだぁ……。も、もゔっ……。うわあぁぁぁああぁぁんっ!!」


 泣きじゃくっていた。

 メルティエさんが。私の胸の中で。

 周りも気にせずただひたすらに。


「ど、どうしたの!?メルティエちゃ……。」


 下の階から駆け上がってきたソミアさんが、バンッ、と勢いよく扉を開けた。私を見るなり動きを止めて動かなくなった。


「あっ、え、えっと……、おはようございます。」

「おはよう……。ってそうじゃないよ!目が覚めたんだね!……良かった。本当に良かったよ……。」


 入口で、へなへな〜、と力無く座り込んでしまったソミアさん。


「その、とても心配をかけてしまったみたいで……。ソミアさんにも、メルティエさんにも。」

「ほ、ぼんど〜に……、ひぐっ、……し、ぱいっ、しだっ……、からぁ……。」

 涙でぐちゃぐちゃになってしまった顔を上げて、メルティエさんが訴えてくる。

「すみません……。」

「ん、んっ。ふぃるが、……ちゃん。わるぐ……ひぐっ、んん゛っ……からぁ……。」

「メルティエちゃん。あんまり泣いてると、フィルカちゃんが困っちゃうよ。」


 よろよろと立ち上がってこちらまでやってきたソミアさんがメルティエさんの頭を優しく撫でた。

 そんなソミアさんの瞳からも、うるみがあふれそうになっている。


「メルティエちゃんは……、ここに居たほうが良さそうだね。私、お医者さんを呼んでくるから。フィルカちゃん、起きて早々で悪いけど、何処か痛むところとかある?行った時に伝えるけど。」

「……いえ。特には。」


 身体を軽く動かしてみても違和感はない。


「そっか。それならひとまず、連れてくるね。」


 部屋を出ていこうとしたソミアさんが、「あの怪我がこんなに早く治っちゃうなんて……。」なんてボソッと言い残していったように聞こえた。

 メルティエさんは、時たま、肩をひっく、と震わせてはいるけれど、さっきよりはいくぶんか落ち着いたようだった。


「フィルカちゃん……、ひっぐ、ほ、本当に、だい、じょうぶ……?」

「はい。身体は特になんともないと思います。その、私、ゴーレムに殴り飛ばされて……?」

「うん……。フィルカちゃん、ぼ、ぼろぼろで、変身もっ……、とけ、ちゃって、おいしゃ、さんもっ……、もうダメかもって……。」


 思い出してしまったのか、また泣き出しそうになるメルティエさんの頭をそっと撫でる。そのおかげかは分からないけど、なんとか堪えてくれているようだった。


「そう、だったんですね……。私、そんなに……。」

「うん……。」


 あまり、現実味が感じられなかった。なにせ、今はゴーレムにやられる前と特に変わらない感じがする。問題なく身体も動く。傷もパッと見た感じは無さそう。

 

「そういえば、ゲールさんさんたちは……。」

「大丈夫。みんな、フィルカちゃんのお陰で。怪我はしてたけど、少し休めば大丈夫だって。」

「そうですか。良かった……。ちなみに、私はどのくらい気を失っていたんですか?」

「3日かな……?うん。たぶんそう。ごめんね。あたしもずっとここに居て良くわかんなくって。」


 指を折りながら数えてくれたメルティエさんが、えへっ、と照れ笑いを浮かべた。


「いえ。ありがとうございます。つきっきりで……。」

「あたしとフィルカちゃんは一緒に頑張るって約束したんだから。当然だよ。でも……。」

「メルティエさん……?」

「えへっ。早くお医者さん来ないかなぁ。ほら、フィルカちゃん、お腹すいたでしょ?ご飯も食べないとだしっ。」


 すぱっ、と涙を拭ききったメルティエさん。

 何かをはぐらかされたのは分かったけど、今のメルティエさんは聞いても答えてはくれないように思えた。


「そう、ですね。お腹は……、空いているかもしれません。」

「だよねっ!今日は目が覚めたのをお祝いして、ご馳走ちそう、作ってもらおっ?」

「さすがに起きたばかりでたくさんは食べられない、と思うので……。」

「そっかぁ……。そうだよね、うん……。」

「……身体が慣れれば、また以前のように食べられると思いますから、その時までにとっておいてもらってもいいですか?」

「うんっ!そうだねっ。フィルカちゃんのためのお祝いだから、フィルカちゃんが元気になってから、じゃないとだもんねっ。」


 ちょっと無理をしているのかな、とも思った。

 何とかいつもの通りに振る舞おうと背伸びをしている、って。

 でも、私は少し安心した。また、いつもの通りのメルティエさんが目の前に居てくれたから……。

 ふと、頬を何かが伝って落ちていった。


「フィルカちゃん……?泣いてる……?」

「えっ!?わ、私、そんな……。」


 じわりじわりと瞳からもあふれてきて抑えられない。


「もしかして、何処か痛いところでもある?それなら、すぐにお医者さんに――。」

「大丈夫です。大丈夫ですから。その、そうではなくて……。安心したら……。」


 私を放して立ち上がったメルティエさんが、また私の隣に腰を下ろした。


「安心?」

「はい。その、もう会えないって、あの時、そう思ったので……。」

「フィルカちゃん……。」


 突然、視界が遮られて顔が柔らかいものに包まれた。ぎゅうっ、と少し強く押し付けられる。

 心地良い。少しだけ懐かしくもあった。


「メルティエさん?」

「大丈夫だよ。あたしたち、ずっと一緒だから。ずっと、ずぅ〜っと……。」

「ずっと……。」


 私もそうでありたい。

 でも……。

 ただ、今は先のことは何も考えずに、ただメルティエさんの温かさに包まれることにした。

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