第?層 夜空の裏側

あの頃の星空は、まだ穏やかで。

 どこまでも続く白い雲のようにふかふかな地面に座って空を見上げた。

 小さな光たちが、赤や紫、青や白、雲のように薄く広がったり、虹色だったり、明るくなったり暗くなったり。深い紺色の空に広がっている星たちが、思い思いの光を放って夜空を彩っている。

 そんな星は、いつ見ても美しくて、尊いものに見えた。

 星の輝きは、命の輝き。

 その一つ一つが、“下の世界”で必死に生きる人たちの輝きなのだと。だから、尊く感じられるのだと。

 そう教えてくれたのは、私のご主人さま。

 そして、そんな尊い輝きを放つ人達を、よりよく輝けるものにするために導くのが私のご主人さま達の役目なのだと。

 とても素敵なことだと思う。憧れてしまう程に。

 だけど……。


「こんなところにいたのね。」


 女の子の声がした。

 上品だけど幼さの残る声。

 声のする方へと振り向くと、金色の長い髪をなびかせた少女が、青い瞳で私を見つめている。


「ご主人さま。」


 私が答えると、ご主人さまは優しく微笑ほほえんだ。


「隣、座ってもいいかしら?」

「はい。」


 寄り添うようにちょこんと座ったご主人さま。

 私よりも少し高い肩が触れて長い髪が腕を撫でる。


「今日の鍛錬は終わったの?」

「いえ。休憩中です。少し、疲れたので。」

「時には休むことも大事だものね。きちんと自分で考えられて偉いわね。」


 頭をそっと撫でてくれるご主人さま。

 ピンクの短めのツインテールを、ぽんぽんっ、と持ち上げて感触を楽しんでもいる。

 ご主人さまは、私のツインテールがお気に入りのようで、よく触ってくる。

 その時の表情がとても穏やかで、私も心が暖まる。


「ありがとうございます。」

「そういえば、わたくしが貸した本は読んだのかしら?」

「はい。”下の世界”のことが少し理解することができました。こちらには無いものがたくさんあるのですね。木がたくさん生えた”森”というものや、どの星よりも明るく輝く”お日様”というもの。空も青かったり、赤かったりするときもある。”山”というものが人の行く手を阻んだり。川や湖は“こちら”のように存在することも。あとは、人々が集まって街を作ったり。もしも降りることができる日がやってきたら、いろいろな所を見て回って見聞を広められたらとも思いました。」

「……そうね。一緒に見て回りたいわね。わたくしも、もっと世界のことを知りたいわ。」


 遠くを見つめながらそう言ったご主人さまは、私に視線を戻す。


「他の子たちは最近、どんな感じかしら?」

「相変わらず、ですね。」

「そう……。」


 相変わらず、というのは、端的に言ってしまえば鍛錬もせずに遊んでいる、ということ。

 ”私達”の中でまともに鍛錬をして、来るかもわからない“危険なもの”に備えているのは私だけ。他の子たちはそれぞれ仲のいい子たち同士でグループを作って机を囲み、お茶やお菓子をつまみながら世間話に興じている。

 彼女たちが悪いわけではない。もう何世代もそうしてきたのだし、何より、この雲の上には、“私達”のご主人さまを、身をていして守らなければならない危険は、これまでも存在しないし、おそらく、ここに居る限りはこれからも存在しえない。“そういう世界”なのだから。

 はっきり言ってしまえば、”私達”という存在は必要がないのだけど、慣例的として、とか、歴史的経緯、とか、そういったふわふわとした理由で存在しているだけ。ただ、漫然とそこにいるだけ、と言うのは酷かもしれないけど、言葉を選ばなければそういうこと。

 でも、”彼女たち”を悪く言うのは違う。

 私はもちろん、私のご主人さまは他の誰よりもそのことを分かっている。

 ただ意味も無く生み出されてしまって、その後も何も見いだせない”ここ”で暮らさなければならないのだから。誰だって自堕落な生活になってしまう、と。


「誰かが範を見せれば、1人ぐらい、わたくし達についてきてくれる子が出てくるのではと思ったのだけど……。やっぱり難しいみたいね。」

「申し訳ありません。私の力が及ばないばかりに……。」

「あなたが責任を感じる必要は無いわ。これは元々、”わたくし達”の問題であなたたちに非はないもの。そんな中で、腐らずにわたくしの言うことを守ってついてきてくれているのだから、むしろわたくしが感謝しないと。ありがとう。」


 私のご主人さまは優しい。

 他のご主人さまが厳しいわけでもないのだけど、優しいのかというと……。

 どちらかというと、“私達”にあまり興味がない、と言うのが正しいのかも。“ここ”ならば不自由無く暮らせるはずだから好きにしてもらって構わない、といった感じ。“私達”もみんな、それが分かっているので好きにしている。

 そんな中で、私のご主人さまは、私をいつも気にかけてくれていている。それだけではなく、本来は従者でしかない私のことを家族として扱ってくれて。

“私達”からすれば、もったいないこと、だと思う。

“ご主人さま達”から見ると、今のご時世にそこまでするなんて変わっている、と思われているようで。

 でも、ご主人さまは、そんな周りの好奇の目を気にしたりしない。私にしてくれていることの全ては当たり前のこと、として振舞っている。

 そんなご主人さまが、私には誇りで、何があっても守るべき人で。


「ありがとうございます。」

「あなたは頑張ってくれているのに、申し訳ないわ。わたくしの方は進捗が芳しくなくて……。」

「そんなことはありません。ご主人さまが大昔の文献にも触れて、現状を変えるためにずっと思案を巡らせてくれていること、私は良く分かっているつもりです。あまり焦らないでください。継続していればきっといつか結果はついてきます。」

「……そうね。まだ、時間はあるものね。」


 少し俯いたご主人さま。

 その瞳には、私とは違う何かが映っているように見えた。


「……ご主人さま?」

「なにかしら?」


 顔を上げたご主人さま。

 すっかり穏やかな表情に戻っていて、ついさっきまでの瞳に落ちた暗い影が幻のようだった。


「あ、いえ……。なんでもありません。」

「何か気になることがあるのなら、遠慮せずに言うのよ。何でもかんでも聞いてあげることはできないけれど……。努力はするわ。」

「ありがとうございます。その、本当に何でもありません。」

「そう。分かったわ。」


 ご主人さまは、うん~っ!っと腕を空に突き上げて大きく伸びた。


「禁書庫にこもりきりだと、星空が恋しくなるわね。星を詠むことができないのにそんな風に思うなんておかしいとは思うのだけども。」

「ご主人さま……。」

「そんな悲しそうな顔をしないで。わたくしが悪かったわ。そのためにふたりで頑張っているのだから。大丈夫。必ず、取り戻して見せるわ。わたくしの、わたくし達の力を。そしてまたかつてのように、“下の世界”の人達と共に。」

「はい。信じています。ご主人さまならきっと。……いえ、必ず。」

「ふふっ。ありがとう。私のかわいい――……。」

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